美しい嘘

四十九院紙縞

文字の大きさ
上 下
1 / 9

(1)――「殺せるものなら、殺してみろ。ただし、美しくな」

しおりを挟む
 暗闇の森。
 この辺りの人間がそう呼び畏れ近寄らない森で、少年が一人、ぽつねんと輝いていた。
 輝いていた、という言葉に間違いはない。
 老人のように白い髪、陶器のように白い肌、血の色をした瞳。
 そんな姿で、陽の光が差さない森の中に居れば、輝いていると表現したくもなるものだ。
 魔女は、そんなことを考えながら嘆息し、同時に心を弾ませる。
 軽い散歩のつもりで歩いてきたが、思いがけず美しい光景に出会ったものだ――と。
「お前、捨て子か」
 有象無象の人間ならば、そのまま、人食い動物やら植物やらに喰われてしまえと、敢えて放置しただろう。
 しかし、彼があまりに美しくて、魔女はついつい自身が人間嫌いであることを放念し、声をかけたのだ。
 魔女の声に、少年はびくりと肩を震わせ、それから声のしたほうを見上げる。
 ――誰。怖い。助けて、お父さんお母さん。
 恐怖で揺れる双眸からは、を使わずとも、そんな声が聞こえてくるようだった。
 しかし、それも致しかたのないことだ。
 暗闇の森。
 人を喰う動物や植物の巣食う森。
 不死身の魔女が封印されている森。
 大の大人も恐れて近寄らないような場所だ、子どもにとっては地獄も同義だろう。
「ち、ちがう」
 少年は、先の魔女の言葉を否定した。
 そうしてゆっくりと魔女から距離を取りつつ、言う。
「道に迷っただけだ」
「なるほど迷い子か。一人か?」
「違う。お父さんとお母さんも一緒だ」
「こんな、暗闇の森に?」
「そ、そうだ」
 少年は嘘を吐いている。
 魔女は、どうしたものか、と一瞬だけ考え、次の瞬間には術を使い、少年の心を覗いてみることにした。無意味なやり取りを重ねるよりも、こっちのほうが確実で正確だ。
「なるほど、忌み子か」
「なっ?!」
 少年は驚嘆の声を上げたが、魔女はさらりと無視して、少年の記憶を辿る。
 異端。
 悪魔の子。
 不吉の象徴。
 日照りの原因。
 ――そいつが居るから、駄目なんだ。そいつさえ居なければ、日照りにはならなかった。
 ――殺せ。
 ――殺せ。
 ――殺せ。
 ――自らの手で殺せないのであれば、暗闇の森に捨てろ。あの森は人間を拒む。きっと殺してくれるだろうよ。
 ――そうだ、きっと暗闇の森の魔女が、こいつを殺してくれる。
 ――嘘だよね、お父さん、お母さん?
 ――やめろよ、離せ。ねえ、お父さん、お母さん。こんなの辞めさせてよ。どうして無視するの?
 ――僕は、二人の大切な子どもなんじゃないの?
 ――そうだ、お前にひとつ条件を出してやろう。良いか、あの薄気味悪い魔女を殺してこい。そうしたら、村に戻ってきても構わない。
 ――殺す。絶対に殺してやる。
 ――……暗い。一人は怖い。怖い。怖いよ。
 ――誰か、助けて。
「……はん、人間らしい卒爾な考えだな」
 必要な記憶を見終え、魔女は吐き捨てるようにそう言った。
 そうして、少年に取られた距離をぐんと詰めて、続ける。
「お前、私に殺される為に、この森に捨てられたのだろう?」
「違う」
「嘘を吐いても無駄だ。知らないようなら教えてやるが、私には、人の心を読む魔術の心得があるんだよ。お前がいくら虚勢を張って嘘を吐こうと、その奥にある本音が、私にはわかるんだ」
「……嘘なんて、吐いてない」
「無駄だ無駄だ」
 魔女はひとしきりからからと笑って、それから、少年と目線を合わせる為に軽く腰を曲げて、言う。
「お前、私のところに来るか?」
「はあ?」
 少年は、真紅の瞳を猜疑に歪ませ、訝しむような声を上げた。
「村の連中から、私を殺してくるよう言われているのだろう? 構わんよ。お前のように美しいものに殺されるのなら、悔いはない」
「……あんた、死にたいのか?」
 少年は、信じられないといった様子で魔女を見つめていた。
 魔女はその熱烈な視線を受け、にいっと笑みを深める。
「私はな、死ねないんだよ。もう何百年もこの世をさ迷っている」
 だから、と。
 魔女は少年を見据えて、言う。
「殺せるものなら、殺してみろ。ただし、美しくな」
 その言葉に、少年がぞくりを震え上がったのを、魔女は見逃さなかった。
 ああ、この少年は穢れを知らないのだ、と魔女は思う。大人が何人も束になってかかってきても殺せない魔女を、その細い腕で殺せると思えてしまえる少年の無垢さが、魔女の目には新鮮に映った。
 殺せないのなら、閉じ込めてしまえ。
 そうして強引にこの森に封じられた魔女は、長い間、人間を恨めしく思っていた。
 しかし、こんなにも美しい人間がいるのであれば。
 いつか討伐されるとしても、それは愚かな人間ではなく、この少年が良い。
 そう思った。
「決まりだな」
 魔女はするりと少年の手を掴むと、家へ向かって歩き出した。
「な、なにするんだよ?!」
「お前、そんな痩せこけた身体で私を殺せると思っているのか?」
 碌な食事も与えられていなかったのだろう、少年の骨ばった手を指先で感じながら、魔女はため息を吐く。
「首を締められるだけの握力をつけろ。刃物を振るえるだけの筋力をつけろ。私の意表を突けるだけの知識をつけろ。まずは飯を喰え。話はそれからだ」
 ぽかんと呆気に取られている少年の手をぐいぐいと引っ張って歩きながら、魔女は、そういえば、とあることに気づく。
「お前、名はなんという?」
「……自分を殺す相手の名前なんて、知る必要ないだろ」
「だからこそ知りたいんだ」
 ほら教えろ、と促す魔女に、少年はぷいっと顔を逸らす。
「名前なんて、ねえよ」
「嘘を吐くな」
 そう言いながら、魔女には既に、少年が親からもらった名前を把握していた。同時に、少年が、自分を捨てた親から与えられた名の価値を見失いかけているということも。
「名がないというのは不便だからな。ないというのなら、私が名づけてやろう。そうさなあ……嘘吐きLiarだから、『ライ』でどうだ?」
「……別に。どうでもいい」
 顔を背けたままの少年から、しかし魔女はひとつの感情を読み取り、小さく笑う。
「私の名はネリネだ。期待しているぞ、ライ」
「うるせえ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

男娼館ハルピュイアの若き主人は、大陸最強の女魔道士

クナリ
ファンタジー
地球で高校生だった江藤瑠璃は、異世界であるベルリ大陸へ転移する。 その後の修業を経て大陸最強クラスの魔道士となった瑠璃は、ルリエル・エルトロンドと名乗り、すっかりベルリでの生活になじんでいた。 そんなルリエルが営んでいるのが、男娼館「ハルピュイア」である。 女性の地位がおしなべて低いベルリ大陸において、女性を癒し、励ますために作ったこの男娼館は、勤めている男子が六人と少ないものの、その良質なサービスで大人気となった。 ルリエルにはもう一つの顔があり、それは夜な夜な出没する近隣のならず者を魔法で排除する、治安安定化と個人的な趣味を兼ねた義賊のようなものだった。 特に、なにかしらの悩みを抱えていることが多いハルピュイアのお客の女性には、肩入れしてしまうのが常である。 ルリエルを信頼する六人の男子は、それを知った上で毎日の女性奉仕に精を出している。 元北国の騎士団長、キーランド。 元素手格闘(パンクラティオン)の王者だった、筋骨たくましいダンテ。 草花に詳しく、内気ながら人好きのするトリスタン。 美少女と見まがうばかりの金髪の美形、カルス、などなど。 彼らと共に目の前の女性たちのために尽くそうとするルリエルだったが、彼女の持つ力ゆえに、時には大陸の人類全体の敵である「六つの悪魔」を相手取ることもある。 大陸人類最強クラスの者に与えられる称号である「七つの封印」の一人であるルリエルは、今日も彼女なりに、精一杯生きている。

隣国は魔法世界

各務みづほ
ファンタジー
【魔法なんてあり得ないーー理系女子ライサ、魔法世界へ行く】 隣接する二つの国、科学技術の発達した国と、魔法使いの住む国。 この相反する二つの世界は、古来より敵対し、戦争を繰り返し、そして領土を分断した後に現在休戦していた。 科学世界メルレーン王国の少女ライサは、人々の間で禁断とされているこの境界の壁を越え、隣国の魔法世界オスフォード王国に足を踏み入れる。 それは再び始まる戦乱の幕開けであった。 ⚫︎恋愛要素ありの王国ファンタジーです。科学vs魔法。三部構成で、第一部は冒険編から始まります。 ⚫︎異世界ですが転生、転移ではありません。 ⚫︎挿絵のあるお話に◆をつけています。 ⚫︎外伝「隣国は科学世界 ー隣国は魔法世界 another storyー」もよろしくお願いいたします。

巷で噂の婚約破棄を見た!

F.conoe
ファンタジー
婚約破棄をみて「きたこれ!」ってなってるメイド視点。 元ネタはテンプレだけど、なんか色々違う! シナリオと監修が「妖精」なのでいろいろおかしいことになってるけど逆らえない人間たちのてんやわんやな話。 謎の明るい婚約破棄。ざまぁ感は薄い。 ノリで書いたのでツッコミどころは許して。

【完結】温かい食事

ここ
ファンタジー
ミリュオには大切な弟妹が3人いる。親はいない。どこかに消えてしまった。 8歳のミリュオは一生懸命、3人を育てようとするが。

僕が伯爵と呼ばれる7日の間に

五十五 望 <いそい ぼう>
ライト文芸
固く閉ざされた館の扉が1年に2日間だけ開く、レ・ジュルネ・デュ・パトリモアンヌ。 その日、パリ市内に位置する17世紀の城館を訪れたその人は、悲鳴を上げた。 ———なかったからだ。そこにあるべき絵が。 自分のジェンダー感覚の違和感に揺らぐ一人の男と、彼が唯一執着を覚える17世紀の女性。 そしてその面影を持つ、謎の女…… そこに生まれるものは、果たして愛なのか? それとも…… バロック時代に描かれた1枚の肖像画を巡って交錯する、迷える男女の心の物語を、作者オリジナルの挿絵を交えて紡ぎ出す。

聖女は聞いてしまった

夕景あき
ファンタジー
「道具に心は不要だ」 父である国王に、そう言われて育った聖女。 彼女の周囲には、彼女を心を持つ人間として扱う人は、ほとんどいなくなっていた。 聖女自身も、自分の心の動きを無視して、聖女という治癒道具になりきり何も考えず、言われた事をただやり、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。 そんな日々が10年過ぎた後、勇者と賢者と魔法使いと共に聖女は魔王討伐の旅に出ることになる。 旅の中で心をとり戻し、勇者に恋をする聖女。 しかし、勇者の本音を聞いてしまった聖女は絶望するのだった·····。 ネガティブ思考系聖女の恋愛ストーリー! ※ハッピーエンドなので、安心してお読みください!

6人目の魔女

Yakijyake
ファンタジー
科学が否定されたテイン王国。そんな王国の西に位置するヘーゼルの森にある一軒に住むベレッタは母のエリーナと幸せに暮らしていた。母は科学の発展した西の国のエリート科学士だったが、王に魔女の嫌疑をかけられて… 本当の親子とは何か。本当の愛とは何か。本当の温もりとは何か。 「親を失った私に温もりをくれる人なんて…」 これは一人のどん底まで突き落とされた少女が新たな温もりを探すお話です。 毎週月・水・金の16:30に更新。

処理中です...