透目町の日常

四十九院紙縞

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『彼岸の名づけ親』(自称神様見習いが便利屋の「私」に捕縛され〝話し合い〟をする話)

『彼岸の名づけ親』4

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「……さて」
 二人を見送ってから、私は駐車場の奥へと戻る。
 ぱちんと指を鳴らして彼女を拘束していた術を解き、守護霊に声をかける。
「トオル、もう良いよ。さんきゅな」
 守護霊はワンと元気に返事をし、私の足元へ戻ってきた。頭を撫でてやると、ほとんど透明な愛犬が、嬉しそうに目を細める様子が微かに伺えた。そうして満足すると、とぷんと私の影に溶けて行く。ここがあの子の家なのだ。
「こ、拘束を解いてくれて、ありがとうございます」
 霊体だから身体が拘束で軋むことも痛むこともないだろうが、生前の性質に引っ張られているのか、幽霊は自身の肩や手首をさすりながら、そう言った。
「あんたさ、善行を積みたいんなら、この町の役場で働かないか?」
「へ?」
 なにを言われているか全く理解できない、と言った様子で、幽霊はぽかんと口を開けていた。実際、幽霊が町役場で働くなんて、冗談にしか聞こえないだろう。
 しかし、ここは透目町すきめちょうだ。
 どれだけ奇妙なことだろうと、日常が飲み込んで正常に成立させてしまえる土地なのだ。
「この町には、一般的に多く利用される透目町役場の他に、第二役場ってのがあるんだ。不思議なもんで、特殊な事情があったりして人間社会からはみ出しちまった人らは、昔から自然とこの町に行き着くらしい。だから行政も、ある程度は対応できるんだ」
 たとえば、水中での生活が主で陸上での生活ができないから、定期的にウチに日用品の買い出しを依頼してくる常連さん。
 たとえば、何十年経とうと三十代前半ほどの見た目から変わらないから、ときたま外部とのやりとりをウチに委託してくる喫茶店のマスター。
「あんたもそうだが、そういう人たちは一般的な行政では管理しきれない。が、透目町はこういう土地柄だからか、多少のノウハウがあってな。この町でのみ有効な身分証やら口座やら、なにかと支援してくれるんだ」
「……つまり、私もその役場で働いて、そういう人たちの支援に関わることで、それが善行に繋がる、ということですか?」
「理解が早くて助かるよ。それに、その支援はあんたにだって適用される」
「ゆ、幽霊にも、ですか? ……あ」
 訊いてから、自身が幽霊であると自白したことに気づいたらしく、彼女は思わず両手でその口を塞いだ。が、既にその言葉をしっかり聞き取った身としては、はぐらかされてやるつもりはない。
「神様見習いなんて胡散臭いって、最初に言っただろ。もとより信じちゃいなかったが、あんた、自分が幽霊だって自覚はちゃんとあるんだな?」
「……はい」
 僅かな逡巡の末、彼女は首肯する。
「どれくらい前のことかはわからないですけど、この手にある数字がゼロになるまで善行を積んでいけば成仏できるって、言われたんです」
 先の宇宿の話から察するに、それを彼女に伝えたのは死神だろう。
「それ、特に時間制限はないんだろ?」
「はい」
「じゃあまあ、この町でゆっくり善行を積んでも良いんじゃないか?」
 さきほどの宇宿との会話を頭の中で反芻しながら、私は言う。
 自殺者の魂は、善行を積むことでそうなるに至った傷を癒やす。
 果たしてそれは、カミサマに与えられた罰なのか、救済なのか。一人間である私には、皆目見当もつかない。
 ただ、この町に居る間は、せめて穏やかな時間を過ごせるように、とは思う。
「幽霊でも、職員として福利厚生はきちんとしてるらしいぜ。第二役場ってのは旧町立病院を改装した建物なんだが、空いてる部屋を霊体職員の個室として使ってるって、そこに勤めてる地縛霊のおっちゃんが言ってたんだ。細かいところは実際に行って訊いてみるしかないと思うが、あんた、どうする?」
 恐らく彼女にとっては急転直下の展開に、口を真一文字に閉じて懸命に私の言葉を噛み砕いていた。
 噛み砕いて、噛み砕いて、確かめて。
 そして、飲み込む。
 すっと顔を上げて、幽霊は私と目を合わせた。
 どうやら心は決まったらしい。
「この町で働いてみたいです」
「おっけ。じゃあ早速行くか、第二役場。あんた、先に車に乗って待ってろよ。鍵がかかってても、霊体ならすり抜けて入れるだろ?」
「そりゃあ入れますけど、え、これから行くんですか? 今日、お盆ですよ?」
「第二役場のほうは、基本的に誰かしら居ることになってるから、問題ない」
 第二役場はその性質上、基本的に年中無休だ。稀に、緊急で保護や支援が必要な人が現れる以上、そうせざるを得ないのである。勤務形態でトラブルは起きていないと聞いているが、人手が増えるのは大歓迎とも聞いている。
 私は再び事務所に戻り、副所長に事情を話して社用車の鍵を借りて、駐車場へ戻るとロックを解除し、助手席に幽霊が待機している車に乗り込んだ。エンジンをかけ、冷房を最大出力で回し、出発する。
「第二役場に着いたら、俺が話を通すところまでは手伝えるが、一応、面接とかはあると思うからな。それだけ念頭に置いておいてくれるか」
「が、頑張ります……!」
「そんなに緊張しなくて良い。変なやつかどうかの確認だけだから。ああ、だから間違っても『幸せになりたい人を探してます』とか言うんじゃねえぞ」
「肝に銘じておきます……!」
「……」
 本音を言えば、第二役場に到着するまでにもう何個か言っておきたいことはあったのだが。私が言えば言うほど肩に力が入っていく様子では、これ以上は必要以上に萎縮させかねない。
「そういえば」
 だから私は、意図的に話題を変えることにする。
「あんたの名前は? まだ聞いてなかったよな」
「そうですけど、名乗っていないのは、貴方も同じですよね」
 言われてみれば、名乗っていなかったか。思えば、出会い頭に捕縛して尋問してたものな、なんて考えつつ頬を掻く。
「俺の名前は、志塚拓人たくとだ。それで、あんたは?」
「私の名前は……ずっと前から、わかんなくなっちゃってまして……」
 それは、死神によって封印された記憶に名前も含まれているのか。
 それとも、途方もない時間を幽霊として過ごしているうちに忘却してしまったのか。
 そこまでは、私では踏み込めない。
「じゃあ、この町で使う名前を決めなきゃだな。特に希望がなければ、名字は俺のを貸しても良いけど」
「名前……」
 呟くようにそう言って、彼女は黙りこくってしまった。
 言わずもがな、自分がこれからこの町で名乗る名前を思案しているのだろう。第二の人生、と呼ぶには不謹慎が過ぎるだろうが、この町に居る限りは必要なものだ。どうせなら本人が納得できる名前を決めて欲しい。
 田舎の代わり映えしない風景を、法定内速度で車は進んで行く。彼女が名前決めに難航するようであれば、目的地まで遠回りで向かったほうが良いか、なんて考えた矢先。
「志塚さんに決めてもらいたいっていうのは、駄目ですか?」
 と。
 運転中で顔はそちらに向けられないが、視界の端からじっと見つめられているのがわかった。
「構わないが……俺で良いのか?」
「自分で考えてみても、なんか格好つけみたいな名前ばっかり思いついちゃって。現実的で日常的な名前って、考えてみると難しいんですね。親ってすごいんだなあ」
「……」
「志塚さん?」
「うん? ああ、名前だったな。そうだなあ……」
 私が考えて良い範疇から外れたことまで考えだしたところで呼び止められ、私の思考回路は本題に戻る。
 私は独身で、人に名前を付けたことなんて一度もない。私が付けた名前といえば、それこそ、守護霊の犬くらいのものだ。あのときは、至極単純だった。『透目町』の『透』の字から取って『トオル』。我ながら良い名前だと思うが、しかし、人の親のようになにか願いが込められたものではない。
「俺だってセンスがあるわけじゃないから、気に入らなければ自分で考えてくれよ」
 そう前置きしたところで、車はちょうど赤信号で停止した。
 左に曲がれば、第二役場。
 右に曲がれば、遠回りすることになる。
 ウインカーをどちらに出そうか考えながら、私は言う。
きく。志塚菊はどうだ?」
 口に出して言った直後、後悔に苛まれる。
 トオルのときから、全くセンスの成長が見られなかったからだ。
 今回に至っては、今日がお盆で、ここ半月ほどお盆の準備やらなにやらで、頻繁に菊の花を見たからという理由だ。これは流石に却下だ、と思いつつ、ウインカーを右に出そうかと思ったのだが。
「良いですね、その名前。志塚菊、菊、菊さん、菊ちゃん……うん、私、その名前にします!」
 見れば、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「俺が言うのもなんだが、本当にそれで良いのか?」
「無問題です!」
「それなら別に良いけど……」
 言って、私は左にウインカーを出した。
 志塚菊。
 八月十五日に突如便利屋の前に現れ、神様見習いを自称した、その実、自殺者の魂。
 彼女はその後、第二役場の敏腕職員として名を馳せることになるのだが、それはまた別の話である。



 終
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