不器用な君は、今日も甘い。

四十九院紙縞

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感覚ディスタンス

(1)――『しにそう たせきて』

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『しにそう たせきて』

 五月の大型連休を目前に控えた四月末の朝、恋人である黒木くろき椿季つばきから送られてきたメールは、そんな色気もくそもない端的なものだった。
 時期が時期だからと、僕こと詩村しむら三久みつひさは、てっきり連休中にどこかへ出かけようという誘いのメールと信じて疑わなかっただけに、その落胆たるや、美味しいと信じて疑わなかったコンポタ味のアイスがいざ食べてみたらそうでもなかったときのようである。いやさ、ナポリタン味のときのような絶望感を味わらなかっただけ、僥倖かもしれないけど。
 ともあれ、椿季がこんなメールを送ってくるのは珍しい。もっと言えば異常事態だ。
 あいつは、一応は小説家として生計を立てている僕以上に、文章に対してきっちりとしている。句読点は必ずつけるし、常識の範囲内で変換可能な漢字は必ず漢字で書く。例えば、夜遅くにメールをしていて、眠気に負けそうなときでさえ『眠い。明日も仕事だから寝る。おやすみ。』などと丁寧に書いて返信してくる奴である。そんな男が、漢字変換もなければ句点も読点もなく、あまつさえ入力ミスしまくりのメールを送ってきたというのは、それだけで寝起きの僕の頭を完全に起動させるに充分こと足りた。
 恐らく、あいつが送ろうと思っていた文面はこうだ。
 『死にそう。助けて。』
 メールじゃレスポンスが悪いからと、慌てて電話をかける。が、出ない。
 不安で心臓の鼓動が大きくなり、血液がいつも以上の速さで身体中を駆け巡る。気持ちが悪い。
 普通の会社勤めのサラリーマンが、妙な事件に巻き込まれたとは考えにくいが、しかし、『事実は小説よりも奇なり』とは、イギリスの詩人であるバイロンも言った通りである。今だって嘘みたいな現実の上に生きている僕だ、大切な恋人の危機に駆けつけないでなんとする。服装を吟味している余裕など当然なく、僕は取るものも取り敢えず、椿季の住むアパートへと向かった。
 まずはあいつのアパートだ。そこに椿季がいなければ、今日が平日である以上、会社へ向かう途中でトラブルに巻き込まれた可能性が高い。それで駄目なら、有休をとってどこかへ出かけるところを狙われたかだろう。後者だったら、恋人である僕に一言もなかったことになるが……いや、下手な推測はしないでおこう。まずは椿季の安全を確認しなければ。
 徒歩ですぐの場所のはずなのに、その道のりはいつもの倍以上に長く感じられた。
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