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透明人間シニシズム
(2)――「ミクは赤点を回避しないとだな」
しおりを挟む椿季とは、最初は普通の友達だったんだ。
僕と考えは真逆なようでいて根元で繋がるなにかを感じるような、とても馬が合う友達に出会えたのだと思った。
だけどいつからか、僕の中で椿季が『友達』という括りから逸脱しはじめた。
椿季と一緒にいると、隣に可愛い女子がいるような、妙な緊張感が全身を駆け巡る。いくら季節が夏とはいえ、今日の僕の発汗量は、通常のそれを遥かに凌駕している気さえした。
これは――この感情は、きっと恋だ。
僕は男なのに、男の椿季を好きになってしまったのだ。
いつから椿季をそういう対象として見ていたのかは定かではないが、今は断言できる。
僕は椿季が好きなんだ。
感情的になることは苦手だ。もっと言えば、嫌いだ。
こいつがいると、自分を制御できなくなってしまう。自分で自分を制御できないという感覚は、素直に言って気持ちが悪い。だからこそ、僕にはゲームのような選択肢が必要なんだと思うのであった。
今日だって、わざわざ部室で勉強会をしなくても良かったのかもしれない。教室でだって勉強はできる。
椿季と二人きりで冷静になれないのが嫌なら、他にも友達を呼ぶことだってできたはずだ。それなのに僕は、自ら進んで椿季と二人きりになれるシチュエーションを作った。
部室でなら、誰にも邪魔されることなく椿季と一緒に居られる。
二人きりで居たいとか、独占したいとか。
ああ、我ながら、なんて女々しい思考回路なんだ。
「しっかし――そうか、なるほど面白れえな」
僕の葛藤など知る由もない椿季は、頬杖をついてシャーペンをくるくると回しながら、無警戒ににやにやと笑みを浮かべていた。これは、小説のネタを思いついたときの顔だ。
「あ? なにがだよ」
なるだけ不自然にならないよう気をつけながら、僕は相槌を打った。
椿季はにやついたまま、さっきのゲームの話だよ、と言う。
「三久の考えかた――いや、俺もそうなんだろうけど、もろに小説に出てるなって思った」
「意味がわからない」
勉強のしすぎで頭がおかしくなったか優等生。だから個人平均点九十点をキープし続けるのはやめろ、そのうちの十点で良いから僕に寄こせと言ったのに。
そんな僕の心の声などいざ知らず、変な感じにスイッチの入ったらしい椿季は、だからさ、と続ける。
「物事を客観的に見たいって考えている三久は、書いてる小説が全部、第三者視点だろ? 客観的に物語を傍観する視点で、三久は小説を書く。それは三久の視点が日常的にそこに在る、或いはそこに在りたいと思っているからだ。でもって俺は、全部一人称視点で書いてる。それは、俺はどうしたって主観的にしか物語を見られないからだ。ほら、な?」
僕はつらつらと並べられた椿季の言葉をどうにか咀嚼し、その意味を飲み込んだ。
「そうだな、そういう捉えかたもできるな」
「だろ? それにほら、俺は三人称視点の小説を書くのが苦手だし、確かお前だって一人称視点で書くのは苦手だって言ってたよな」
「おう。だから椿季の書く小説って、僕にとってはすげえ新鮮なんだよ」
「なんだよ、いきなり褒めるなよ、怖ェよ」
「事実だし」
「そ、そうか? まぁ褒め言葉はありがたく受け取っとくけど……まあ、そういうことだよ。いやあ、小説って面白れえなー」
「早くテストなんて終わらせて、部誌作りたい……」
ふと視線を移せば、部室に置いてある本棚に収納された部誌達があった。今小説を書くことが許されなくとも、せめて部誌を読み返したい……今のこのテンションなら、なにか長編が書けそうな気すらする……。
「だったらまず、ミクは赤点を回避しないとだな」
「うるせーよ優等生」
目先の現実を急に見せるな。悪魔か貴様は。
「それが人にものを教わる態度か?」
「くそ、人の足元見やがって……」
「で?」
「数学の定理が全くもって意味不明です、どうかこの低能な僕にでもわかるように教えてください」
赤点という脅威から逃れる為には、僕にプライドなどというものは存在しないのだった。
「よろしい」
椿季は芝居じみた感じで頷くと、おもむろに席を立った。
「おい、僕に数学を教えるんじゃないのかよ。どこ行くつもりだ」
「飲み物がなくなったから、下でココア買ってくる。お前も行くか?」
「……いや、良い。僕のはまだあるし」
「そ。じゃあさくっと行ってくるわ」
「行ってらー」
部室の戸が閉まり、足音が遠ざかる。
一人きりとなった部室で、僕は大きく深呼吸をした。
太陽が地平線の向こうへと姿を隠そうとしている。最後の力を振り絞ったかのような夕日が部室に差し込んできて、眩しい。目が眩む。
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