不器用な君は、今日も甘い。

四十九院紙縞

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(4)――「……『月が綺麗ですね』」

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 コーヒーの飲み過ぎ。
 ふと、その事実が脳裏に浮かんだ。
 打ち合わせがなかったとしても、ココアを欲するくらいコーヒーを飲んだというのは本当だろう。事実、今日のこいつからは、やけにコーヒーのにおいが漂ってきている。
 こいつの小説の場合、飲み物を飲むシーンが描かれるのは、決まって重要な選択の前だ。それは概ね、こいつの私生活にもリンクしている。デビュー作投稿前がそうだった。確かあのときも、コーヒーをがぶ飲みしていた。緊張を緩める為。そう言ってこいつは、俺が引くくらいコーヒーを飲んでいた。
 じゃあこいつは今、そのくらい緊張するなにかに追い詰められているのか……?
 嘘だった恋愛小説の取材協力。
 コーヒーをがぶ飲みするレベルの過度の緊張。
 それに、さっきからのこいつの俺に対する妙な態度。
 これらの要素が交錯して、絡みあって、出た結論は――
「……え。いや、まさか……?」
 浮かび上がってきた答えに対し、俺は無意識にそう呟いていた。
「……お前、会社からの帰りに夜空を見たか?」
 俺の呟きには答えず、こいつは脈絡のない質問を投げかけてきた。
「え? あ、ああ。雲がなくて、気持ちの良い夜空だと思ったよ」
 それに確か、今夜は満月だった。
「……『月が綺麗ですね』」
「え」
「僕、今日はもう帰る」
 言うが早いが、てきぱきと荷物をまとめ始めやがった。
 今こいつ、なんて言った?
 俺の聞き違いじゃなければ、『月が綺麗ですね』って――それがどんな意味を持つ言葉なのか、こいつも俺も知らないわけがないだろうに。
 その言葉が、俺の答えに確信を与える。
「ドーナツの残り、お前にやる。せいぜいそれ食いながら、僕への返事を考えろ。言っとくけど、茶化したら殺すぞ」
 律儀にココアを飲み干してから立ち上がって鞄を持ち、玄関へと向かう。俺はそれを、視線で追うことしかできない。
 あいつは玄関で靴を履き、ドアノブに手をかけたところで、もう一度俺のほうを見て、口を開く。
「それじゃあ、またな」
 そう言って、あいつは玄関を開けて俺の部屋から去って行った。
 足音が遠くなる。
 部屋に一人残された俺は、まさかの展開に脳内の情報処理が追いつかず、硬直状態だった。
「……そういうことかよ」
 あいつの言葉で、全て納得した。
 そうか、それなら全部に説明がつく。くそ、遠回りなことしやがって。
「そんなんで気づくかってんだ、馬鹿……」
 あいつはいつから、俺をそんな風に想っていたのだろう。
 今日、ここに来るのにどれだけ勇気を振り絞ったのだろう。
 それに、なにより。
「返事、きちんとしてやらないとなあ」
 あいつのことは嫌いじゃない。
 むしろ好きだ。
 だけどそれは友達同士としてであって、そういう視点では考えたことはなかった。
 どうする?
 あいつを受け入れるのか?
 それとも拒否するのか?
 俺は、どうすれば良い?
「……」
 いや、結論を急いではいけない。これは慎重を期するべき問題だ。
 あいつが俺をどう想っているのかはわかった。
 だったら、今度は俺があいつをどう想っているのか考える番だ。
「……コーヒーでも飲むか」
 そうだ、あいつの真似をしてコーヒーを飲もう。
 そうすればなにか、良い答えが見つかるかもしれない。
 そう思って淹れたコーヒーは、部屋に良い香りを振り撒いた。
 マグカップに並々と注がれたコーヒーが、ほぼ真上にある部屋の明かりを映し出す。
「……はは、ここにも月があるや」
 マグカップの中に浮んだ月はゆらゆらと揺れていて、まるで今の俺みたいだった。



 終
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