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8.――「だって、恥ずかしいじゃないですか」
しおりを挟むロイドが再び屋敷に姿を見せたのは、それから二週間後のことだった。
「本日の夕飯までに必ず帰ると、今ほどボスから連絡が入りました」
きっと今日もロイドがここへ来ることはないだろうと思っていた昼下がり。
その矢先に、そんな知らせを受けることとなったのである。
彼が不在の間、一体俺はどんな顔をして待っていたのだろうか。
ロイドの部下の一人――ベレントさんは、やけに嬉しそうな様子で、彼の来訪を知らせてくれた。
ロイド同様に物騒な仕事をしている人達ではあるが、こうしている分には人畜無害そのものである。初めの数日こそ警戒していたが、向こうからフランクに日本語で接してくれるものだから、二週間もあれば、屋敷内に常駐している部下の人達とは普通に雑談をする仲になった。まあ、人数でいえば三人なのだから、それほど高いハードルではなかったのだが。
その中でも、特に離す機会が多かったのがベレントさんである。
ロイドが今日はここへ来るのか否かの連絡が主だったが、屋敷の外へ出られない俺を慮って本などを提供してくれたのだ。読書家である彼は、日本語で書かれた本はもちろんのこと、今後の為にと初歩的な英会話本なども持ってきてくれた。その英会話本というのが非常にわかりやすい内容のもので、お礼を言うと、ドイツの生まれである彼が、その昔に英語を覚える為に読んだものと同系列のものだと、その灰色の目を細めて教えてくれた。
「今日の夕飯のメニューって、もう決まってますか?」
だから、これくらいの会話はなんの問題もなく行えるようになっていた。
俺の問いかけに、ベレントさんは思い出すように顎に手を当て、答える。
「肉が食べたいとのリクエストが来ているので、その方面で考えておりますが」
「俺も手伝って良いですか?」
この二週間で、どこまでか彼らにとって許容範囲内の『お願い』であるかを見極めた俺は、安全圏の『お願い』を申し出ることにした。
「もちろん、それは構いませんが」
言いながら、ベレントさんは少し悲し気に眉を下げる。
「私どもの味付けでは、お口に合いませんでしたか?」
「え? あ、違います違います! 料理は、ものすっごく美味しいです。俺なんかには勿体ないくらい、すっごく美味しいんです」
そうじゃなくて、と俺は続ける。
「一品だけ、俺に作らせてもらえないかなって思って」
俺の発言に、いまいちピンとこないとばかりに首を傾げるベレントさん。
「……プリンを、作ろうかなって思ったんです。疲れてる人には、甘いものが良いかなって思って。駄目ですか?」
明確にやろとうとしていることを伝えると、ベレントさんの表情は明るくなった。海外の人は、本当に感情表現豊かである。
「駄目なわけありません。是非、作ってください。ボスも喜びます」
善は急げとばかりにベレントさんは俺の背を押し、厨房へと足を進める。
「だと良いですけど。あ、俺が作ったって、ロイドには言わないでもらえますか?」
「何故です?」
ベレントさんのもっともな問いに、俺は少しだけ躊躇ってから、
「だって、恥ずかしいじゃないですか」
と、自分の足元を見ながらに答えた。
「……」
「……? ベレントさん?」
無言になったベレントさんが物珍しくて、ふと顔を上げて見る。すると、困ったように苦笑している顔が、そこにはあった。
「そういう表情は、私ではなく、ボスに見せてあげてくださいね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。それよりも鵜久森様、プリンをお作りになられるのなら、急ぎましょう。あれは作るのに、なかなか時間のかかる食べ物です」
階段を下りて、廊下を歩き、厨房へ。
場所だけは把握していたが、足を踏み入れるのは、これが初めてだった。
厨房は、ダイニングルームの隣にある常識的な広さの部屋である。多種多様な調理器具に囲まれたここに豪奢な代物などひとつもなく、そういう意味では一番落ち着く部屋かもしれない。
「ここのものは、ご自由にお使いください。なにかありましたら、私やカルテーリ、マクブライドが屋敷内におりますので、お声がけください」
「はい、ありがとうございます」
「どういたしまして」
では、失礼いたします。
そう言って一礼し、ベレントさんは出て行った。
「……よし」
小さく気合いを入れてから、俺は久しぶりのプリン作りを開始した。
疲れているときは甘いものに限る。
だから俺の唯一作れるプリンで、働き詰めのロイドを労ってやりたかった。
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