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3.――「ワタシノ、アイジンニ、ナッテクダサイ!」
しおりを挟むそうしてロイドが部屋に戻ってきたのは、しばらく経ってからであった。
部屋の中に時計がない以上、正確な経過時間は不明だが、あのまま戻って来ないんじゃないかと考え始める程度の時間は過ぎたように思う。
「オマタセシマシタ!」
再び現れたロイドは、なんと日本語機能を実装していた。
まさか、その為に外に出ていたのだろうか。
「ヒイロ」
精悍な顔つきで、ロイドは丁寧に俺の名を口にする。
今度は隣には座らず、なんと、俺の前に膝をついた。
そして右手をこちらに出して、言う。
「ワタシノ、アイジンニ、ナッテクダサイ!」
と。
その一言で、ようやく俺は現状に得心が行った。
愛人。
それが、俺がこの場で殺されずにいる理由だったのだ。
「それは……俺でないと駄目なことですか?」
「モチロン!」
ロイドほどの容姿であれば女性が放っておかないだろうに、どうして俺なのだろうか。どこをどう見ても平均的でしかない鵜久森日色という人間の、一体なにが彼の琴線に触れた? わからない。住む世界すら違う人間の思考回路なんて、俺には到底理解できるはずもない。
しかし、いっそ不気味なほどに、俺は男から「愛人になって欲しい」と言われ、存外拒絶する気持ちは少なかったのである。否、正直に言えば皆無だった。
「誰でも構わない」という「役割」を「無個性」に実行するだけだった、鵜久森日色。
それが生まれて初めて、「鵜久森日色」として「必要」とされる「役割」を与えられんとしている。
生まれて初めての「役割」が「愛人」というのにはさすがに抵抗がないわけではない。が、それに目を瞑れさえすれば、俺は俺だけの存在理由を手に入れられると思うと、不思議と気分が高揚する思いがした。
「……お、俺で、良ければ……」
「ソレハ、Yesッテコト?!」
「……はい」
遠慮がちにロイドの右手を取ると、途端に強く握り返された。その真っ直ぐな視線を正面から受け取るには、俺ではあまりに分不相応で、思わず顔を逸らした。
「Trying to be happy together」
言いながら、ロイドは顔を背けた俺の頬に、優しいキスをした。
彼の言葉を聞き取ることは、やはりできなかった。
「ヒイロ。オナカ、スイテル?」
ゆっくりと俺の頭を撫でながら、ロイドは言う。
「チョウショク、ヨウイシテアル」
「ああ、はい。じゃあ、頂きます」
「Non! ヒイロ。ケイゴ、ダメ。ムズカシイ」
「……わかった」
「Good! ジャア、イコウ」
慣れた様子で俺の手を引き、ロイドは呆気なく俺を部屋の外へと連れ出した。
「え? あ、あの、ロイド」
部屋の外は、予想していたよりも小さな造りの屋敷だった。いや、小さいとは言っても、その廊下の長さは実家なんて目じゃないほど長いのだが。あんな豪奢な部屋だから、途轍もなく広大な屋敷だと思い込んでいた。
「俺、部屋から出て良いの?」
「?」
しかしロイドは質問の意図がわかっていないのか、日本語が通じなかったのか、小首を傾げるだけだった。
「ルール、オシエル。アトデ」
そんなやり取りをしつつ、階段を下りて案内された部屋は、これまた絢爛豪華な仕様だった。細かい差異は俺なんぞにわかるはずもないが、ついさっきまで俺が居た部屋よりもさらに高級な品々で固められていることくらいはわかった。ここはいわゆるダイニングルームとかいう、富裕層しか持たない部屋の類だろう。下手になにかに触れて壊しでもしたら、果たして俺の内臓を売り飛ばすだけで事足りるだろうか……。
「ヒイロ。コチラニドウゾ」
「……うん。ありがとう」
部屋の中央に置かれたテーブルは、決して大きなものでははい。せいぜい六人分ほどが食事を囲めるほどのものだ。
ロイドはその六席の中から、窓の外がよく見える席を案内してくれた。俺が椅子に掛けたのを見届けてから、ロイドはその正面の席に座る。
ほどなくして、この屋敷の使用人なのだろうか、黒服の男たちが料理を手に部屋へと入って来た。俺とロイドの前に置かれたそれは、トーストに目玉焼きにベーコン、そして牛乳という、至極一般的なものだった。
「オカワリ、タクサンアル。アー、タントオタベ?」
妙にしどろもどろな様子で言うロイドに、視線を料理からロイドのほうへと向ける。
するとロイドは、なにやら辞書のようなものを片手に話をしていた。あれは、外人向けの英和・和英辞典だろうか。どうして急に日本語を使えるようになったのか、甚だ疑問ではあったが、なるほど辞書か。一応スマホも併用しているが、メインは紙辞書のようである。スマホのほうが効率的だろうに今日日珍しい人だ、と思う。
「えと、じゃあ、いただきます」
「イタダキマス」
きっとロイドなりにこだわりがあるのだろうと考え、特に指摘はせず、俺は手を合わせて朝食にありつくことにした。
「……うまっ」
普段は男の一人暮らしで碌なものを食べていない貧相な俺の舌でも、この朝食が途轍もなく美味しいということは理解できた。こんなシンプルなメニューなのに、どうしてこんなに美味しいんだろう。疑問に思う間にも手は止まらず、次へ次へと頬張った。
「……フフッ」
だから俺は、ロイドのそんな笑い声が聞こえるまで、貪り食べていることに気がつけなかった。
「……ごめん。行儀悪かった」
「オイシイ?」
けれどロイドは微笑んだまま、そんなことを言うのだった。
「うん。すごく、美味しい」
「オカワリ、タクサンアルヨ」
「……うん」
頷いて、今度は落ち着いて食事を続けた。
始めは気がつかなかったが、どうやらロイドは最初から俺をまじまじと見つめていたようだった。それは俺の挙動に不審な点があるかどうかを吟味しているというよりかは、付き合いたてのカップルが相手に向けるような熱っぽい視線で、俺は疑問符を浮かべつつ、それを言おうとは思わなかった。気恥ずかしくて、顔を上げることもできなかったのだ。
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