クーデレ系乙女ゲームの悪役令嬢になってしまった。

瀬名ゆり

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29 正しいことが常に最善の選択とは限らないと思うから

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「……待って、瑠璃ちゃん!」


 次の時間が体育だと黄泉は言っていたけれど。そんなこと瑠璃ちゃんを追いかけない理由にはならなかった。

 きっと私は授業には間に合わないだろうな。

 立花家の令嬢として以前に、学生として授業をサボるのはいかがなものか。そう、頭の中の冷静な私が呆れている。

 わかってるわよ、私の選択は正しくなんかないってことくらい。

 でもね、正しいことが常に最善の選択とは限らないと思うから。

 ──だから私は今にも泣き出しそうな彼女を追うことにするわ。


「どうして追いかけてくるんですか!」
「あなたが逃げるからでしょう! 逆に聞くけどどうして逃げるのよ!」
「そ、それは……」


 ……くうぅぅぅ。
 瑠璃ちゃん、あなた、とっても足が速いっ……!

 どんどんどんどん私達の差が開いていく。前世ではそれなりに足が速かったけれど。そういえば、私って『立花雅』になってからほとんど走ったことなんてなかったわ。

 基本的に早め早めに行動するし、送り迎えは車だし。前世のように、乗りたい電車に間に合わないから全力でダッシュすることなんてまずない。

 体育でも体づくりだとか言ってマット運動したり、みんなで楽しくゲームしたりするくらいだもの。

 本気で走ったことなんてなかったから、そもそも自分の足が速いのか遅いかも知らないのよね……。

 ……でも、これだけはわかる。瑠璃ちゃんは圧倒的に私よりも足が速いっ!

 くっ、これじゃあ見失ってしまう。


「瑠璃ちゃん、あのね……もしかしたら私達は同じ──」


 私と同じく基本的に麗氷の生徒は10分前行動だから、授業開始直前であろう今は周りに誰もいない。

 姿が見える内に私は瑠璃ちゃんと話をしようとしたけれど。──それは叶わなかった。


「聞きたくありませんっ!」


 彼女が私の言葉に覆いかぶせるように言葉を発したから。下り階段の手前で彼女はようやく足を止める。


「……わたくしは、今はお姉様の顔を見たくないんです! 会いたくなんかなかったのにっ、どうして追いかけてくるんですかっ」


 こちらを向きながら、1歩、また1歩と、瑠璃ちゃんは後ずさる。そうしているうちにどんどん階段に近づいていく。


「瑠璃ちゃん、はぁ、はぁ……待って、止まって……」


 すぐ後ろに階段があると告げようにも、先程の中距離全力ダッシュのせいで、私は肩で息をしている状態だ。思うように上手く言葉を発することが出来ない。


「来ないでって……はぁ、はぁ……言ってるのに」
「──っ! 瑠璃ちゃん、後ろ!」
「え──」



***



 引き止めるお姉様の言葉を聞かずに、私はまた1歩後ろへ下がったけれど。そこにあると思っていた地面はなく、ああ踏み外したんだと思った時にはもう遅かった。

 人間って、生命の危機に瀕した時、全てがスローモーションに感じるって、本当だったのね。

 だって、踏み外してからこんなに長く宙に浮いていられるはずないもの。

 ……きっとバチが当たったんだわ。

 お姉様を避け、挙句の果てには逃げ出して……今なんて彼女の言葉を聞かずに無視をした。こんな私なんて落ちて当然よね……。

 諦めて瞳を閉じた瞬間、右手首をグイッと力強く引っ張られた。


「いっっったあぁぁ……瑠璃ちゃん、怪我はない?」
「……わ、わたくしのことよりも、お姉様がっ!」


 どうやら、すんでのところで彼女が私を助けてくれたようだった。

 助けてくれたことは感謝しているけれど、私なんかの心配よりも、まずは自分の心配をして欲しい。

 ……ものすごく鈍い音がしたけれど、お姉様大丈夫なんですかっ!?


「……痛くありませんか? ものすごく痛そうな音しましたけれど……」
「あはは、実はものすごく痛いの。痛くて今にも泣きそう」
「痛いんじゃないですかっ! 笑い事じゃありませんよっ!」


 でも、瑠璃ちゃんに怪我がなくて良かったわと、何事もなかったかのようにお姉様は笑う。

 本当はすごくすごく痛いくせに。痛くて泣きそうだといいながら、どうして私の心配なんか出来るのよっ。


「何やってるんですか。……あなたを否定して、すごく傷つけた……わたくしなんかを庇って、自分が怪我をして……」


 階段から落ちそうな私を助けるために、お姉様がものすごい勢いで引っ張ってくれたおかげで私はほぼ無傷だ。

 だけど、そのせいで私の下敷きになり、お姉様は後頭部を強打した。

 平気だと彼女は私に微笑むけれど、その瞳が少しだけ濡れているような気がするのは気のせいではないだろう。

 どうしてあなたが犠牲になる必要があるのよっ!

 私なんて、このまま落ちれば良かったんだ。そうすれば、お姉様が怪我をすることはなかったのに……。

 言いたいことは山ほどあるけれど、上手く言語化出来ない。私はただ彼女に怪我をさせた自分の不甲斐なさを彼女にぶつけた。


「もう2度と危険なことはしないでくださいって言ったばかりじゃないですかっ!」


 ……違うっ。本当はそんなことが言いたいんじゃない。

 謝らなきゃいけないのにっ、いつものように素直になれない。

 私、いつもどんな風にこの人と接してたっけ?

 そうだ。憧れのアイドルに接するファンみたいに、盲目に彼女を崇拝していた。

 だけど、彼女はきっと、私が憧れ会いたかった『立花雅』じゃない。

 そんな彼女に、私はどんな顔をして会えばいいのだろうか。


「……ふふ、そうね。以前も瑠璃ちゃんはこうしてわたくしのことを心配してくれたわね。でもわたくしは約束出来ないと、あの時言ったはずだわ」


 確かに、前に言われましたね。あの時は保健室でしたよね。

 ……ああ、もう1度彼女と会った時にその答えがはっきりと出てしまいそうだなんて嘘だ。本当はとっくにわかっている。

 お姉様も私と同じだ。同じ転生者だ。そしてそのことをおそらくお姉様も気がついている。

 けれども、そのことをお姉様の口から聞いてしまったら、今度こそ本当に私の今までしてきたことは無駄になってしまう気がして、認めたくなかったんだ。

 こんなにも彼女は『立花雅』とは異なるというのに、ずっとずっと長い間気付かぬ振りをしていた。その違和感を見逃していた。

 お姉様には何をやっているんだと言うくせに、私こそ何やってるんだろう。

 赤也の言う通りね。私は彼女のファンを自称しながら、全然彼女自身を見ていなかった。


「言った、でしょう。目の前に……解決出来るかもしれない、問題がある……というのに、それを見て見ぬ振りをすることなんて、わたくしには出来ないって……」
「……お姉様っ」


 次第に、言葉が途切れ途切れになり、先程まで微笑んでいたお姉様は今は無表情。生気を感じられず、本当に人形のようだ。


「……現にあなたが怪我をしなくてすんだわ」
「それであなたが、雅様が怪我をしたら……何の意味もないじゃないですかっ」
「あら、わたくしこう見えて結構頑丈なのよ? 今だって、全然……へい、き、なの……よ」
「……お姉様っ!!!」


 意識を失ったお姉様は本当に人形のようで、それこそ今まで見たどのお姉様よりも、1番『立花雅』らしかった。



***



 急いで職員室まで向かい、なんとか保健室までお姉様を運んで貰った。慣れた手つきで養護教諭はお姉様の左腕の擦り傷を手当すると、会議があるからとアイシングを私に任せて申し訳なさそうに出て行ってしまった。

 ちなみに、多忙なお姉様のご両親は仕事を抜けられそうにないので、代わりにお兄様が放課後迎えに来るそうだ。

 今すぐにでもという彼を説得するのは、傍から見ても大変そうだった……。

 急病ではないから最後まで授業を出てからでいいけれど、念の為このあとすぐにきちんと病院に行くようだ。


 ぶつけたのは後頭部だから、本当は氷嚢よりもアイス枕の方が良かったんだろうけど。すぐに用意出来るのがこれしかなかったらしい。

 お姉様の後頭部に氷を当てる。少し手が疲れるけれど、彼女のためなら構わなかった。


 ねぇ、お姉様。……私、本当はとっくにわかってたんです。あなたは私がずっとずっと会いたかった『立花雅』じゃないってこと。

 だって、あの世界の雅様はこんな無茶する人じゃなかったもの。もっと落ち着きがあって、基本的に笑顔の安売りをしない、人形みたいに綺麗な人よ。

 そして、みんなに愛され大切に育った、まさに深窓の令嬢を具現化したような人。

 ……お姉様なんて、いっつも誰にでもニコニコ愛想がよくて、憧れのマドンナと言うよりは親しみやすいクラスの人気者で。守られるよりも、自ら危険に飛び込んで誰かを助けようとする人。自分が倒れようとお構いなしで。……これで2回目ですよ?


 まったく、本当に全然違う。『立花雅』とは似ても似つかない。


 ……なのに、どうしてこんなにも目が離せないんだろう。


 ……おかしいと思ったんです。そもそも『有栖川赤也』はあんなに社交的じゃないし。ツンデレ担当クーデレ王子である彼は、ヒロインにも終盤でしか笑顔は見せてくれなかったというのに、社交の場でめちゃくちゃ愛想笑いをするし。

 それに何よりも一向に青葉お兄様と婚約なさらないし。本来なら入学前に婚約していたでしょうに。おかげでお兄様は他の方と親しげになさってますし。


 ……もう、あなたのせいで私の計画丸つぶれですよ。


 あなたが『立花雅』でないのなら、私が2人を取り持つ必要なんてないんですもの。

 今までの努力が無意味なものだと思うと、それはやっぱりすごく、すごく悲しいことのように感じる。

 ……けれど、どうしてか私は『立花雅』以上に、あなた自身・・・・・に惹かれているみたいなんです。

 さっき、気を失った時のお姉様は本当に人形のようで、それこそ今までで1番『立花雅』らしかった。

 そんなあなたを見て咄嗟に私は嫌だと思ってしまった。そんな『立花雅』らしいお姉様よりも、いつもの陽だまりのような笑顔で私の名を呼んで欲しいと、そう願ってしまったんです。

 私はあなたが『立花雅』ではなくて少し悲しかったけれど、それ以上にあなたが雅様あなたで良かったって、心から思ったんです。

 お姉様の目が覚めたら、まずは今までのことを謝ろう。

 もし許して貰えるのなら、2人でたくさんたくさん話がしたいですわ。そうですね、今までは私がお兄様のことばかり話していたから。これからはそれ以外の話を。

 私達にしかわからないような、あのゲームの話はもちろん、もっともーっとたくさん話したいことがあるんです。

 だから、お姉様。早く目を覚ましてくださいなっ。


 お姉様の綺麗な寝顔を見つめながら、私はそんなことを考えていた。

 私の願望がかない、お姉様と仲直りをするまで、あと数時間。

 それまで、私達は養護教諭が帰ってきたことにも気付かず、一緒にぐっすりと眠ってしまっていた。
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