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111 瑠璃、僕と婚約しない?
しおりを挟む『もっと自分のことを優先して欲しい』と少女は少年に言った。
これからは自分に縛られず、もっと少年自身のことを優先して欲しいとも。
少年は別に自分を蔑ろにしてきたつもりはなかった。自分が優先したいと思うもの──つまり少女を優先することは、すなわち自分の意思を優先することで。それは自分自身を優先していることと同義じゃないか、と思ったが、少女がそれで納得しないであろうことは長年の付き合いからよく分かっていた。
何と応えれば良いのか分からず黙り込んでいると、少女は言葉を続けた。
『もちろん、あなたがわたくしのことを大事にしてくれるのはとっても嬉しいのよ? けどね、そろそろ自分の幸せのことも考えなくちゃ』
『……姉さん』
『いつまでもわたくしに付き合って、ひとりでいる必要はないのよ? わたくしのためだなんて考えないで。赤也は、赤也自身の人生を歩んで』
少年は、そんなつもりはまったくなかったが、少女がそう言うのなら答えはひとつだった。
『……わかったよ、姉さん』
笑って頷けば、ホッとしたように少女も微笑み返してくれた。
***
「赤也?」
「鈴叔母さん!」
とあるパーティーで、瑠璃と西門さんと話していたら、今日本にいるはずのない僕の叔母が目の前に現れた。
確か彼女はヨーロッパに出張していたはずだ。どうして日本にいるのだろうか、と疑問に思っていたら、すぐさま予想より仕事が早く終わったからだと教えてくれた。なるほど、そういうことか。
「ちょっと鈴、勝手にどこに行くのよ。私を置いて……」
「ああ、リョーコさんごめんなさい。ついうちの甥っ子の姿が見えたものだから」
「……甥っ子って……ああ、赤也くん?」
「お久しぶりです、綾子さん」
「久しぶりね。見ない間にまた少し背が伸びたみたい」
叔母さんの背後から現れたのは、立花綾子さん。僕の姉さん──立花雅さんの伯母にあたる人だ。
腰まで伸びた豊かな黒髪に、陶器のように美しい肌は、姉さんを連想させる。見た目だけなら立花のおじさん──姉さんのお父様よりも、綾子さんの方が姉さんに似てるんじゃないかな。年を取ったら姉さんもこんな風になるのかな、という未来予想図みたいだ。
「……今日はあの子はいないの?」
綾子さんの言う『あの子』とはもちろん──姉さんのことだ。
「はい、今日はいないですよ。何か姉さんに用事でも?」
「……そう、いないのなら別にいいの。特に用があったわけじゃないから」
彼女は、姉さん曰く比較的誤解されやすいもの言いをする人らしいけれど、姉さんのことを大切に想っているのを僕は知っている。もっとも、姉さん本人は気づいてないみたいだけど。
僕から姉さんにそれを伝えてもいいんだけど、別に綾子さん自身がそれを望んでいるわけじゃないみたいだし、余計なことはしないでいる。
「姉さん姉さんって、ほんっっっと赤也は雅ちゃんのことが好きね……」
「ほっといてくださいよ」
「そんなんじゃ、いつまでたっても……あらあらあらぁ?」
そこでようやく叔母さんは僕の隣にいる2人の存在に気がついたらしく、ニタニタしながら「そちらは?」と聞いてくる。
……嫌な予感がするのはきっと気のせいじゃない。
面倒くさいのでさらっと2人の紹介をする。緊張しているのか、瑠璃の頬が少し赤い。あからさまにソワソワし始めた。それに比べて、西門さんはいつも通りふてぶてしい面構えだ。
「……あら、貴方、以前麗氷のダンスパーティーで、うちの雅ちゃんとペアを組んでいた子よね」
「はい。と言っても2年も前のことですけどね。去年は彼女と──瑠璃とペアを組みました」
西門さんが瑠璃に視線を向けると、綾子さんは興味なさげに「へぇ、そうなの」とさらっと返した。けれど、鈴叔母さんは「えええっ!」と過剰にリアクションを返す。
「……まさか貴方たち婚約してるの!? 一条家と西門家だし、家柄的には申し分ないわよね……えええ~……」
「……いえいえいえ! まさかそんな! 黄泉様とは全然そんな関係じゃありませんわ!」
どうしようとぶつぶつ言っている叔母さんに、瑠璃が力いっぱい否定する。すると何故か西門さんは不機嫌になったけれど、叔母さんは「それは良かった」と上機嫌になった。ちょっと、叔母さん。良かったって、何が良かったんですか。
「……ところで、瑠璃ちゃん。これは別に何の他意もない質問なんだけどね?」
もうその前置きが他意がある。嫌な予感的中だ。
「立花雅ちゃんのことはどう思っているのかしら? ……というか、ご存知かしら?」
「……もちろん存じておりますわっ! お姉様はお綺麗で、気立てもよくて、上品で、聡明で……むしろ、麗氷に通っていてお姉様のことを知らないなんてありませんわっ!」
「『お姉様』?」
「はい、実は本当の妹のように親しくさせていただいていて、お姉様と呼ぶことを許可していただいているんです……ふふっ」
それから、姉さんの話で意気投合した瑠璃と叔母さんは、すっかり2人の世界だ。
「確かに雅ちゃんはお人形さんみたいに可愛らしくて、尚且つ気立てもいい子よね」
「そう、そうなんですよ!」
この2人が気が合うのは些か意外だ。ともすれば同族嫌悪なのではないかと思っていたが、完全に僕の杞憂だったようだ。現に未だ2人の話は終わりそうにない。
仲良きことは美しき哉。けれども何故だろう。まだ、何か嫌なことが起こりそうな気がするのは……。
唯一血縁者の綾子さんは、初めはそんな2人を満足気に見ていたけれど、そのうち2人の熱にあてられ、引き気味にどこかへ行ってしまった。
僕もこの流れにのろうと思っていたけれど、「ちょっと赤也、どこ行くの」と叔母さんにがっしり肩を掴まれてしまった。……さすが鈴叔母さん、僕のことよくわかってる。逃げるタイミングまでも。
「『自分の結婚相手くらい自分で見つける』って言っていたから、私てっきり雅ちゃんのことかと思っていたのよ。勘違いしてたわ。この子だったのね」
「「え」」
急に関係のない話を振られて、面を食らう。驚いたのは僕だけでなかったようで、西門さんと声が被った。
「……鈴叔母さん、いらぬ深読みしてない? 僕と瑠璃は──」
「だって瑠璃ちゃん、以前貴方が言っていた好みのタイプそのものじゃない!」
……好みのタイプ? そんなもの、叔母さんに言っただろうか。
『仮に雅ちゃんのことを恋愛対象として好きじゃないとして、じゃあどういう子が好みなのよ?』
『……好み? 別にないよ、そんなの』
『少しくらいないの? あるでしょ。絶対に譲れない条件くらい』
『えー……本当にないんだけどな。うーん、そうだなぁ……強いていえば──』
…………言った。すっかり忘れていたけれど、確かに言った。余りにも叔母さんがしつこいから適当なことを言った覚えがある。
「……『強いていえば僕と同じくらい姉さんのことを好きで、大切にしてくれる人』でしたっけ? 確かに、瑠璃ならバッチリ当てはまりますね」
「でしょ?」
というか、それはもう完全に瑠璃だ。今まで出会った令嬢の中で、僕と同じくらい姉さんを好きなのって瑠璃しか該当しないし。
姉さんのファンを自称するだけあって、瑠璃の『立花雅』好きは少々度が過ぎている嫌いがある。
普通の人なら、いくら好きだからって、自分の兄と姉さんを婚約させようとは考えないだろう。だが、瑠璃は普通じゃない。
姉さんの迷惑を顧みず、会う度しつこく一条さんの良さをプレゼンしまくった前科もあるしね。
そこまで瑠璃を『姉さんを異常に溺愛している人』と認識しているのに、どうして今まで気づかなかったのだろう。自分でも不思議だ。
驚き過ぎて沈黙する僕に、叔母さんはアシストするかのように瑠璃に話を振る。
「瑠璃ちゃんはどう? 赤也のこと好きだったりしないの?」
「……あはは、いやぁ、わたくしなんかに好かれても、赤也は迷惑ですよ」
「赤也、そうなの!?」
「いえ、好きになってくれて、僕はまったく構いませんが……」
「え」
……しまった。考え事をしている最中に話しかけられたせいで、「別にそんなことないけど」と言おうとして、思わず素直に本音を言ってしまった。これじゃあ叔母さんの思うつぼだ。
「……へぇ、そういう反応」
助けを求めて、先程から沈黙を貫いていた西門さんに視線を向けたら、何かぽつりと呟いていた。声が小さすぎてはっきりと聞こえなかったけれど、僕と目が合うと胡散臭くにっこりと微笑んだ。
「瑠璃も満更でもないみたいだしさ~、このまま本当に婚約しちゃえば?」
「僕と瑠璃が婚約ですか……」
……何を言うかと思えば……西門さんは時々、すごく良いことを言う。
「なるほど、いいかもしれません」
「「え」」
今度は瑠璃と西門さんの声が重なった。
西門さんが提案しておいて、どうして瑠璃と一緒に驚くのだろうか。まあ、今はそんなこといいか。
『いつまでも、わたくしに付き合ってひとりでいる必要はないのよ? わたくしのためだなんて考えないで。赤也は、赤也自身の人生を歩んで』
姉さんからそう言われた時、正直自分が誰かと婚約している姿なんて浮かばなかった。けれど、それが姉さんの願いなら、叶えてあげたいと思った。
なんて、こんなことばかり考えているから恋愛に向かないんだなと、そこはかとなく自覚はしていた。だけど、自覚していても、この性質が治るわけでもないので、諦めていた。
──そのはずだったのに。
『立花雅』のファンで、家族想いで、少しだけ我が強いところがあるけれど、初めて出来た唯一気の置けない女の子。
どうして気づかなかったのだろう。こんなに近くに、こんなにも綺麗な答えがあったのに。
「瑠璃、僕と婚約しない?」
思わずそう言葉に出してしまっていた。
瑠璃も驚いて目を見開いてしまっている。それはそうだ。言葉を発した僕自身が1番驚いているんだから。
***
赤也がなにを言っているのか、すぐに理解できなかった。
え……? 何か今さらっと……えっ!?
私は瞬きを繰り返したあと、その発想はなかったと心の中で呟いた。
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