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101 …… 君は本当に僕のことが好きだよね
しおりを挟む「やあ」
「……青葉、様」
これでも十分早く来たつもりだったけれど、既に彼女はそこにいた。どうやら薫子は僕が到着するよりもずっと前に、この場所に着いていたようだった。
ダンスパーティーで着るようなドレスは生地が薄い。通常、防寒具であるコートは、ここへ来る前にクロークに預けてしまうし、そんな薄着で寒空の下待っていた彼女が、風邪をひいてしまわないか心配になる。
「こんな所に呼び出してごめんね。真冬にテラスだなんて、……さすがに寒かったよね」
去年はサマーパーティーだったから、寒さへの配慮を全くしていなかった。完全に選択を間違えてしまった。これは僕のミスだ。
「……いいえ、そんなこと……くちゅん!」
「……風邪ひいちゃったかな? とりあえずこれ羽織ってて」
ひとまず自分のスーツのジャケットを彼女の両肩にかける。その時、微かに触れた彼女の肌が冷たくて、思わずぎょっとした。
「……え、君、一体いつから待っていたの? こんなに冷えて……絶対寒かったよね」
「青葉様がいらっしゃるほんの少し前ですわ」
それが優しい嘘だと気づけないほど、僕は鈍くはなかった。微かに震えている彼女を見て、「そうなんだ」と一体誰が納得するのだろうか。……いや、以前の僕なら彼女の言葉の裏なんて考えもしなかったかもしれない。彼女が僕にそんな嘘をつく必要なんてないから、「そうなんだ」と思ってしまったかもしれない。
──でも、今は。
『わたくしがずっと婚約を望んでいるのは、今も昔も青葉様おひとりですわ』
「……君は本当に僕のことが好きだよね」
知ってしまったから、彼女の切実な僕への気持ちを。だから僕が気に病まないように、嘘をついているのだと、痛いほど分かってしまうんだ。
「……ええ、とても」
「僕はずっと君は兄さんが好きなんだと思っていたから、正直今でもまだ混乱してる。……それに、君のことをどう思っているのかも明言できない。……けど、そんな君の気持ちに応えたいと思ったんだ。これから僕は、君と同じ気持ちになれるよう努力していきたいと思うよ」
「…………青葉、様」
瞳を潤ませる彼女に、そっと右手を差し出す。
『1曲踊りませんか?』
去年も似たようなことがあったなあ、なんて頭の片隅で思いながら。
「だからさ、君さえ良ければ、僕と踊ってくれないかな?」
薫子は、僕なんかの一体どこが良かったんだろう。よくわからないけれど、多分、これが現状僕が彼女に差し出せる、精一杯の誠意。
「……うっ、うっ……ひくっ」
「えっ、ど、どうして泣いているんだい」
自惚れじゃなければ、薫子は喜んでくれると思っていたけれど。僕がダンスに誘うと、彼女は急に泣き出してしまった。彼女の涙を見るのはこれで2度目だ。
泣かれるのは苦手だ。こんな時どうしたらいいのかわからないから。
何かしてやりたくて、慰めるように頬を伝う涙を拭う。
「ごめん、やっぱりダンスはやめておこうか……」
「……ど、どうしてそうなるのですか!?」
「だって泣いてるから、嫌なのかと……」
「ちっ、違います! これは嬉しくて……」
「嬉しいと君は泣くの?」
「はい。人は、悲しいだけでなく、とても嬉しい時にも泣いてしまうものなんですよ」
……僕は人の気持ちをあまり上手に汲めない。黄泉みたく察しも良くない。けれど、多分これは薫子の本心なのだと、その笑顔から推測は容易だった。
「……そっか。ならよかったよ」
彼女を連れて室内に戻ると、テラスの出入口で給仕が床に零れたスイーツを片付けているのが目に止まった。
……いちごのタルトに、シフォンケーキ。コーヒーゼリーと、モンブラン……かな?
ケーキのセレクトが、少しだけ彼女を連想させた。でも多分違う。彼女はコーヒーゼリーは苦手だと以前言っていたしね。
こんな些細なことで彼女を思い出してしまうなんて、自分はなんて未練がましい男なのだろうと自嘲するような笑みがこぼれる。目を伏せたその時、ふと緑色に光る何かが視界に入った。
「……これは──」
***
『……今はひとりにさせて。お願いだから、私のことは放っておいて』
きみがぼくに「ひとりにして欲しい」と言うのは、別に今回が初めてじゃなかった。だからぼくは「ああ、またか」と思って、ひと言も文句を言わず、わかったとただ頷いた。
彼女はいつもそうだった。何か困ったことや悩み事があると、いつも独りで抱え込む。決してぼくには何も言ってくれない。
まあ、彼女には今は独りで考える時間も必要だろうと、ぼくは無理矢理自分を納得させたけれど、本当は少しだけ不満だった。
いつも独りで抱え込んで、自分勝手に線を引いて、他人を寄せ付けようとはしない。婚約者のぼくにだって何も言わないのは、さすがにどうかと思う。そういうことされるとすっごく傷つく。
辛いなら辛いと言って欲しいし、泣きたいのなら我慢せず涙を流して欲しい。いっそそうしてくれれば、肩を抱き慰めることもできるのに。きみは絶対にそんなことしない。それはぼく自身がよく知っている。
きみがこういう態度なのはいつものことだし、ぼくはそれでいいと思ってた。
これから先もずっと一緒にいるんだ。焦る必要はないって。だから今はいい。けど、話せる時が来たらちゃんと教えて欲しいって。
しのがそうしたいならそれでいいよって、いつも平気な顔をしてた。
──だけど、あの日。
ウィンターパーティーの日。きみが他の男の人と踊っている姿を見て、自分でもさあっと血の気が引くのが分かった。
『イッくん、どうかした?』
『……しのが一緒にいるのって、』
『ああ! 前野先輩だよね、あの前野家のご子息の!』
前野家──その名前は聞き覚えがあった。確か国内有数の玩具メーカーの……ということは、彼はその前野家の人間なのだろう。
『見て、イッくん! しのちゃん、楽しそうに笑ってるわ!』
『…………ああ、そう、だね。うん、本当に楽しそうだ』
『最近ずっと無理して笑ってるみたいだったから、あんなに楽しそうなしのちゃんは久しぶりに見るわ! ね、イッくんもそう思わない?』
無邪気に笑うあいりに、ぼくは胸が締めつけられた。しのの視線が、前野先輩に向けられている。手が、彼の背中に回されている。ダンスをしているんだから当たり前だ。けれど、当たり前のことなのに、何故か2人を見ていると落ち着かない気持ちになる。
『イッくん? どうかしたの? 具合でも悪いの?』
ぼくの様子に気づいたあいりが、不意に顔を覗き込んでくる。心配させないように「大丈夫だよ」と笑ってあげたいのに、どうしても笑うことができない。「何でもないよ」と首を振るだけで精いっぱいだった。
──……遠い。初めて彼女と自分の距離を遠いと思った。今まではずっと隣にいたから、それが当たり前で距離感なんて考えたこともなかった。
『いつか』なんて言っているうちに、いつの間にか、彼女は遠くへ行ってしまった。ぼくはぼくではない他の誰かに笑いかけながら踊っている彼女を見て思った。
ぼくたちはこの先もずっと一緒だと、どうしてそんなふうに思えたんだろう。なんの根拠もないのに。……どうしてだろう、ぼくはずっとそう思っていた。
この瞬間までぼくは、きみがぼくから離れていくなんて可能性を考えもしなかった。
つまり、正直に言うとぼくは全然軽く考えてたんだ。
ううん、というよりも、なんだかんだと理由をつけて、ぼくはただ、きみから拒否されるのを恐れていただけなのかもしれない。
昔からきみを知っていたから、きみのことは何でも分かった気になっていた。けれど、知ってるだけで、理解はしていなかった。
だからどうしてきみの心が離れてしまったのかも、ぼくはずっと気づけなかったんだ。
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