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72 答えを出すのがわたくしには怖かった
しおりを挟む「……子、薫子」
「……ハッ、すみません! わたくしとしたことが! 青葉様の前でぼーっとしてしまうなんて……」
「別に僕は気にしないよ。最近ずっとぼーっとしてるよね。兄さんと何かあった?」
真白様と……何かあったというか、なかったというか。別にそのせいでぼーっとしてしまったわけではないんですけどね。主な原因は、今目の前でわたくしに微笑む青葉様だ。
「もうみんな帰っちゃったし、僕らも帰ろうか」
青葉様のおっしゃっている『みんな』とは、わたくしの友人とそのパートナーの方々のことだ。彼らの提案でわたくし達はウィンターパーティーに向けてダンスの練習をしていたのだが、どうやらわたくしがぼーっとしている間に他の方々は帰ってしまったらしい。
「これで2回目になるけど、みんなで練習するのって案外楽しいんだね」
そう、これで2回目なのだ。青葉様がわたくしたちの練習に付き合ってくださるのは。
最初は驚きましたわ。とある昼休みに、ウィンターパーティーの練習用にと学園が解放しているスペースへ向かえば青葉様がいたのだから。そしていつの間にか彼らの間には『青葉様がわたくしのパートナーである』という共通認識が出来てしまっていて、青葉様も何故かそれを否定しないのだ。どうして違うと言わないのだろうかと考えている間に、この前は練習が終わってしまっていた。
気がつけば数日後の放課後──つまり本日の放課後に、次の練習の日程が決まっていた。
『他の人の世話ばっかり焼いて、ペアが決まった人は余裕だなあ~って思ってただけ~』
あの時は発言の意図をわかりかねていましたが、……黄泉様がおっしゃっていたことはこういうことだったのだろうと今ならわかる。
「……ステップを完璧に覚えていらっしゃる青葉様には、不必要な時間ですわよね。付き合って頂いて、申し訳ございません」
「そんなことないよ。いくら動きを完璧に記憶していたって実際身体がその通りに動くわけじゃないし」
それに、と彼は続ける。
「僕もダンスの練習したかったからね、ちょうどよかったよ。瑠璃に付き合ってもらってもいいんだけど……黄泉との練習で疲れてるだろうし」
青葉様は優しい。ご自分の妹の瑠璃さんの身体のことまで気遣って。そういうところが素敵だなと胸が温かくなる。
練習に参加してくださる理由はわかったけれど……、わたくしとのことを弁解なさらないのはどうして? いつもなら、真白様と違って嘘のつけない真面目で誠実な彼は、間違ったことがあればすぐにそれを正す。それによって誰か(主にわたくし)が傷つくことになっても。
加えて、どうしてダンスの練習を必要としているのだろう。まさか──。
『──青葉があの女をパートナーに誘ったそうだ』
あの時、真白様はわたくしにそう言っていた。
「もしかしてっ、『立花雅』さんとペアになったんですか?」
「立花雅さん? いや、彼女には誘う前に既にパートナーがいると言われてしまってね。誘うことすら出来なかったよ。1曲くらい踊れたらいいなとは思っているんだけどね、だからこうして未練がましく練習に励んでいるんだ」
「……そう、ですか。……あの、でしたら」
「うん?」
「わたくしと! ペアを組んでくれませんか!」
わたくしにとって、これは勇気を振り絞ったお誘いだった。
去年は青葉様が「真白様を誘う勇気はなかったけれど、1人は心細かったのだろう」と勝手に解釈してくださったけれど、今年はもうそれは通用しないのだから。
青葉様は顎に手を添えて少し考えるような仕草をしてから、「いいよ」となんでもないことのように軽やかに了承してくださる。
「……あの、本当にわたくしでよろしいんですか?」
「うん。いいよ、別に君でも」
「……え」
わたくしでもいいと彼は言う。……まさか。血の気が引く。
「誘おうと思っていた立花雅さんにはもう既にパートナーがいるし、本当はペアを組まずひとりで参加しようと思っていたんだけど、……君のご学友はどうやらおかしな勘違いをしているようだし。君にも面子があるだろうしね」
真っ青になっているわたくしに気づかず、彼は言葉を続ける。
「だから、薫子でも、僕は別にいいよ」
……ずるいわ、自分はどっちでもいいみたいな言い方。
『そうやって、もしも自分が『立花雅』のようだったらと、可能性の中に生きているうちは、何も変わることなどできはしないだろうな』
──あの時の真白様との会話がフラッシュバックする。
『お前は青葉に積極的にアプローチしないことによって、やれば出来るという可能性を残しておきたいんだよ。青葉の好みに近づいた自分ならば、振り向いて貰えるはずだと思っていたいから。もし本当にそうなった時に、振り向いて貰えなかったら耐えられないから』
『おっしゃっている意味が……』
『わからないと? ……いいや、お前は誰よりも理解しているはずだ。本来はなんの因果関係もありはしないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させているんだからなあ』
その指摘は、わたくしを大いに動揺させた。違う。わたくしは、全然理解なんてしていないわ。
『お前は自分が『立花雅』のようになったらきっと青葉は振り向いてくれるという可能性の中に生きていたいんだよ』
認めざるを得ない、心臓を射抜くような言葉だった。
『もし、お前がそうなったとして、今度はまた別の言い訳を使いはじめるだろうな。そうしていつまでも何もせず、青葉が誰かのものになってからあの時こうしていたらと嘆く。愚かだな』
『……違います! どうしてそんな酷いことを……!』
『どこが、俺ほど優しい男はいないだろう。だがいつまでもそんな悠長なことを言っていていいのか? 先日青葉がある女を呼び出すためにサロンを利用したそうだ』
『……青葉様が? 信じられませんわ……』
わたくしの知る限り、青葉様は真白様とは常に一定の距離を保ち、決して必要以上に近づかない。ましてこの学園では特に。真白様が麗氷だからと、麗氷男子に入学したくらいよ。1度利用したいと気になっていたサロンも、真白様が愛用していると知って、利用するのを諦めたはずだ。……その、はずだ。
驚きを隠せず目を見開くわたくしに、彼はとても楽しげにクスクス笑いながら答える。
『ああそうだ。あそこはよく俺が利用する。だから青葉個人では今まで1度も利用したことがない。にもかかわらず、今回青葉はサロンを利用した。つまりそんなリスクを犯してまで得たい何かがあったということだ。さぁて、そこで誰に会っていたと思う?』
『……まさか、』
『そう、そのまさかだ』
真白様がなにを言いたいのか察しがついてしまった。
『──青葉があの女をパートナーに誘ったそうだ』
それからすぐにその場を立ち去った。これ以上真白様のお話を聞きたくなくて。
だけど、本当は……。真白様、あなたの言う通りでした。ええ、そのとおりです、間違っていません。わたくしは心の底ではあなたの言うことを理解していました。青葉様に気持ちを伝えることをしないその理由から、その答えからずっと背けてきたんです。
答えを出すのがわたくしには怖かった。……ひどく惨めな答えだから。
けれど、青葉様のお言葉を聞いた瞬間。──あの瞬間、わたくしの中で何かが崩れた。
ああそうか。わたくしは彼が良かったけれど、彼はわたくしが良かった訳ではないんだ。彼女を誘えなかったから、彼女以外なら誰でも良かったんだ。
あなたが良いわたくしと、わたくしで良いあなたでは、想いの重さが違いすぎる。
「……青葉様が鈍感なのは、初めからわかってましたし、わたくしのアプローチに全く気づかれていないのだろうとは思ってはいました。……ですが、まさかここまで伝わっていないとは思っていませんでしたわ……」
「薫子? いったい何を……」
「わたくしがお慕いしているのは、真白様ではありません。青葉様。……あなたですわ」
「……え」
感情的になっても、物事はいい方向に進まない。そう。感情的になってはダメよ。それはとても愚かな行為だわ。頭では理解しているはずなのに、想いがとめどなく溢れてしまう。
わたくしは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、言った。
「わたくしがずっと婚約を望んでいるのは、今も昔も青葉様おひとりですわ」
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