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54 前野白狼
しおりを挟む俺と桜子の関係は、婚約者ではなく、『許嫁』だ。
それを知るといつも同じじゃないかと問われたけれど、俺からしたらこれら2つは全くの別物だ。
つまりなりそこないなのだ、婚約者の。それが『許嫁』。
その意味を正しく理解した時、幼いながらになんて自分にぴったりな言葉なのだろうと思ったものだ。
***
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……ではないな」
走り去る桜子を、清水も立花も一条妹も追いかけたようで、ここには俺達男が残されていた。
桜子のやつ、力いっぱい俺のことぶんぶん振り回しやがって……。未だに天井がぐるぐる回っている感覚がするし、足元はふらついて、立っていることさえままならない。
そんな俺を、サロンのソファーに他のやつらが横にさせてくれる。瞳を閉じてじっとしていること数十分。少しだけ回転感がなくなってきたころ、黄泉が俺に問いかける。
「前野の好きな人って、──綾小路さんでしょ」
思わず瞳を見開き、黄泉を凝視する。
「バレバレだと思うけどね。許嫁の話を聞いたあの時、すぐに気づいたし。な~んで、誰も気づかないんだろうね~」
動揺している俺に気づいているのかいないのか、黄泉は普段通りの口調で俺に問う。
「ね、そうでしょ、前野」
「……はは。今まで、立花みたいに俺達のことをお似合いだと言ってくる奴は大勢いたけど、こんなふうにあいつのことが好きなのかと聞かれたことはなかったな」
なんとなくではなく、確信を持って尋ねてくる友人に、誤魔化すことなどできなかった。
「──そうだよ。俺の好きな人は桜子だ」
***
少し長くなるけどさ、俺の話を聞いてくれるか?
おい、黄泉。そんなに嫌そうな顔をするなよ。お前が俺の好きな人を言い当てるから話そうって思ったんだぜ? つまりお前の責任でもあるからな? そうそう、わかればいいんだよ。……悪い、調子乗ったな。
桜子は俺を完全に異性だと認識していない節がある。だから、あいつがほんの少しでも俺のことを、なんてそんなバカみたいな期待、今は欠片も抱いていないけどさ。
昔は違ったんだ。当時の俺はその事に気づかず、いつかは俺を好きになってくれるんじゃないかなんて馬鹿みたいに信じてたんだ。
***
きっかけは桜子に好きな人が出来たことだった。いわゆる初恋だ。
そんな桜子が面白くなくて、俺は少しだけ意地悪をした。桜子から聞いていた顔の特徴と名前で相手を特定し、自分は彼女の許嫁だからちょっかいを出すなとわざわざ言いに行ったのだ。
そんな意地の悪い俺に、相手の男は少しだけ驚いた顔をして、それなら仕方ないねと少し寂しそうに笑った。
バツが悪かったけど、桜子の初恋の相手が許嫁がいるってだけで簡単に諦めてくれるような男で良かったって、俺は安心してた。
幸運にも、俺とあいつの関係を知った上でその関係を壊して手に入れたりするような奴じゃなかったから。そこは見た目通り紳士的なやつだった。
その日、俺は自分のしたことに満足して、家に戻った。
後日桜子が失恋により、大泣きをして幼稚園を早退したと知った時、俺は自分のしでかしたしまった事の重大さを自覚した。
すぐに彼女の家に向かい、泣き疲れて眠るあいつの頭を撫でながら、俺が何を思ったと思う?
これで桜子とずっと一緒に居られるって、家族になれるって、安心してる自分に気づいて、ひどく吐き気がした。
自分が汚いもんになっちまったような気もした。いや、気のせいじゃなくて、なっちまったんだろうな。
だって、俺はあいつの気持ちを意図的に邪魔して、踏みにじったんだ。
だから何度も何度も謝った。俺が、ただあいつに許されたくて。してしまった反省よりも、あいつに嫌われることが怖かったから。
そんな俺を「シローは悪気があったわけじゃないからもういいよ」ってあいつは許すんだ。
悪気しか、──悪意しかなかったのによ。
入学してすぐに、同い年の一条や黄泉を見て俺は絶望した。そして、俺には徹底的に華がないことを痛感した。天性の魅力を持った彼らのようにはなれない。
自分は絶対、あっち側の人間にはなれない。その事に気がつくのにそう時間はかからなかった。
昔から桜子が騒いでいたから名前は知っていたけど、実際に顔を見るのは初めてだったんだ。
絶望して、気づいたんだ。
桜子の初恋の相手みたいにしようと髪を伸ばしたし、服装だって変えた。振る舞いもあいつの隣りに立ってもいいように努力もした。
だけどどんなに髪を伸ばしても、どんだけ服装を変えても、それでも、絶対あっち側には行けないって。
その証拠にどんなに頑張っても、俺は桜子にとってただの頼れる幼なじみのままだった。せいぜい騎士がいい所だ。
唯一あいつの恋の相談を聞いたり、協力したりする時。その時だけは、ああ、俺なんかでもこいつの許嫁でいてもいいんだなって思えるんだ。
だけど本当はあいつの口から他の男達の話を聞く度、嫌で嫌で苦しくて、気が狂いそうだった。
嬉しいくせに、心から嫌悪してるんだ。
なんて自分勝手な感情だ。
……なあ? 歪んでるだろ?
時々どうしようもなくなる時がある。あいつが俺に笑いかける度、俺は違うんだって思い知らされるから。
俺がどう頑張っても、桜子にとって俺がそういう対象になることはないんだと、突きつけられるようで……。
俺はあいつの王子様にはなれないんだと。
惚れっぽい桜子が俺を好きにならない理由を知ってるか?
俺が桜子にとって、かっこよくないからだ。あいつはさ、一条みたいな奴が好きだからさ。
***
「……僕、ですか?」
「そう。お前みたいに爽やかでキラキラした王子様みたいなタイプ」
「ちよっ、青葉はそういう風に言われるのが1番──」
「いいんだ黄泉。僕のことは……」
「ほら、そうやってさ。前は立花に、今は黄泉に。何の苦労もせず、みんなに守られて。そして、それを当然のような顔をして受け入れてる。ははは、やっぱりお前は王子様そのものだよ、一条」
努力も何もしないで、俺の理想とする地位を得ている、心をざわつかせる存在。俺にとっては、それがこいつ、『一条青葉』だった。
「まあ、でも、だから、あいつの好みのタイプなんだろうな。俺とは大違い」
決して卑下してるわけではない。事実を正しく認識しているのだ。自分と彼らとの違いを。
「昔、大きなパーティーでお前を見かけた時、すごくかっこいいってはしゃいでたしな。……まあ、立花の婚約者候補って知ったらあっさり身を引いたけど。……ちなみに、黄泉と赤也くんのこともかっこいいって言ってたぜ」
ついでのように言われたのが嫌だったのか、黄泉も赤也くんも余り嬉しそうではない。それとも、単純にその顔を褒められることに慣れているのか。羨ましいことだ。慣れるほど優れた容姿を持っているとは。
「あいつはさ、昔っからお前らみたいに容姿が良い奴が好きなわけ。現に、今好きな人もそうだしな」
真白先輩を思い浮かべる。優しくて親切で、非の打ち所のない先輩。……そして一条の兄貴。当然、優れた容姿の男だ。
「桜子は昔から絵本に出てくるお姫様に憧れてた。『いつか自分にも王子様が現れるんだ』があいつの口癖だった。……でも、俺じゃあ、あいつの王子様にはなれないみたいだ」
その証拠に、俺は1度もあいつにかっこいいと言われたことがなかった。ただの1度も。
***
「……そんなことないわ! 前野くんは、十分素敵よ!」
バンッと勢いよく扉が開く。予期せぬ来訪に皆がそちらに注目する。
現れたのは、絹糸のように艶やかで豊かな黒髪をなびかせた、美しく、愛らしく、聡明で活発な、少女。
──『立花雅』だった。
「誰とでも別け隔てなく優しいし、男女問わずクラスの人気者じゃない! ……それに、すごく人間的魅力で溢れてるとは思うわ!」
「ありがとな、立花。そう言ってくれるのは嬉しいよ、すごく。……でも、ダメなんだ。いくら立花が俺を褒めてくれても、あいつにとってかっこいい存在じゃなきゃ、意味がないんだ」
「前野くんだって、かっこいいわ」
「こいつらよりも?」
「……っ、それは、」
言葉に詰まった立花の、穢れなど何も知らないような澄み切った漆黒の瞳。その瞳に浮かんだのは、間違いなく困惑だった。そしてそれは肯定も同然だった。
立花は、いつもまっすぐだ。両親や周囲の人間からこれでもかと愛情を注がれて育ったらしく、歪んだところのない子だ。だから今だって素直に言い淀んでしまう。
そりゃあそうさ。桜子だけじゃない。誰だって、俺とこいつらどちらかを選べと言われたら、こいつらを選ぶさ。
「ほらな? だから、俺はダメなんだよ」
だからそんな顔をしないでくれ。俺まで辛くなる。
彼女から一見冷たそうな印象をうけるのは、その容姿があまりにも端正で、人間離れしているからかもしれない。
本人曰く自分の顔は日本人形のようであまり好ましくないらしいが、そんなふうに思う存在は稀有だろう。
誰もが彼女の容姿を美しいと、好ましいと、表現する。
しかし、案外抜けているので放っておけないと桜子が言っていたっけ。そうだな。俺も立花のそういう所は可愛らしいと思っているよ。
「……わたくしは、」
「あー、別に、卑屈になってるわけじゃないんだ。ただ、俺じゃ、ダメなんだって、事実を正しく認識しているだけで」
気にしないでくれと暗に伝えるも、彼女の表情は曇ったまま。もしかしたら、自分のせいで俺が傷ついたとでも思って責任を感じているのではないか? 生憎、今更そんなことで傷ついたりなんかしないさ。
立花かける言葉を探していると、「そうかな?」と、一条が口を開いた。
「本当にそうかな? それを決めるのは、君じゃないんじゃない?」
「──だから、桜子が、俺じゃダメなんだ。俺なんかじゃさ」
***
俺と桜子の関係は、婚約者ではなく、『許嫁』だ。
それを知るといつも同じじゃないかと問われたけれど、俺からしたらこれら2つは全くの別物だ。
つまりなりそこないなのだ、婚約者の。それが『許嫁』。
その意味を正しく理解した時、幼いながらになんて自分にぴったりな言葉なのだろうと思ったものだ。
桜子との距離はたったの10センチ。腕を伸ばせばすぐに届く距離。だけど、その少しの距離を俺は縮めることは出来ない。
……それでもさ、俺はこれで結構幸せなんだよ。
自分では無理なのだと知った時、俺はこの不毛な想いを、黙って心の中にしまっておくことにした。
だって、この距離感があまりにも心地いいんだ。
伝えない。伝えても意味がないから。そう何度も何度も自分に言い聞かせては、気持ちに蓋をした。
だって、じゃないと、走り出しそうだったから。
──俺の全てが、あいつに向かって。
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