36 / 43
36 聖女オリヴィア
しおりを挟む浮き上がろうとする体を、力強い腕が押さえている。
ルシアンが、私を……引き留めてくれている。
オリヴィアが小さく舌打ちした。
『行くな、オリヴィア』
どうして私をオリヴィアと呼ぶんだろう。
私は織江でしかないのに。
『オリヴィア、私にはあなたが必要なんです』
そんなことを言われたら、未練が残ってしまう。
うれしくて、切なくて、でも別れなければいけないのが悲しくて。
もうどうしていいかわからない。
『私だけではない。皆があなたを待っている。元のオリヴィアではない、あなたを』
私を。
オリヴィアではなく、私を待っていてくれている。
涙が出るほどうれしい。私だって、本当は逝きたくない。
「ルシアンが干渉してきたようね。あの冷めた男がここまでするなんて……」
オリヴィアが忌々しげに言う。
「でも、わかっているわよね? この体は私のものだって。あなたは人の体を盗む泥棒なの? 本来の持ち主である私が死ねばいいとでも?」
「それは……」
その言葉に、ぐらつく。
また浮き上がる感覚が強くなる気がした。
「ルシアンだってあなたのほうが操りやすいから、あなたを引き留めているだけよ」
そんな言葉は信じない。
でも、やっぱりこの体は――
『その女が何を言っているかはだいたい想像がつきますが、耳を傾ける必要はありません。よく聞いてください。オリヴィアは……あなたです』
「え……?」
『この体の本来の持ち主は、あなたなのです』
どういう、こと?
「何を言われてるか知らないけど、さっさと逝ってくれないかしら?」
オリヴィアにはルシアンの言葉が聞こえていないらしい。
そして、ルシアンにもこちらの会話は聞こえていない。おそらく、私の声も。
それよりも、私がこの体の持ち主って?
『ずっと不思議だった……なぜ神力が回復していくのか。なぜ以前のオリヴィアより、清浄な神力を感じるのか。だから調べました』
調べた?
『今詳しい話をしている時間はありませんが、あなたはもともとオリヴィアなのです。だから、あなたが体を明け渡す必要などない。あなたが乗っ取られたのは、聖女として神殿に入る直前です。闇オークションであなたを買った貴族の未亡人――』
ぱちん、と音がして、ルシアンの声が途切れる。
オリヴィアが凶悪な笑みを浮かべていた。
「はぁ、ようやく外からの雑音を遮断できたわ」
「……」
でも、私の体を留めようとする感覚は消えていない。
おそらく声だけを遮断されたのだと思う。
「で。さっさといなくなってくれないかしら、泥棒さん。ルシアンが何か言っていたとしても、それは出鱈目よ」
「ルシアンよりもあなたを信じる理由はもうありません。そのルシアンが言っていました。この体は、もともと私のものだったと」
オリヴィアがさらにいら立った様子を見せる。
「寝言ぬかしてんじゃないわよ、お前はただの病弱な日本人よ!」
鬼のような形相で彼女が言う。
言葉遣いも、だんだんと乱れてきている。
「……どうして、聖女になる前の出来事を夢で見るのか、不思議でした。あんなにも生々しい、まるで自分が体験したかのような。そして、その夢の中では、オリヴィアは臆病で弱虫なんです。まるで私みたいに」
「だから自分がオリヴィアだって? 図々しいにもほどがあるわね。脳が入れ替わったわけじゃないんだから、お前が見たのは記憶の残滓に過ぎないのよ」
「私もそうだと思っていました。でも、さっき私がオリヴィアだとルシアンに聞いて……少し記憶が戻りました」
孤児院とは名ばかりのあの場所に閉じ込められ、闇オークションで売られた。
私を買ったのは、ルシアンが言いかけていた、貴族の未亡人。
最初はとても優しかった。
おかあさまと呼びなさいと言い、たくさんのものを与えてくれた。
でもある時から急に私を手ひどく扱うようになって、肉体的にも精神的にも虐待された。
――そこから先は記憶がない。
でも、今ならわかる。
「あなただったんですね。おかあさま」
「何言ってんの?」
「あなたが、私の体を奪った。最初は優しくしていきなり手ひどく扱ったのも、さっきみたいに私の心を弱らせて乗っ取りやすくするためでしょう?」
オリヴィアが馬鹿にしたようにため息をつく。
「妄想癖もそこまで来ると立派ね。お前は日本で十六歳まで生きたでしょう!」
そう。
私は日本で生まれ、十六歳まで生きた。最後の瞬間は記憶がないけれど。
目の前のオリヴィアが聖女になったのは、約三年半前。その頃に乗っ取られたのだという。
普通なら、計算が合わない。
でも……ここと日本は時間の流れが違う。
「昔、母が……言っていたんです」
「はぁ?」
「妊娠初期に、私の心拍が確認できなくなったことがあったそうです。でも翌週にもう一度エコーを見たら、心臓が動いていたって。そこから無事出産に至りました」
「だから?」
「あなたが聖女として神殿に入ったのがだいたい三年半くらい前とすると、日本では十七年半くらい前になりますね。もし……あなたに体を奪われた私の魂が、日本に逃げて、お腹の中で死んだばかりの赤ちゃんに憑依したのだとしたら。だいたい計算が合いますね」
「妄想を垂れ流してんじゃないわよ!」
「妄想と思うならそれでもいいです。ところで、なぜ私が十六歳で死んだと知っているんですか? アナイノを通じて適合者である私を探し出したということに嘘はないでしょうけど、それでいつどうやって私をオリヴィアの体に送ったんでしょうね」
「……」
彼女が小さく舌打ちする。
ああ……やっぱり。
私はいつ死んだのか憶えていない。あんな体だったから、いつ突然死したっておかしくはなかったんだけど。
でも、いくら私が病弱だったとはいえ、彼女がいつ起こるかわからない私の死の瞬間を待ち構えて私の魂をオリヴィアに送ったなんて考えられない。
だから――彼女は、私の魂を直接オリヴィアの体に送り込んだのだろう。
「私を、殺したんですね」
「どこにそんな証拠が? いい加減にしなさいよ!」
彼女がどうわめこうが、もう気にしない。
私の死の原因も、いまさら追及しようと思わない。
ルシアンは、私が本当のオリヴィアだと言ってくれた。
現時点で証拠があるわけじゃない。それが絶対に間違っていないとは言い切れない。
でも、私を心から必要としてくれている人たちがいるから。
私は、オリヴィアとして生きていく。
そう決意したとたん、私の姿は織江からオリヴィアに変わった。
「死因はもうどうでもいいです。でも、あなたが妄想だと言おうと、私が聖女オリヴィアです。この体は絶対に譲りません」
111
お気に入りに追加
166
あなたにおすすめの小説

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非!
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
元貧乏貴族の大公夫人、大富豪の旦那様に溺愛されながら人生を謳歌する!
楠ノ木雫
恋愛
貧乏な実家を救うための結婚だった……はずなのに!?
貧乏貴族に生まれたテトラは実は転生者。毎日身を粉にして領民達と一緒に働いてきた。だけど、この家には借金があり、借金取りである商会の商会長から結婚の話を出されてしまっている。彼らはこの貴族の爵位が欲しいらしいけれど、結婚なんてしたくない。
けれどとある日、奴らのせいで仕事を潰された。これでは生活が出来ない。絶体絶命だったその時、とあるお偉いさんが手紙を持ってきた。その中に書いてあったのは……この国の大公様との結婚話ですって!?
※他サイトにも投稿しています。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜
鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。
誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。
幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。
ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。
一人の客人をもてなしたのだ。
その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。
【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。
彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる