乙女ゲーの愛され聖女に憑依したはずが、めちゃくちゃ嫌われている。

星名こころ

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35 借り物を返すとき

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 体を返せ。

 その一言に、恐怖が全身を駆け巡る。
 あの質問をしたから豹変したの……!?
 怖くてどうしていいかわからなくて、日記を閉じようとする。
 でも体が動かない。どうして!?
 体を返せという文字がぐにゃりと歪む。
 日記を持つ手から、何かがずるずると体の中に入ってくる……!

 そこで、私の意識は途切れた。


 ……。
 ……。
 あれ……。
 ここ、どこ?

 目を開けると、一面、真っ白な世界。
 床や壁、天井の境目もわからない。何も存在しない。
 何が起こったのかわからないまま、うつ伏せに倒れていた体をゆっくりと起こす。
 そこで違和感を覚えた。
 床についた手が、ひどく骨ばっている。
 細すぎる枝のような腕に、ちらりと視界に入る肩あたりまでの黒い髪。

 オリヴィアの体じゃない。
 織江の体に戻ってる……!?

「お目覚めかしら? 織江さん」

 その声に、顔を上げる。
 ゆっくりと私の目の前まで歩いてきたのは……オリヴィア。
 ゆるく波打つ金髪と青い瞳を持つ美女が、腕を組んで私を見下ろす。
 その顔に浮かぶのは、揺るぎない自信と傲慢さ。
 ああ……なるほど。ルシアンが別人に見えると言ったのもよくわかる。ヴィンセントも疑うはずだわ。
 私がオリヴィアだった頃に、似ていない。
 顔立ちが同じでも、中身が違うとこんなにも違うものなんだ。

「さあ、いつまでもうずくまっていないで立って?」

 言われるまま、おずおずと立ち上がる。
 彼女の持つ威圧的な雰囲気に、のまれてしまいそう。

「初めまして、かしらね。私が聖女オリヴィアよ」

「……。ここは、どこですか」

オリヴィアの体の中ともいえるし、精神だけが存在する異空間ともいうわね」

 つまり、私も彼女も魂だけの存在だということだろうか。
 だから、ここはこんなにも白い、現実的でない景色なんだ。

「どうして……」

 それしか言えなかった。
 どうして、急に体を返せと言ったのか。
 どうして、異空間とやらに二人でいるのか。
 ……その理由は想像はつくけれど。

「ごめんなさいね、もう少し日本で楽しむつもりだったけど、もう終わりにしようと思って。つまり、私はもとの体に戻る。あなたは……帰る場所はないわねえ。肉体が死んでいるんだから」

 クスクスとオリヴィアが笑う。
 なるほど。
 直接会ってみるとわかる。
 彼女は信用に値する人間ではないと。

「どうしてルシアンがあなたを殺したなんて嘘をついたんですか?」

「あら、嘘だなんて。悲しいわ」

 歪んだ笑みを浮かべるオリヴィア。もう取り繕う必要がないせいか、否定はしない。
 やっぱり、ルシアンはいつでも私に誠実だった。
 そんな彼を少しでも疑ったなんて……馬鹿だった。

「だって、あなたがこの世に未練を残したら困るでしょう? ルシアンは見た目は最高の男なんだから、あなたのような若い子はきっと惚れてしまうんじゃないかと思って。未練が強いと、天の国へと旅立てずこの世とあの世の境目を彷徨う霊になってしまうの。あなたのためを思ってのことよ」

 この人の中で、私が死ぬのは決定事項らしい。
 苦い感情が、私の中に広がっていく。

「私が聖女の体に入ったのはなぜですか。ルシアンの魂喚ばいのせいではなく、あなたのせいですよね。……神力を使って作ったというアナイノに罠が仕掛けてあったんですか」

 彼女は私が日本から来たと最初から知っていた。
 そのことにすぐに違和感を抱くべきだった。
 気づいていたところで、この事態はどうにもならなかっただろうけど。

「あら、案外賢いのね。正解よ。聖女の体に適合する魂を持つ人間だけが、とあるパターンでゲーム内の選択肢をたどっていくよう作っていたの。そして色々な人の力を借りてあなたを探し出して、その魂を空っぽの体に送り込んであげたのよ」

 力を借りたなんて言っているけど、実際は神力で操ったんだろうなと思う。

「どうして、そんなこと……」

「だって、ルシアンの魂喚ばいで何度も私の魂が戻されそうになるし、いつまでも体が空っぽだと保存にも限界があるの。そろそろ体が腐ってしまいそうだから、とりあえず何か入れておこうと思って」

 あまりにも軽いその言葉にかっとなる。

「だったらそれで戻ればよかったじゃないですか!」

「まだまだ日本で遊び足りなかったのよ。自由だし、楽しいことがたくさんあるから。でもね、いざ実行してみると、やっぱり他人が私の体にいるなんて許せなくなってきたの」

 あまりの身勝手さに、悔しさが全身を支配する。
 オリヴィアが私に一歩近づいた。
 怖い。けど下がりたくない。
 彼女が私の肩に手を置く。

「だから、ね。私に体を返してちょうだい」

「……っ」

「まさか嫌だなんて言わないわよね? 短い間とはいえ、死にかけの体から一転、高貴で美しい聖女であることを楽しんだでしょう? もうじゅうぶんじゃない」

 言い返せない。
 楽しんだかどうかはともかく、しょせん私にとっては借り物の体だったから。
 消えるはずの命が、わずかな間、他人に憑依することで永らえただけだから。
 オリヴィアが、私の耳元に顔を寄せる。

「あとのことは心配しなくていいのよ。何年か自由を楽しんだし、ちゃんと聖女としての役目を全うするつもりよ。ルシアンや聖騎士たちとも仲良くやっていくわ」

 その言葉に、悲しくなる。
 彼女の性格がどうであっても、私が憑依させられた理由がどれほど身勝手でくだらないことであっても。
 この体は……彼女のものだから。
 だから、もう、会えない。
 メイにも、アルバートやヴィンセントにも、……ルシアンにも。

 私は、この体を明け渡さなければならない。

「ほら、あそこをごらんなさい」

 彼女が上を指さす。
 そこには、雲間から見える青空のような、わずかな青い空間があった。

「あなたはあそこに向かって飛んでいくといいわ。大丈夫、怖いところじゃない。天の国で安らげるわ」

「……」

 あそこに行けば、もう二度と。
 怖い。……本当は、行きたくない。まだ生きていたい……。
 魂だけの存在のはずなのに、瞳から涙が流れた。

「さあ、早く行きなさいよ」

 オリヴィアの声が、いら立ちを帯びる。
 私の肩に置いたままだった彼女の手に、力が入る。

「私の体を盗むつもり!? この体は私のものよ、返しなさい!」 

 金切り声に、心が打ち砕かれる。
 返さなければいけない。私のものじゃないから。私は、オリヴィアじゃなく織江だから……。

 体が、ふわりと浮き上がる感触。
 まるで、あの空の青に吸い寄せられるかのように。

「そうそう、それでいいの。聖女オリヴィアは私。あなたなんて誰も求めていない。あなたは死人なんだから、あるべきところへ帰るがいいわ」

 体が、さらに浮き上がる。
 きっとあそこに行けば、私の魂はオリヴィアの体から抜け出るんだろう。そして死ぬ。
 心に浮かんだのは、冬を思わせる美貌の人。
 だけど、私は、もう。

『行くな』

 思わず聞き惚れてしまうような、落ち着いた低い声。
 力強い腕が、私を後ろから抱きしめた。
 なぜ魂だけなのに感じるんだろう。その腕の強さも、背中を覆う温もりも。
 姿は見えないのに、その存在をはっきりと感じる。

「……ルシアン」

 また、涙が流れた。
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