縁は縁でも腐ってる

長澤直流

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◆伍

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「遅くなりましたが豊稔国の御姫おひぃ様をお連れいたしやした」
 陸尺がそう言うと門番の男は帳面をめくり、その名を確認して声高に叫んだ。
「豊稔国、姫君様。御到着っ、開門!」
「「「「開門!」」」」
 城門の扉がけたたましい音を立てて開かれた。


「そいでは、あっしらはここいらで失礼致しやす」
 美慶にそう言うと陸尺達は空になった駕籠を担ぎ、足早に来た道を戻ってゆく。
 一人残された美慶が、少し寂しくその方向の先に思いを馳せていると、城門の向こうから一人の若い武人が美慶の方へいそいそと駆け寄って来た。
「ようこそ、ようこそ御出でくださいましたっ、お待ち申し上げておりましたぞ! もうお越しになられないのではないかと冷や冷や致しました。私は此度、御前様の奥方様候補の一人で在られる豊稔の姫君様のお世話役を任されました宇木 恭之介うもく きょうのすけと申します。以後お見知りおきを――。ところでお連れの女中の方はどちらに…………?」
「私一人にございますれば、お気になさらずに。……此度はお招きありがとうございます。宇木殿、城内に上がる前に少々お話ししたいことがございまして……人払いをお願いできますでしょうか」
 宇木は訝しげな顔をしながらも美慶を四阿あずまやに案内し、人払いをした。
「ご配慮ありがとうございます。…………単刀直入にお聞き致しますが、此度の件で呼び出しに応じたのは豊稔の姫君、ということにお間違いのうございまするか?」
「……はい、そのように伺っておりますが……?」
「宇木殿、改めてご挨拶致します。私の名は美慶と申します」
「へ?」
 宇木は素っ頓狂な声をあげた。
「私は早菜姫ではございませぬ」
「……女中の方――という訳ではございませぬ……よね?」
 宇木は美慶の格好を見て口を開く。
 美慶の格好は女中と呼ぶには煌びやかな装いだったのだ。
「候補者の変更をなさったのですか?」
「いえ、……間違って連れてこられてしまったのです」
 宇木は固まり、一気に自分の血の気が引いてゆくのを感じた。
「私は早菜姫ではないので、此方に輿入れすることは出来ませぬ」
「それは…………困りますっ! 奥方候補として登城されたからには貴女様には豊稔国の候補者として御前様にお目通りしてもらわねば――」
「ではせめて人質として――」
「人質の選別は既に終えております」
「私は女子ですらございませぬ故――」
「……ご冗談を、貴女様はどう見ても女子でございましょう?」
 宇木は腰の長さまで綺麗に整えられ結われた美慶の黒髪に目を止めて言った。
かつらでございます。このようななりで説得力がないのは重々承知で申し上げますが、私は豊稔国国主、阪口宗近の…………倅でございます」
「御子息様。……しかし坂口様からはそのような話は――」
「私は義子でございます」
「義子……、なるほど。されど、武家の御子息様とおっしゃるわりには……その、こう言っては失礼やもしれぬが男臭くないといいますか……艶っぽいと申しますか――」
「私は…………。私は訳あって義子のことを親族以外の者に公にされておりませぬ。普段は宗近様に小姓としてお仕えしております。…………それ故に……」
 宇木は美慶が詰まらせた言葉の先を悟ると考えることを放棄したのか、美慶から目を逸らし小さく声を漏らした。
「…………聞かなかったことに致す」
 美慶は驚愕に目を見開き宇木を見つめた。宇木の目は宙をさまよい、美慶にはとても正気の沙汰とは思えなかった。
「私は生娘ではございませぬっ」
「構いませぬ。どの道、貴殿に処女膜なぞ存在せぬのでしょう?」
「しょっ、処女膜どころか産道すらありませぬ!」
「構いませぬ。貴殿には予定通り奥方候補として一度、御前様にお目通り頂く」
「何を……私は女ではないのですよ!」
「わかっておるっ! しかし此度はそう簡単なことでは済まされぬのだ! 貴殿は奥方候補として登城なされた。人質として登城なされたのであればまだしも、今の極では奥方候補に穴なぞ――……易々と見逃されることではござらぬ」
「!?」
「悪意の是非に関わらず、男を奥方候補として登城させた時点で笑えない冗談でござる。……豊稔は極を謀ったとして詮議にかけられるやもしれませぬぞっ」
「……」
「…………ご安心召されよ。貴殿のその御容姿なれば、まず見破られることはまずございますまい。着飾ってのお目通りであるし、肌を曝すこともござらぬ。更にいえば、御前様は肉感的な女性を選ばれる傾向にあらせられる。貴殿のような中性的な方をまず選びはせぬ。ささ、お部屋へご案内致します」
「……選ばれなくとも……始末されるのでは?」
 宇木は美慶の問いには答えず、強引に部屋へと案内するとその重い口を開いた。
「………………露呈しなければいいのです。たった一度のお目通りを乗り切れば全ては闇の中――。……早菜姫様のお目通りは明日、巳の刻の部でございます。間も無く戌の刻でございますが……お食事の方は如何致しましょうか?」
「……食事は不要でございますが、早湯を一杯頂きとう存じます」
 丸一日何も食べていない美慶は腹が空いていたが、正直、飯が喉を通るとは思えなかった。
「……畏まりました、すぐに用意致します。早湯は小姓が持ってまいります故、何か追加の御用がございましたら私かその小姓にお声かけください。それでは、明日のお目通りまでお時間がございます故、どうぞお寛ぎくださいませ」
 そう言うと宇木は早菜姫に宛がわれた部屋を後にした。
(…………里に帰れれば御の字、万が一見初められでもすれば、不興を買ってでも滅されよ……といったところか……)
 宇木の言葉は美慶には死刑宣告にしか聞こえなかった。
 美慶は確かに自他共に認める程華奢ではあったが、己を見て男であると気付かれないはずが無い、うまく騙しおおせるはずが無い、と思うほどには男としての自尊心を持ち合わせていた。
 美慶の体の調子は連れ去られた朝に比べると大分よくなっていた。今ならこの城から逃げることは不可能ではないかもしれない。ただ、宇木の話では奥方候補の穴は里の未来を奪うことになるやもしれぬという。
 美慶は宗近の行く末を荒らしたくはなかった。
(斬られ、死んだふりをして死体としてこの城を去るか……)
 たとえ本当に死んだとしても美慶には何も残っていない。唯一の心残りは宗近への思いのみなのだ。主犯が早菜姫だろうと、宗近も同意の上の考えだとするのならば、もとより美慶に返る里などない。
(私が早菜姫として死んだら早菜姫としての人生、未来も消えるのだが……あの姫さんは何も考えてもいないのだろうなぁ……。まあ、宗近様さえご無事であれば私はもう多くは望みませぬ――)
 美慶は奥方候補としてのお目通り、最後のお勤めを覚悟した。
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