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第45話 あきらめたくない③

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「その……例えば、本人には聞いたりした?」

 真剣な眼差しが俺の方へ向いていた。
 北沢さん、思ってたよりもずっと良い人なんだな。こんな赤の他人の死ぬほどどうでもいい話を、まだ真剣に考えてくれていたなんて。

 できればサクラには、俺なんかじゃなくって北沢さんと仲良くなってもらいたかった。ふたり同じ高校で出会えていれば、きっと仲良くなっていたと思う。俺なんかよりもずっと有意義な時間が過ごせたんだろう。

「北沢さん」

 でも、それももう叶わないんだ。

「もういいよ。サクラには何度も聞いてるからさ」

「何度も聞いて……サクラちゃんはなんて?」

「人間には戻れないって言ってた。聞くたびに嫌な顔してたよ」

「……そうなんだ」

「往生際が悪くてね、サクラが毎回嫌がるのは分かってたんだけど、それでも聞いちゃってた」

 北沢さんは「へえ……」と中身の抜けたような返事をした。それから、どこか真剣みのある表情を浮かべ、まるで何かを考えているようだった。

 そして長い数秒間を経て、ついに口を開く。

「なんだかおかしくない?」

「おかしいって?」

「サクラちゃんが言うには戻る方法は無いんでしょう?」

「え、うん」

 まるで睨みつけているような顔つきで北沢さんは喋った。

「でも陽太くんはさっき人間に戻る方法について話してたよね? 大金を払えば人間に戻れるというのは嘘なの?」

「あ、いや、嘘じゃないと思う。事務所の人間に聞いたから」

「ということは方法はあるっていうことだよね」

 なるほど。それは盲点だ。確かに北沢さんの言う通り方法が無いわけではない。
 だが、そんなことを知ったところでどうなる? とてもじゃないけど俺には10億円なんて大金、手に入らないんだ。

「だとしても、俺にはもう……」

「本当に大金を払うしか方法は無いのかな」

「……と、いうと?」

 うーん、と唸りながら、北沢さんは視線で弧を描いた。

「人間には戻せるんだよね。戻す代わりに金寄こせって言ってるんだから」

「うん?」

「本当にお金だけなのかな?」俺は未だに北沢さんの言っていることが掴めていない。そんな俺を置いていくように話は展開されていく。

「だとしたらなんで方法が無いって言い切ったんだろう」

「あぁ……たしかに」

「これが100万とか200万なら黙ってる理由も分かるんだけどね。陽太くんのことが好きだから、身を案じて言わないと思うから。でも10億でしょ? どっからどう見ても無理な話じゃない?」

「いや、無理だとは思うんだけど……その、つまりは……?」

 つまりは、いったい、なにが言いたいんだ。焦らされている気分で、俺は内心苛立っていた。

「他に方法があるんじゃないかな? お金以外の方法が」

「他に? え、他って……たとえばどんな……?」

「それは私にも分からないよ。でも、他に何か方法があって、それを敢えて黙ってるような気がするんだよね」

「それは、何故?」

「それも分からない。ただ、方法があったとしても、それはハッピーなことではないとは思う」

 再び何故だと俺が聞くよりも、先に北沢さんは続きを話す。

「ハッピーなことなら最初から言ってるからね」

「つまり言わないのは、不幸な結末が待っているから、ってこと?」

「そう……だと私は思った」

 俺は北沢さんの一連の説を反芻してみる。その説はとても新鮮で、新しい風を頭の中に吹き込んでくれた。もしも仮に、人間へ戻す方法があったとしたら、それはどんな不幸が訪れようとも幸になる。

 だが、

「でもそれがなんなのかは、皆目見当が付かないんだけどね」

「なんか……ないかなあ」

 当たり前だが、その方法を知っている人はいないし、手掛かりもない。俺は小さく肩を落とした。

「北沢さん……」

「んー?」

「なんか……ないかな」

「私は分からないよ。逆に心当たりないの?」

「ないよ」

 この手の話になると不機嫌になる。それぐらいなら知っている。
 あとは、サクラが言うには人間に戻れる方法は無い。これも知っている。

「もっとさ、直接的じゃなくてもいいから、些細な心当たりとかも無いの?」

「些細って言っても……うん……」

「気になったところはなんでも考えたほうが良いよ。出会ってから今日までを思い出してみたら?」

 これまでは光の一切入らないトンネルを彷徨っていた。だけど今は、方角は分からなくても、そのトンネルに僅かな光が差し込んでいる。俺は真剣な彼女の眼差しに答えるよう、真剣に記憶を巡ってみた。

 初めて“サクラ”と出会った日のこと。
 やりたいことリストを作ったこと。
 やり残したことリストを作ったこと。

 初めて“雫”だと知った日のこと。
 雫だと知って、俺たちの結末に絶望したこと。
 小学生の頃にした喧嘩を、初めて謝ったこと。

 そして改めて聞いた――君は期限が来たら消えるのかと。あの頃のサクラもやはり、冷たい表情で消えると言い放った。粉になるから、普通ごみで捨ててくれと。

 本当にひどいぐらい絶望をした。もう思い出したくもないぐらいに辛かったな。

「どう?」

「……うん」

 久しぶりに北沢さんと目が合う。

「そう簡単には思い出せない……かな?」

 なんだか胸に引っ掛かっている。何か、小さいんだけれど大きい、そんなような何かが引っかかっているような気がする。俺はぼんやりと宙を見つめ、気付けば再び記憶を巡らせていた。

 引っかかって流れていかない記憶は、やはり「期限が来たら消える」と言い放ったサクラの姿だった。何故だろう、なにがそんなに納得できないのだろう。この記憶にどんな真実が潜んでいるのだろう。

 あんまりにも豹変した彼女に裏を感じたから?
 うーん……違う。
 俺は必死に記憶を俯瞰した。主観を排除し、客観的に。

「サクラが、幼馴染だと初めて知った時があって……」

「え? 幼馴染だったの?」

 ああ、そういえば言ってなかったか。目を大きくした北沢さんだが、俺は待たずに話を続ける。

「その時に期限が来たら消えることを冷たく言われた。それがどうも引っ掛かってるんだ」

「その時……お互いに初めて、幼馴染だって知ったってこと?」

「いや、向こうは気付いてたみたいだから、俺だけその時に知ったんだ」

 ふうん、と北沢さんは腕を組む。そして座りなおす。

「最初出会ったころは冷たかったサクラだけど、この時にはもうだいぶ柔らかくなってて……それでも期限についてはすごく冷たく言い放ってたんだ」

「……それが引っかかってると」

「うん」

「……やっぱり隠してるんじゃない?」

「……なのかな?」

「ねえねえ、期限について彼女さんが冷たく言い放つのは、いつものことなの?」

 考える間もなく、俺は即答した。

「いつもだよ」

 すると北沢さんは反対に少し考える素振りを見せ、俺に質問を続けた。

「それは陽太くんに幼馴染だって知られる前からも?」

「……えっと」

 すぐに答えられなかった。俺は一生懸命に記憶を辿っていって、その結果どこにも行きつかないことを知る。

「そもそもそういう話すらしてなかったと思う」

 うん。だって元々の俺たちは酷く冷めきった間柄で、そんな話をするような雰囲気ではなかった。サクラが俺に対する信頼を取り戻して、俺もサクラを雫だと知る。それから俺たちの日々が始まったんだ。

 だから、俺は自信を持って答えたつもりだった。
 だが、ここでまた、引っ掛かる何かを感じた。

「うーん他に何か心当たりってあるかなあ」

 何かがおかしい。

「陽太くん?」

 何かがおかしかった。

「ちょっとだけ待って北沢さん」

 沈黙が訪れる。そして俺は、引っ掛かった正体らしきものを捉えだしていた。
 ぼんやりとしていた像がだんだんと映えていき、輪郭が描かれていく。

 その姿は……まだ出会ったばかりのサクラだった。

「嘘だ、間違えた」

「ん?」

「俺はまだ出会ったばかりの冷たいサクラと喧嘩をした。そのときに言い過ぎちゃって、懺悔のつもりで色々とサクラに質問をしたんだ」

 北沢さんは身を乗り出して、相づちを打つ。

「その中で何気なく、普通の生活に戻れないのかって聞いたんだ。それはつまり、普通の人間に戻れないのかって意味で聞いたんだけど――」

「なんて答えたの?」

「ある……っちゃ、ある。確かに彼女はそう答えた」

「じゃあ本当に……あるんだね?  彼女が消えない方法が!」

 そして記憶がどんどん開かれていく。
 俺はもうひとつ、彼女が言った言葉を思い出した。

「いつでも辞めてやる……って、そう、言ってた」

 鳥肌が立つ。

 まさか……彼女は出会ったばかりの俺に、真実を告げたんだろうか。
 それとも、ただの捨て台詞なのだろうか。

「身代わりがいれば……いつでも辞めてやるって」

「身代わり?」

「誰かが彼女の代わりをやれば……彼女は人間に戻れるのかも」

「え、嘘? そんな御伽噺みたいな話って、ある?」

「……俺も分からない」

 分からない。確かに傍から聞いてみれば漫画だろう。

 ありふれた漫画だ。だけれど、俺は漫画に一縷の望みをかけてみたくなった。だってそれ以外に方法が無いんだ。だから、ただの憶測はみるみるうちに、俺の中で確信に変わりつつあった。 

 そして1度繋がった記憶は、散らばっていた記憶とさらに結びついていった。
 数日前、ハニーパウダーの事務所に赴いた俺を、事務所の男は威圧的な態度で追い返した。その時に吐いた捨て台詞が頭の中でこだまする。

 ――犠牲になる覚悟もねえんだから、帰れ。

 犠牲って、つまりは10億円を揃えることなんだと思った。あの男は“犠牲”という比喩表現で俺を否定したのだと、そう勝手に解釈をしていた。

「……違った、のかも」

「え?」

「犠牲って……本当に……」

「ぎせい?」

 ありがとう、そう北山さんに告げて俺はハンバーガーショップを出た。

 何時間かぶりの北風はさらに冷たくなり、寒いというより痛い。街灯や商店のネオンは、点灯したばかりみたいでほんのりと道を照らしている。それらが時の経過を警告しているようで、俺は恐ろしくなった。

 のんびりと歩く人の流れを、全力でぶった切って駅に急いだ。



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