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第42話 <あと2日> 思い出の場所めぐり

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 あと2日。



 サクラと俺は2週間ぶりに、生まれ故郷に向かった。都心までは混んでいた電車も途中からは空席が目立つようになり、車窓に映る民家と相まって故郷に帰ってきた実感が沸き起こった。

 2週間ほど前、数少ない美しいと思っていた記憶は“ただの過去”になった。
 優しかった書道の先生や駄菓子屋のおばちゃんは確かに存在していたのに、幻だったかのように居なくなっていた。そして美しいという感情も、年月が俺に与えた空想なのではないかと思った。

 だから俺はこれまで以上に絶望をした。死んでやろうって決めた。

『陽ちゃん、雫だよ』

 だけどサクラは俺に隠し事をしていた。それから俺の日常にゆっくりと色彩が浸透しはじめたんだ。今、肩にはサクラを感じることができるが、2週間前はこんな近くに彼女の存在を感じることはなかった。

 ふと、目が合う。

「どしたの?」

「いや……別に」

「別にって何だしっ」

「なんでもない」

 俺が誤魔化すと、彼女は再び目を瞑った。もうあとふた駅だって言うのに。話しかけようか迷ったけど、あまりにも穏やかな寝顔に見守る以外の選択肢が消える。彼女のおかげで、俺の世界は丸ごと穏やかな空気に包まれてしまったからだ。

 地元の駅で下車をした俺たちは、まずサクラの家があった場所まで歩いて向かった。白い壁面に赤い瓦屋根というごく普通の一軒家。それがサクラ――雫の家だった。

 だが、

「やっぱそうかあ」

 変わり果てた住まいの姿を前にして、サクラの声は意外にも朗らかだ。
 逆に俺は、何年も前から廃墟を営んでいるような荒れように胸を痛めた。窓ガラスは全てくり抜かれ、その向こうは昼間なのに真っ黒い闇が広がっている。窓枠に残された褪せたカーテンはそこに居た家族を想像させ、彼女がここで生活をしていたという実感を与えてくれた。

「あそこ、私の部屋だったよ」

 サクラは2階の部屋を指差す。

「あの部屋で私は宿題をしたりおやつを食べたり、朝起きたり夜寝たりしてたんだよね。いまとなっちゃ遠い昔のような話だけど」

「もう10年ぐらい前か……」

「逆に10年しか経ってないんだって感じだなあ。パウダーだから時間の感覚がおかしいのかもね」

「……反応しづらいぞ」

「あはは」

 笑うときだけこちらを見て、サクラの視線はすぐに目の前の廃屋に戻っていった。妙に明るくて抜けるような笑顔が、朽ち果てた家の惨状と重なった。俺はいよいよ視線の置き場が無くなって空を見た。眩しくて目を半分瞑る。

「でも懐かしいなあ」

 ひとり言みたいにサクラは呟いた。

「小さい頃はみんなでご飯たべてたんだよなあ」

「……」

「ランドセルを投げ捨てて外に遊びに行ったんだよなあ」

「……」

「あそこで私、ちゃんと生きてたんだよ。信じられない」

「……生きてるじゃん」

 俺は目を瞑ったまま、サクラに反論をする。

「今だって生きてるじゃん。死んでたら喋れないだろ」

「……そっか」

 少し間を置いて、

「そうだったね」

 微笑みが声に混ざった。
 黙っていられなかった俺だが、そんな自分を悔いてももう遅い。俺たちの間から会話は消えて、鳥のさえずりが目立つぐらいに静寂が時を支配していた。

「行こうか」

 半分目を瞑ったまま答えた。

「ああ、うん」


 
 駄菓子屋の跡地に向かう途中、俺の家を通り過ぎた。サクラの家との距離は歩いて3分ほどで、今考えてみれば俺たちはご近所さんだった。「せっかくだから帰ってみよう」という突拍子もない提案は、さすがに断っておいた。

「どれぐらい帰ってないの?」

「正月……かな」

「ほぼ1年じゃん。帰りなよ。今日って意味じゃないけどさ」

 いずれはね、そういうつもりで俺は頷く。

「なんで会いたくないの?」

「なんでって……別に会いに行く理由も無いから」

「え~絶対喜ぶって帰ったら」

「喜ばないと思うけどな」

「嘘! 絶対喜ぶって」

 やけに強気だな。
 確信を持つ目でサクラは訴えるように言う。

「だって陽ちゃんは愛されてるんだよ。こうやって大学に行かせてもらって、アパートだって親が払ってくれてるんでしょ?」

「まあ、それは、そうだけど」

「それでハニーパウダーなんてものまで買って。そのお金だって自分のお金じゃないんでしょ?」

 返せる言葉が無くなった。

「陽ちゃんは他人にそれだけのものを与えられる?」

「いや。無理かも」

「与えられるのは陽ちゃんのことを愛しているからだよ」

 俺は自分の非を認めたくなかった。それは元々の性格なんだろう。
 それでも今のサクラの言葉は妙に説得力があって、身体に浸透していくような感覚を覚えていた。それは言葉の内容云々よりも、サクラという人間が喋っているからなんだと思う。

「だから今度、ちゃんと帰ってあげてね」

「……分かったよ」

「好きな人に会えないのは寂しいんだよ」

「……分かった」

 しばらくすると駄菓子屋の跡地に辿り着く。
 当然だけど2週間前と変わらずに、そこには新しめのアパートが建っている。

 あの玄関のドアあたりがちょうど飴やガムの棚があった。ひとつ10円だったからいつも帳尻合わせで買っていた。

 あのゴミ捨て場にはちょうどベンチが置いてあった。買った駄菓子は全部あそこで食べたんだ。時にはおばちゃんも一緒に喋ってくれて、子供ながらに店番は大丈夫なのか心配したりもした。

 そうやって、俺は冷静にあの頃を振り返った。

「ここ、元々は私行ったことなかったんだよ」

「じゃあ……俺と遊ぶようになってから?」

「うん。陽ちゃんと仲良くなってからだな。てか陽ちゃんが連れてってくれたんじゃん。いい店があるから100円持ってこいって」

 それ言ったの本当に俺か? と思った。堂々とものを他人に言える自分が居たことが、今の俺には信じられない。

「そうか。全然覚えてないな」

「えーひどい」

「俺、そんな偉そうなこと言うんだ」

 サクラは一瞬驚いたような顔をしてから、すぐ笑顔に戻してこう言った。

「意外と普通の男の子だったよ。陽ちゃんは」

 俺はそれでも若干、過去の自分が信じられなかった。

 こういった感じで、俺たちは学校や通学路、よく通った自動販売機やその近くの四阿あずまやなど、思い出の地を巡っていった。
 過去なんてクソ食らえだと思っていた、つい1か月前とは違って、俺は純粋に自分が歩んだ過去を懐かしむことが出来た。それはきっと、この1ヶ月をサクラと過ごせたからだと思う。あの日々に抱く感情が独りよがりではないと、俺自身知ることが出来たから。

 でも……だからかもしれないけど……

「寂しいなあ」

 サクラのいないところで俺はひとり呟く。

 寂しくて仕方がないんだ。
 時の経過が怖いんだ。
 胸に空いた穴はどんどん大きくなっていくんだ。

 小さい町を巡り歩くのはあっという間で、俺たちは午前中にほとんどの場所を行きつくしてしまった。そして最後に向かったのは、大きな木が目印の、放課後をともに過ごした大木公園だった。
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