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第36話 自分の幸せすら叶えられないくせに
しおりを挟む午後も俺たちは精力的に働いた。
森を避けるようにして小道に入ると、しばしば学生とすれ違うようになった。ここは大学から駅までの裏道であり、時間的にも授業を終えた学生が増えはじめる頃だ。こんな街中で大きなポリ袋を持っている男女は、さぞ異質に見えるんじゃないだろうか。
だから俺は、極力顔を上げないようにしていた。
「陽ちゃんここ! めっちゃあるよ」
ところがサクラはお構いなしだ。
その瞬間、談笑しているカップルが揃ってサクラを見た。
いや、見たと言うよりも軽く睨みつけて、そのまま俺たちの間を通り抜けた。何の話をしていたのか知らないが、話をスパッとぶった切ったサクラが、多分気に食わなかったんだと思う。
「何アイツら感じ悪い」
「……まあそうだけど」
「こっちは掃除してんだよ」
どっかで聞いたことがあるようなセリフだ。
「まあ、でも昨日初めて掃除しただけだから」
「なんでそっちの肩もつの?」
「いや別に持ってるわけではないんだけど」
なんでだろう。サクラはちょっと怒っている。どういうわけか力強く俺を睨みつけて、再びゴミ拾いに戻っていく。
珍しいなと思ったけど、特別サクラの情緒に執着心は起きなかった。
まあいずれ元通りになるだろう、そう事を片付けて俺も掃除を再開した。吸い殻を見つけ、腰をかがめる。
ところが、
「ごめん。ちょっと短気だった」
「……別に」
サクラは身を屈めたままで、まるで地面と喋っていた。
「あと少ししかないのにごめんね」
「いや、別に……」
でもこうして顔を見られないことで、俺自身は助かったのかもしれない。
――あと少ししかないのに。
サクラの何気ないであろうひと言は、一瞬で俺の表情を歪ませてくれたからだ。
「はあ……」
しばらく俺は、ため息とともにゴミを拾った。そんな俺に気付いているのか、サクラは必要以上に話しかけてこなくなった。本来無いはずだった俺たちの間の溝が、みるみるうちに深まっていく感じがして、俺はゴミ拾いに一層のめり込んでいく。
そんなこんなでスマホを見ると、もう1時間以上が経っていた。あっという間だった。きっと5日なんてこんな感じで瞬く間に通り過ぎるんだろう。
そして突拍子もなく、力強い声がした。
「ありがとうございます」
はっとして俺は顔を上げた。
「あっ、いえいえ」
若い男子ふたりがサクラに声を掛けていた。
一瞬、サクラの知り合いか? と思ったけど男子たちはサクラを通り過ぎて、今度は俺に向かって、
「ありがとうございます」
もしかして俺の知り合い? いや……まさか。
俺があれこれ考えている間に、ふたり組は通り過ぎていった。茶髪で如何にも今風の男子だった。きっと大学生だけどまさか俺を知っているはずは無い。無意識にサクラを見る。すると、同じで無意識にこちらを振り向いたであろう、サクラと視線がぶつかった。
「知り合いか?」
「まさか。普通にお礼を言ってくれたんだよ」
「そんなことある?」
「いやあるでしょ。なんだか、ちょっぴり嬉しいかも」
サクラは嬉しそうに笑った。その気持ちはなんとなく分かる気がした。でも嬉しいと口にすることが俺には難しくて、何も言わず地面にゴミを探した。必要以上に屈んで、懸命にゴミを探した。
「これぞ世界平和だね」
サクラは朗らかに口ずさむ。ゴミはこういう時に限って何も見つからない。
「私たち世界平和に貢献してるよー」
「世界平和……か」
「うん。そもそも私たちの本来の夢は世界平和じゃん?」
「そうだね」
やっと見つけた。「あった」と無駄に言葉に出して、吸い殻を1本ポリ袋に放り込む。俺はもうこの話を終わりにしたくて誤魔化していた。だけど、サクラは話を止めようとはしない。
「人に感謝されることを私たちはやってるんだよ。立派な貢献じゃないかー」
「うん」
「ついでに言うとさっきお礼を言った男子ふたりも平和に貢献してる。だって現に私たちは幸せな気持ちになってるもんね」
「うん……」
屈んだ姿勢から元に戻ると背中がパキパキと音を鳴らした。
サクラはキラキラと輝いた笑顔を浮かべて、俺を真っ直ぐに見つめていた。
はあ。
「どうしたのかな? 陽ちゃんは」
「何で、何で俺だけが拾ってんだよ。そっちもやれよ」
「え? あ、そかそか。そうだね」
ごめんねえ、サクラは軽快にそう言って、俺に背中を向けた。
もう1度、俺は腹の底から大きなため息を吐きだした。
もう正直、自分を保てそうにない。うんざりだ。世界平和なんて言葉、2度と口にして欲しくない。俺も、サクラも、自分の人生ですら幸せに送ることが出来ないのに、世界平和なんて大きな夢を叶えられるはずが無い。
身の程知らずも良いところだ。
吸い殻を見つける。俺はそれを蹴飛ばして、無意識に、本能的にただ前を向く。サクラは屈んでいるが、俺は蹴飛ばした姿を見られたような気がした。視線が僅かに空気中に残っているような気配を感じる。でも、だからなんだって言うんだ。
何歩か歩くと追い付いて、何歩か歩くとまた追い付く。
俺はもうゴミを拾うことなく、ただサクラのあとを急かすように付いて歩いた。
サクラはそれについて何も言わないし、振り向こうともしない。それどころか「お、またタバコじゃん」なんて歌って、むしろ楽しんでるのか? ゴミを拾い続けている姿に、相変わらず明るい調子に、胸が押しつぶされそうになる。
それでも俺はゴミ拾いなんて無意味なことをする気にはなれないし、しようともしない。
「またタバコ? しょうがないなぁ」
よいしょ、なんて言っちゃって。
「げ、排水溝に落ちた」
ミスも笑って楽しんで。
「ま、しゃあないか」
普通の女の子みたいにはしゃいじゃって。
一体、なんでそんなに楽しくできるんだよ。
こんな無意味なことをなんでそんなに楽しんで出来るんだよ。
限界ギリギリだった俺の血管は、とうとう次の瞬間、ぷつんと切れた。
「あっとまたタバコだ――」
「うるさいなあ!」
久しぶりにサクラは振り向いた。
いつものサクラがそこに居るのに、俺の視界を通してその美しいはずの姿が毒されていく。灰色の世界がどんどん広がっていって、もう世界は真っ暗になって、後戻りはできなくなった。
「……どうしたの?」
「イライラすんだよ。何が世界平和だ。ゴミなんか拾ってたって何も意味ねえだろ! 第一お前消えるじゃん。俺だって人生なんてとうに諦めてんだよ。自分のことすらちゃんとできねえのに世界のことなんか願ってんじゃねえよ」
ひと口で言い切った。心臓が忙しく脈を打っていた。
後悔の波が腹の底から沸き上がってくるのを予感した。
「なんで……」
だから、俺は逃げた。
「やってらんねえよ」
「陽ちゃん……?」
サクラの瞳はキラキラ輝いている。でもそれはきっと悪い意味だ。俺はポリ袋をサクラの足元に放り投げ、一目散に走った。万が一呼び止められても聞こえない位置まで行きたかった。呼び止められないだろうけど、全力で走った。
大通りを横切って、畑の間を縫って、知らない景色をただひたすらに走った。
息が上がって、胸が痛みだす。涙が出てきそうだった。
『陽ちゃん……』
あんなに悲しい顔を人間できるものなのか。
あんなに悲しい顔にさせることができるものなのか。
俺は本当、何をやってるんだ。何がしたいんだ。
やがて呼吸が限界を迎えて俺の足は止まった。息を切らしながら振り向いたが、当然そこにサクラの姿は無かった。
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