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第6話 初恋の記憶

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 夢を見ていた。

 放課後にランドセルを背負ったまま公園を訪れると、もう既に雫はベンチに座っていた。雫は俺のことを見つけると、急に腕を組みはじめて「遅いっ」と文句を付ける。自分だってさっき着いたばかりのくせに。

 俺たちは大きな木と向かい合うように、肩を並べてベンチに座った。見上げる空は青かったが、少しずつ日没の準備をしているような含みのある色をしている。

「もう12月なんだね」

「そうだね」

「最近暗くなるのも早いもんね」

 宙を見つめて呟く雫は、どこか物憂げな表情をしている。
 仮に一緒に居られる時間の短さを嘆いているのなら俺も同じ気持ちだ。そして同じであればどんなに嬉しいことかと思う。

 雫は12月というキーワードをキッカケにこんなことを言いだした。

「今日のテーマは今年の総括にしよっか」

「ソウカツ?」

「あ、えっとね……あんなことあったなあとか、こんなことが良かったなあとか、今年1年を振り返ってみるの」

「反省会みたいだな」

「そうそう」

 俺は雫の言うとおりに今年1年を振り返ろうとしたが、これが意外と難しかった。振り返るという行為に慣れていないのか、振り返るほどの思い出が無いのか分からないが、思考は空回りを続けた。

 それはもしかしたら、最大の出来事が邪魔をしていたのかもしれない。

「何かあった?」

「……ううん」

 俺は嘘をついた。
 俺にとって今年最大の出来事はクラスメイトにイジメられたこと。
 もうひとつの最大の出来事は雫に救ってもらったこと。 
 そんなことを雫に言える度胸など持ち合わせてはいない。

「じゃあ質問を変えるね。今年1番楽しかったことは?」

 雫はまるで問題が解けない生徒に寄り添う先生みたいだった。

「……そういう雫はどうなんだよ」

「は? 私は陽ちゃんに質問してるんだけど」

「模範解答頼んだ」

「え~……」

 雫は困ったような顔をしながらも、人差し指を顎に添えて考えはじめる。
 俺もいつの間にか考えていた。今年1年、楽しかったことなんかあったんだろうか。学校に自宅に習い事、考えつく環境のひとつひとつを潰していくと、俺の1年間はすぐさま空っぽになった。

 楽しかったことはひとつしか思い浮かばなかった。
 充実している人は大変だな、と思う。楽しい思い出がありすぎて1番なんて選んでられないんじゃないか。だから雫が答えを出すまで、かなり時間が掛かると思った。俺の中で雫は“そういった類”の人だと思っていたからだ。

 ところが思っていたよりずっと早く、小さな手が上がった。

「はい。できました!」

「……どうだった?」

 答えを聞いた俺は面食らった。
 その答えは俺と同じだったから。

「公園での時間がいちばん楽しかった」

 しかし、それが俺との時間だと素直に受け取ることができなかった。

「公園で……誰かと遊んだの?」

「……そうだよ」

「へえ、それはいい思い出だな」

「ねえ、今度は陽ちゃんの番だよ」

 一瞬迷った。でも俺は正直に言うことにした。

「俺も、公園の時間かな」

「……公園で、誰かと遊んだの?」

「うん」

「それはいい思い出だね」

「……うん」

 それっきり、俺たちの会話は止まった。

 どこかではしゃいでいる子どもの声や、鳥の鳴き声が目立つようになった。気にならなかった微風が寒々しく感じるようになり、今日が平年より寒い日であることを思い出した。沈黙を破るタイミングを探し続けたけれど、見つからなかった。

 そうこうしている間に太陽の角度が下がりはじめて、正面の大きな木に重なる寸前まで落ちる。もうそろそろ、今日が終わる。このまま帰ることがとても嫌だった。

 そんなことを考えていると、隣りの雫と目が合ってしまう。

「あは……」

 慌てて目を逸らした俺だったが、雫はじっと俺の目を見続けている。それは顔を見なくてもなんとなく分かった。

「陽ちゃん」

「なに」

「公園の時間について、詳細聞きたい?」

「……どっちでもいいよ」

 本当は聞きたくて堪らなかった。
 だからズルいけど、雫が話しはじめたことに俺は胸を撫で下ろしていた。

「私とその誰かさんは元々口も利いたことのない関係だった。というより、その誰かさんはクラスの誰とも口を利いてなくて、いつもひとりぼっちだった」

「……うん」

「でも、ある日から私は誰かさんと仲良くなって、毎日公園でお喋りをするようになったんだ。クラスのこととか、先生のこととか、あとは自分たちの将来のこととか。誰かさんはふたりきりになると笑ってお話してくれた」

「……それで?」

「あはは……なにが言いたいのか自分でも分からないんだけど、私はそんな時間が大好きなんだよね。だから今年1番の出来事は、公園の時間。これからもずっとそんな時間が続けばいいなって思うんだ」

 赤く燃えた太陽は木のてっぺんに刺さっていた。
 俺は時の経過に気付かないふりをした。

「ある日って……ある日になにかあったのか?」

 そして分かり切っている答えを問う。

「誰かさんに嫌なことをするクラスメイトがいっぱい居た。私はそれが見ていられなかったの」

「……きっとその誰かさんは、雫に感謝してると思うよ」

「ほんと? 嬉しい!」

 雫はとても嬉しそうにはしゃいだ。俺もそれが嬉しくて、ずっと堪えていた頬がついに上がってしまう。

「あ、でもね。飽くまでそれはキッカケに過ぎないんだよ」

「と、いうと……?」

「だって私、最初から誰かさんに興味あったんだもん」

 もう、恥ずかしくて顔を合わせられなかった。

 いつもより深く太陽が木に交わった頃、俺たちは名残惜しく家路についた。公園を出て俺は左に、雫は右に歩を進める。互いに背中を向けてから少しして、雫は大きな声で俺を呼び止めた。

「じゃあねー。誰かさん」

 雫は歯を見せて笑っていた。
 みっともないが、俺は声を出せなかった。再び背中を向けて、右手を上げる。これが精一杯だった。
 背中の向こう側では「んひひっ」と笑い声がしている。まだ俺のほうを向いていて、悪戯っぽく笑っているんだろう。

 振り向きたい。
 笑った顔が見てみたい。
 でも、振り向く度胸がなくて、俺はそのまま家に帰った。

 なんて可愛いくて、なんて愛くるしいんだ。俺の胸はすっかり焦げついていた。
 家に帰っても冷めるどころかどんどん熱さを増していった。もう修復は不可能だった。



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