赤い箱庭

日暮マルタ

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2章鴉天狗編

再会

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 今日も鴉天狗に会いに行く。彼は今日は木に登らずに桜の木に寄りかかっていた。
「来たか」
 ニヤリと口の端を吊り上げる。黒い装束の衣擦れの音が聞こえる。
「やっぱりお前だったか」
 悲痛な主様の声がする。
「ついてきてたんですか……」
 少し呆れて振り返ろうとしたが、強い風で振り向けない。桜の木々だったはずが今は紅葉に変わり、赤い紅葉が突風に交じっている。鴉天狗にぺたぺたと紅葉が張り付き、前が見えないようだ。
「サヤカに何をした!」
 もがく鴉天狗。しかし風の向きが変わる。
「風は本来俺の味方なんだよ! 舐めるな!」
 渦を巻くように風がこちらに向かって吹き荒ぶ。主様が遠慮がちに私の肩を掴み、紅葉の突風から庇う。
「お前の彼女結構可愛いじゃねーかよ」
 鴉天狗が鼻で笑う。バカにするその態度に私の胸がズキンと痛んだ。
「ああ、我はこれが可愛くて仕方ない。何かしたなら、許しはしない!」
 主様は紅葉を鋭利な刃のようにして鴉天狗に飛ばし始めた。危ない! 怪我しちゃう。
 何を考えていたのか、思考すら置き去って、私は鴉天狗を庇いに行った。数々の紅葉が私に傷を負わせる。剥き出しの足や制服が切れて鋭い痛みが走った。
「やめろ、サヤカなぜ……」
 私のことなんて好きじゃないはずの鴉天狗もなぜか焦っている。主様はもっと焦っている。鴉天狗が紅葉の斬撃を弾き、私を守ってくれた。
 主様はその様子に大きな衝撃を受けたらしい。なぜ、なぜ、とうわ言のように繰り返し……この人のことが好きだからです、と言えはしなかったが、なんだかあの時を思い出した。退治屋のあの一件とよく似ている。
 すると、空にヒビが入った。青い空の一部がポロポロと落ちてくる。紅葉はぐずぐずに腐り果て、地を覆う。な、なんでこんなことに? 主様がやっているのか? 主様の様子を確認すると、彼は……涙を流していた。
 その目は徐々に黒く変色し、角が大きく変形していく。主様が壊れていく。この美しい紅葉の世界も。

「ちょっと待てちょっと待て、ごめんって! サヤカに術をかけてたんだよ! 俺を好きになるように! 今解くから……」
 ふっと心が軽くなった。と同時に鴉天狗が吹っ飛んでいく。主様……主様! 私の大好きな主様だ! 術が解けたんだ!
 激しい熱はなくとも穏やかで暖かい、そんな感情が胸を占めた。鬼のような形相であっても愛しい主様だ。まずは愛情が戻ってきたことに安堵し、私は思わず涙がこぼれた。そんな私を見て、主様も呆然と私を見る。
「大丈夫か? サヤカ……」
 二重に重なった声が聞こえた。こんな状態になってもまだ私を思いやってくれる。どこまでも優しい主様だ。私の好きな主様だ。
「主様ぁ……」
 私は傷ついた足も気にせず、主様の方へ歩いていった。世界の崩壊が止まる。主様に抱きつくと、主様の不穏な気配も徐々に薄れていった。
「久々だな……サヤカから、こうして来てくれるのは」
 私は少し煙管の匂いのする主様の匂いを肺いっぱい吸い込んだ。当然だが、気持ち悪くない。むしろ心地好い。いつまでもこうして抱き合っていたい……。
 戻って来た鴉天狗が少し寂しそうに、「関係の進展はそのうちするだろ」と言い捨てて飛び立つ。最後に私の傷を治して。逃げる鴉天狗にも気付かないほど、私達二人は再会を喜んでいた。
 鴉天狗は今更最初の相談の答えをくれた。私、馬鹿みたいだ。欲しかったものはずっとここにあったじゃないか。

 あの一件から、主様と私の距離は少し近付いた。ほんの少しだけ。
 鮮烈な赤色を見せる紅葉が舞い落ちる神社の縁側でくつろぐ。主様が縁側で胡座をかいていたので、当然のようにその膝に座る。「おお……」と主様が声を漏らす。
「コクトミヌシ、今日はお酒は飲まないんですか? 私も飲んでみたいな」
 鴉天狗の置き土産は、主様の名前だ。名前を呼ぶと主様は戸惑いながらとても嬉しそうにする。
「もう少し大人になったらな……」
 そう言いながらも、彼の口元は緩んでいる。あまり呼ぶと調子に乗るので、たまに呼ぶのがポイントだ。

「あ……」
 境内から離れた桜並木を散歩している時、鴉天狗の姿を見かけた。たまに彼の姿を見つけることがしばしばある。主様を恐れているようだが、ちょくちょく目撃する。なぜこの世界に留まるのだろう。妖の類は、死ぬ危険などなく世界を行き来できると聞いたが。
「よ、よう、サヤカ。なぁ、この前は……」
 無視をして歩き去る。鴉天狗は落ち込んだように意気消沈して姿を消した。

 夕食時、鹿肉に舌鼓を打っていたら、椿ちゃんが機嫌良さげに言った。
「で、祝言はいつ挙げるのですか?」
 ブッと主様が噴き出す。私も俯いた。椿ちゃんの冗談は心臓に悪い。いや、いつか、冗談ではなくなる日が来るのかもしれない……。
 
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