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――   【倫理狂い    】   ――③

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 その陳腐な舞台の上で独り、誰にも見られることなくゆらゆら揺れているだけの彼女の姿は、可憐なプリマドンナにはほど遠く。哀れな贄の山羊にこそより近い。

「あれが“始源拾弐機関”……?」

 今、彼女は動けない。つまり、彼女こそが……

 で、でも。

 いや、考えていても仕方ない。それがなんであったって、とにかく今は彼女を助けることが先決だ。

 周りにはだれもいる気配はない。それっぽい観測機のようなものも見当たらない。それでも周囲を警戒しながらおそるおそる近づく。

 今すぐにでもこれまで“始源拾弐機関”から授かった力の全てを解放して自分自身を完全武装したい、そんな衝動に苛まれながら。この町に来てからなんだか臆病になったような気がする。

 ぎーぎーと微かに揺れる彼女の白い身体だけが弱々しい明りに照らされている。

「だ、大丈夫ですか?」

 黒革の大きなアイマスクが彼女の顔の半分をきつく締め上げながら覆い隠している。

 ほとんど裸同然の真白い身体が、無数の黒革のベルトで縛り上げられている。その隙間から垣間見える肌には、至るところに未だに血が滲む痛々しい傷痕が刻まれていた。

「■■■■■■■■■■■■」

 彼女はその小さな口に不似合な大きな丸い球を咥えさせられていて、まともに喋ることはできず、代わりに獣じみた唸り声と涎を汚らしく垂らしているだけだった。

 そ、そんな、こんなにも痛ましいものが“始源拾弐機関”なの?

 と、とにかく彼女を助けなきゃ。目の前に吊り下げられているものに集中することでわたしは困惑と疑念を振り払うことにした。

 幸いにもここにはわたしと彼女以外には誰もいない。彼女を拘束したものが来る前に彼女を連れて逃げないと。

 何かの液体でぬめる黒革をなんとか外すと、ずるり、まるで全身の骨をなくしてしまったかのように力なく、解いた吊り革から滑り落ちる。その裸体を思わず抱き留める。「ぁんッ……」ビクンと痙攣し、彼女が切ない声を上げる。

「……どうしてあたしをここからはずしたの?」

 アイマスクを外す、その青く濁った光のない瞳にわたしが映っていないのは明らかだった。

 可憐であり、それでいて、艶めかしくもある、処女のように無垢で娼婦のように淫らな声音。たった一言、ほんの少し聞いただけで思考が混乱する、錯乱する、ああ、くらくらする。

「あ、そ、その、アナタが苦しそうだったから」

「あら、そんなことないわ、だってあたしはしあわせだもん」

 焦点の合わない潤んだ眼差し。恍惚として弛緩した表情、口からは唾液が一筋。長く美しい金髪がうっすらと汗ばんで紅潮した肌に張り付いている。かろうじて黒革のベルトだけを纏ったか細くも柔らかな裸体は傷だらけで、力なく常にビクンビクンと痙攣している。

 この数秒にも満たない一瞬の邂逅だけで理解した、いや、反射的に反応した、と言った方が正しいか。

 彼女は、自身を見る者を無秩序に扇情させる存在。

 庇護欲と加虐欲、相反する欲望を掻き立てる存在。

 関わったもの全てを破滅させてしまうような存在。

 ああ、だからこそ彼女の存在はどうしようもなく、この世界の根源、だ。原始的な欲望に、本能的な快楽に、獲得したばかりのわたし達の理性はまだ抗うことができない。

 マナカの異能力なんて比にもならない。上っ面の心を壊すだけじゃない、その心はおろか、精神も倫理も人間性すらも壊してしまう。心を持たないはずのわたしが欲情している、いや、心を持たないからこそ、その本能が彼女に犯されているのか。はは、狂ってしまう。

 わたしは咄嗟に引き掴んでいた彼女の細い肩を思わず離す。ほとんど反射的に飛び退く。このまま近くにいては彼女のとてつもない魅了にあてられてしまう。吐息に媚薬でも入っているのだろうか。

 ぺたんと床に座り込んだまま、彼女はきょとんとわたしを見上げている。

「……ねえ、アナタは……」
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