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別れの言葉

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 彼は手足に枷をはめられ、牢の中にうずくまっていた。
 それを表情のない目で見つめる王がいた。
 人としてまともな扱いなどされていないので、糞尿は垂れ流しになっており凄まじい悪臭が漂っていた。
 何を問われても男は無言を貫いた。
 律嘉辰はいいかげん辛くなってきた
 話を聞いた限りではこれはただの逆恨みだ。婦女暴行班が返り討ちになったというのはあの時点ではただの慶事と扱われる。
 強盗殺人現場に居合わせ、次は婦女暴行班に出くわし、と矢継ぎ早だが、あの当時は療法日常茶飯事に怒っていたためそう珍しいことではなかった。
 改めて当時の異常さを思い知る。
 不意に男が口を開いた。
「あの女を呼べ、あの女にじかに言ってやりたいことがある」
 ゴスッと鈍い音がした。
 王が格子の隙間から煉瓦のかけらを投げたのだ。狭い隙間から正確に当てるのはかなり難しいはずなのだが、武勇を持って鳴らした王は正確に男の眉間に当てた。
「私の妃をあの女呼ばわりするな」
「そのような要求飲めると思うか、それに現行犯逮捕だ、取り調べはただの手順に過ぎない、どのみち死罪が確定している」
 王は冷たく言った。
「ならば、私に後宮のカギを渡した人間の名も言わない、再びあの女が狙われるんだっい」
 再び煉瓦のかけらが男の眉間にあたる。
「何度言えばいいんだ、あれは私の妃だ、あの女じゃない」
  王は冷たく言った。
「あの、恐れながら」
 汚れた床に膝をつきながら、律嘉辰は言葉を紡ぐ。
「一応、あの方に言っておいたほうがいいかと」
「何故?」
「さっさと始末しても、それはそれであの方は不快に思われるのではないでしょうか」
 それだけ言って彼はうつむく。王の腰の件が頭にいつめり込むかと生きた心地もしない。
「いいだろう、お前の命が持つかはあれの返事次第だな」

 簡素な衣装で、芍薬の妃は牢に現れた。
 普段の衣装なら確実に汚すからと言って着替えてきたのだ。
 蝋燭のわずかな灯りの中恐れげもなく進んでいく。
 目的の場所に近づけば近づくほどに立ち上る悪臭にもひるんだ様子もない。
「私に、話があるようね」
「そうだ、お前に冤罪を着せられ、殺された父の話だ」
「冤罪?」
 芍薬の妃の目が半眼になる。
「いきなりつかみかかって抵抗し、逃げた結果お前の父親はああなった。ここに冤罪の生じる余地はないけれど」
 ああ、頭がおかしいんだなと周りの人間はそう判断した。
「父はあの少女を殺してなんかいない」
「六花のこと?」
 声音が氷結した。
「あの少女を殺したのは父じゃない、攫って売っただけだ、それでどうしてあんな死体になったかは知らないが、父が殺したわけじゃない」
「何故、六花の着物を持っていたの」
「身ぐるみ剥いで引き渡した」
「普通に、犯罪だよな」
 律嘉辰は思わずつぶやく。
「どうして私を襲ったの」
「相手から、あまりに泣きわめくので、痛めつけて射たら死んでしまったといって金を奪われたからだ、別の娘が必要だった、父は私のために金が必要だったんだ」
「それを、六花の家族に言うがいい。お前の父親は泥棒だ、六花の家族から六花を盗んだ」
 芍薬殿の声はぴしりとした筋が通っていた。
「六花を殺していない、ね、引き渡せば六花がどうなるかわからないはずないだろう、それを承知で引き渡した以上、殺したも同然だ、恨む、それは私のほうだろう」
 青白い怒気が見える気がした。
「私に言いたいことはそれだけか? ならば王にお前を手引きした者を伝えるんだな、その後、死ね」
「帰るぞ、馬鹿々々しいことに巻き込まれたものだ」
 王と妃が労を後にする。律嘉辰が慌てて後を追う。振り返れば牢は闇に包まれていた。

 明るくきれいな空気のある場所で、大きく息を吐く。
 あのよどんだ空気の中では呼吸は浅くなるしかなかった。
「芍薬殿、もはやお目にかかることもありますまいが、一言お礼を申し上げます」
 王の傍らに立つ芍薬殿を律嘉辰は跪いた姿勢で見上げる。
「父のことを証言してくださりありがとうございます、その証言あって、賊は無事捕らえられました」
 抑え込んで何も見えなかった律嘉辰の代わりにあの時の少女は悲惨な殺害現場をつぶさに見た。
 そしてそれを一応役所に届け出たのだ、数々の余罪とともに律嘉辰の父を殺した容疑でも賊は処分を受けた。
 芍薬殿の目は動かない。その心中を悟られるのを嫌ってか。
 律嘉辰は頭を下げた。王と妃の足音は遠ざかっていくその足音が消えてもしばらく頭を下げていた。
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