異世界に鉄道を引こう

karon

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 ゴロウアキマサは時々ブラシを持ち歩いている。
 動物の毛を束ねて木の枝に結び付けた粗末なブラシだ。
「なんのためにそんなものを持ち歩いているの?」
 アンナにそう聞かれてゴロウアキマサは小さく苦笑した。
「これはフデだ、不格好なのは仕方がない、俺はフデを作る職人じゃないからな」
 木の枝に獣の毛を結び付けただけのブラシをゴロウアキマサは所在投げにもてあそぶ。
「何に使うもの?」
「フデは字を書くためにあるんだ」
 アンナの知っている筆記用具とだいぶ違う姿にアンナは驚いた。そして、ふと思う。アンナは一度も文字を書いたことがない。
 アンナのいたドイツでは初等教育がようやく始まったところだったが、アンナは運悪く早く生まれすぎた。
 アンナの下の世代は読み書きを習うことができたが、アンナは学ぶ機会を一度も与えられることなく生涯を閉じた。
 自分よりはるかに幼い子供が本を読んだりノートに何事か書き付けているのを横目にアンナはただ働いていた。
 アンナの境遇は決して幸福なものではなかったけれどありふれたものでもあった。
 十九世紀のドイツは国という形すら定まらず混沌を極めていた。その中で基本的人権はそれほど順守されなかったのだ。
 数百年まえよりはましになったのだそれが周りの人間の合言葉で過酷な労働に従事していた。
 そして結婚の機会さえ逃したアンナはそれ以外にできることはなかったのだ。
 ゴロウアキマサはフデをインクに浸した。そして模様のようなものを紙に書きつけていく。
 縦に連ねられた文字の形はアンナにはかなりなじみがない。読めないなりに文字の姿ぐらいは見たことがあったのだ。
「こっちは縦書きだったんだ。あちらの言葉は横文字なんて呼んでいたな」
 そう言うと、今度は別の筆記用具を取り出した。
 その形はアンナにも見覚えのあるこちらの筆記用具だ。
 先ほどフデに比べればひどくたどたどしい動きで何か書きつける。
「こっちの文字だ、言葉は覚えているが、やはり書きにくいな」
 そして、その言葉の下に縦書きでフデで何か書いていく。
 文字は読めないが、それでもフデで書いたほうがどこか字の形が整って見えた。
「こっちは最近練習を始めたんだ、やっぱり慣れないよな」
「そうなの?」
「お前は書けないのか?」
 そういったゴロウアキマサは本当に意外そうだった。
「ゴロウアキマサはどうして読み書きができるの?」
 ゴロウアキマサはもともとただの職人に過ぎなかったといっていた。
「いや、テラコヤに通ったからな」
「テラコヤ?」
「字の練習と計算を習うところだ、オブケサンなら家に先生を呼んだかもしれんが、貧しい家の子はテラコヤに通うもんだった」
 テラコヤが学校で、オブケサンがおそらく貴族かそれにあたるものなんだろうと見当をつける。だがゴロウアキマサの故郷では貧しい子供専門の学校があったと聞いてアンナは少し傷ついた。
 ゴロウアキマサの言い分ではずっと前からそういうものがあったのだと思われたからだ。
 そんなものはドイツでは最近やっとできたのに。
「習いたければエドワードに頼めばいい、ドイツ語は無理かもしれないがこちらの言葉の読み書きは習えるはずだ」
 ずっとうらやましかったのだ、読み書きのできる年下の子供たちが。
 アンナはそっと頷いた。
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