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第三十五話
近いのに遠くて
しおりを挟むヘルメスは造船所にある魔法石を使った道具に目を奪われてばかりだが、しっかりとマリセウスの腕からは離れずにアレやコレやと純粋な感想を述べていく。
いつもなら情熱に任せてすぐに離れていくのに、今日はお澄ましかな?それとも成長したのだろうかとマリセウスは妻に感心していた。しかしヘルメスの実際の心情は少し違った。
本当は駆け出してがっつり観察したい。だけども、夫を少しでも元気づけたいと願っていた。自分が楽しげにしてばかりではとてもじゃないが良い妃にはなれない。
今回の事業のことで彼はかなり力を入れているらしく、昨日の夕食後はあれこれと目を輝かせて熱弁していたのだ。……自分の言葉では届かなかった輝きが、別のもので取り戻せたのがやはり堪える。
こうやって腕を絡ませて歩いているのは自分だし、勿論彼の一番であることは自負している。以前、夫が無機質なものにまで嫉妬してしまうような事があったそうだが、ヘルメスは今になってその気持ちが酷く理解出来てしまったのだ。
しかし力不足を痛感している場合ではない。こうしている間にも結婚式の日が近づいているのだし、戸籍では既に夫婦である。午前中の妃教育の教えにもあった『万が一のことがあれば、王太子殿下の身命を守ることを第一に考える』と習ったばかりだ。……彼の過去を考えれば、我が身を挺して守ることが如何に大切か。
ヘルメスは恐怖で震えて涙する夫の姿を見て、その日の夜はまるで我が事のように胸を痛めて悲しくなった。深い傷というのは案外、外からでは見えないものだ。その傷を晒してもらえれば手当が出来るかもしれないが、如何せんそれにはマリセウスの勇気が必要なのだ。無理やり暴くのは余計に傷が抉れてしまう。……だから彼を信じて待つことしか出来ない。なんと歯痒いことだろうか。
「ヘルメス?」
「……。」
「どうしたんだい、ヘルメス。」
「……へっ?あ、すみません。先程のトロッコかっこいいなぁ~って、ついつい。」
本当は己の情けなさを夫を理由にして隠そうとしていたなんて、口が裂けても言えるわけがなく嘘とも本当とも付け難い理由を口にした。
相変わらず着眼点がいいねとその夫は褒めてくれるも、それもまた申し訳なさが募ってしまいしょげてしまいそうだ。だがヘルメスは妃教育で培った作り笑いをしてこの場を凌いでいく。……今の所はバレていない、大丈夫だ。
「それにしても、あのような道具はどのように発明されるのですか?」
「はい。実はほとんどがメルキア帝国の技術者のおかげなのですよ。私たちハンクスは神秘とどのように接して共に生活するのかを考えますが、メルキアの場合は神秘を利用していると言えば近いでしょう。……海神にとって不敬のある語弊な上に、メルキアの方々には失礼に当たりますが。」
妹夫婦の後ろにいたグレイは何気なしにジョナサンに質問をしてみた。サンラン国はメルキア帝国の属国であり、その文明の発展に触れてきたとは思うが、何せ緑多いのどかな小国。寧ろ文明があったら国のアイデンティティが損なわれる上に自然環境が破壊されかねない理由もあって、便利なそれとは暫し無縁の環境が続いている。のでヘルメスのように魔法石に精通していない人々にとっては、メルキアが作った神秘利用の文明はなかなか知られてはいないのだ。
神秘の海ハンクスと並ぶ大国、文明の焔メルキア。アスター大陸の心臓である両国のいずれか片方がなくなれば、この文明は失われてしまうも同然である。それに準えて諺には「メルキアが火を起こせばハンクスは神に祈りを捧げる」というものがあり、それはどちらかがどちらかに一方に寄りかかっているような構図が浮かぶだろうが、出来ない面を互いに補う形にも見えなくはないという意味があるのだ。
「そう考えると、メルキア帝国にとっても今回の従兄上の結婚は両手を上げて喜べるものでしょう。」
「ヘルメスがサンラン国の貴族令嬢だから、ですか?」
「それもありますが、ヘルメス妃殿下は魔法石に対して博士号のそれと遜色ない知識をお持ちだとお聞きしました。加えて従兄上も、ハンクス王族であるにも関わらず魔法石の技術化に意欲がありますから、発展に拍車がかかることに期待が高まるわけですよ。」
とんでもない夫婦が爆誕したわけだ。まさに技術、産業、文明に革命が起こっても不思議ではない時代に入ろうとしている。
しかし……グレイは今は喜べないでいる。
まだ妹の夫の為人を把握していないのもあるが、どうも今のヘルメスに何か違和感を覚えていたのだ。例えば何が?と言われたら、わからないとしか答えられない。ただ……なんだかモヤモヤしていそうという気だけはある。
そうこうしているうちに一隻の帆船が見えるところまでやってきた。
「ほら、あの船だよ。」
試作船はパッと見て普通の帆船ではあるが、船底には水流石の力が争点されている巨大な転移石が装備されている。
その他に違う点と言えばオールがない所と、転移石を管理できる部屋が設けられている所だろう。
「これがどう動くかどうかが見ものでね。早くも楽しみでならないんだ。」
「……転移石だと出力が弱いかもしれませんが、その点は大丈夫なのですか?」
「まぁ風がない前提での限定的な使い方だから問題よ。」
「なるほどぉー……。」
……ん?今のはもっと食いついてきてくれそうだったのに、どうしたのだろうか。どこか心あらずのヘルメスが気になり、尋ねようとするも少し間が悪くてマリセウスは声をかけられてしまったのだ。
本当は断ってでも寄り添いたいのだが、この事業は多くの人間が携わっている。ただの一人として無碍には出来ないと思っているマリセウスは律儀に応答をするのだ。
「ごめん。少し離れるよ。」
「いえ、いってらっしゃいませ。」
申し訳ない気持ちで妻に離れることを伝えても、マリセウスの違和感に反して笑顔であった。
……ただ、いつもの多幸感が伝わらないのが気がかかりであったが。
夫が事業の関係者の元へ行ってしまうと取り残されたヘルメスは柵に寄りかかって例の船を見つめていた。別にすぐに動くわけでもないのに、それを凝視している……ように見えて、ただ思考を止めてぼんやりとしているだけだった。
(本当……仕事に嫉妬するなんて、馬鹿みたい。)
吐き出せない切なさと不甲斐なさはやがて苛立ちに代わり、そろそろ耐えるのも限界なのではとヘルメス自身は思っていた。
深いため息を思い切り吐き、重くなっている体の内側を軽くしてまたぼんやりと船を見た。
「ん?」
何やら一人、周囲を気にしていそいそと両手に抱えている木箱を船に運び入れていた。今日は試運転だからか、念の為の準備に余念がないのだろう。……それにしても、あそこまで周りを気にしてキョロキョロするとは、きっと搬入忘れなどのうっかりミスをしたに違いない。気持ちはわかるなぁとまで思っていた。
「なぁヘルメス。」
「……兄さん?」
「何かあったのか。今日はいつもより大人しいぞ?」
「……たまにはお澄まししてもいいじゃない。」
頬を膨らませて心配する兄を一蹴したのは言うまでもない。
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