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第三十一話
マリセウスの日常
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「お待たせして申し訳ありません。お久しぶりですね。」
「王太子殿下、お忙しい中わざわざ時間を作って下さりありがとうございます。」
外交使節団との打ち合わせを手際よくまとめ、綿密に最低限の目的や献上する品々を厳選を終わらせた。時間にすると一時間ほどだっただろうか。体感はそれ以上にあったような気もする。
悩む時間が勿体無いと言わんばかりに即決していき、しかし細やかな意見も聞き漏らさずその度に訂正と確定を繰り返している。小さな道を整備するかのように迅速で丁寧な判断、頭の柔軟性が見て取れる。
外交の打ち合わせが終わると執務室から離れて応接室に入る。ガーランド領の集落の代表数人が教会や今後のことでの話し合いだ。本来なら領主とやり合うはずなのだが、聞けば彼らと直談判したのは王太子本人だったという。
「辺境伯はいらっしゃらないのですか?」
「国境周辺では、訳ありの移民が多くいらっしゃいます故、早々に離れなれないのです。今回の婚礼も参列出来ないとご連絡もいただいてます。」
以前までなら不法入国が絶えず強制的に送還、もしくは重い刑罰に処していたが入国審査基準が見直されて条件が揃えば国籍も取得可能となった。
不法入国をしたままハンクスのどこか小さな村や集落に身を寄せていた人間も過去には多くいたが、彼らの過去を洗いざらい調べてからの審査はなかなか骨が折れるというもの。しかし、マリセウスはガーランド領にそのコミュニティがある事を聞きつけて僅かな同行者と身一つで乗り込んだ。
「隣接しているユクレーン公国とメルキア帝国も殿下の行動力を耳にして、時間も労力もかかる不法入国問題にようやく重い腰を上げまして、今ではガーランド領集落は改善できるひとつの指針とされております。」
「……すごい実績をお持ちなのですね。」
「しかし殿下がおっしゃるには、生まれ育った場所を捨てざるを得ないほどに追い詰められてしまった元凶を断たねば解決しない事にはならないと。故に実績のうちには入れないそうですよ。」
メルキアの属国である小さいサンラン国にもそんなコミュニティは点在しているが、予算案会議でもなかなか資金繰りに悪戦苦闘してしまっている。今回の婚礼で何かが変わるといいなと、ネビルからの話を聞いていたグレイは思っていた。
法の穴を掻い潜って悪が無害な人々を食い物にさえしなければ、きっと彼らも泣く泣く逃げるような真似はしなかったはずなのに。それこそ法を変える革新的なことをせねば、救える人も増えるだろう。リスクは高い、それを承知の上で切り込んだ妹の夫は立場以上の責任が大きくのしかかったはずだ。
王太子の背後壁際にネビル共に綺麗に直立不動であるグレイは、そんな重みを感じさせない明るい振る舞いで集落の代表たちと意気揚々と話し合っている。
元々責任感はある人間であるのはわかっていたが、やはり国を支える大きな柱の一人なだけあって当然……そう、当然なのだ。重圧で気が狂いそうになり、心が崩壊しかけたときに隙間をちょうど埋めてくれる相手が妹だったとか、そんな展開だったらすぐに二人を引き離せただろうか。
しかしそんな都合の良いことなんてない。実際にことの経緯を見聞きしているが、寧ろ重みを楽しんでいるようにも感じる。
劇場の昨今流行りでは、王子が期待の重圧と誰からも一人前として認められない寂しさから婚約者の令嬢を裏切り、天真爛漫な平民の少女に心を奪われ破滅していく展開ばかりで偏見を持ってしまっていた。それこそ都合が良い話だ、本当に空想の物語でよかった。
ずらりと並べられた書面や地図、設計図を目を通しながら会話を止めることなく適切な場所にどうやって建設していくかを考えていく。地元住民の彼らの意志を優先しつつ、将来的に役場を設けるとなるかの未来のことも踏まえながら良き立地を見つけていき、ついに決定した。
建設を任せる業者はガルキ家が最も信頼している大工衆に依頼する予定だそうだ。さすがに王太子に全てを丸投げにはさせない辺境伯ならではの気遣いだろう。
決定事項を確認のための読み上げをし、それらに一同は同意しマリセウスは判子を押した。仰々しく固い握手をし、彼らを途中まで見送るなどの気遣いもみせるなど、パフォーマンスとしては最高だろう。しかしパフォーマンスとしてではなく、心からの信頼の現れなのは側近にしか理解されてないのが現実である。
「さて。これで彼らの生活もより良くなるだろうね。次は?」
「王都の住宅街空き家荒らしの事件ですね。報告書がまとめられているのでそちらに。」
「わかった。それも合わせて細々とした雑務もやるか。」
そういうと自分のポケットから手帳を取り出して、恐らくはやりたいことを簡潔にまとめているのだろうか目を通した。ああそうだ、と記していている箇所に指を止めた。
「離宮までの道のりにある開けた場所があるだろう?あそこは変わった植物が多くてヘルメスも目移りしていたくらいだ。植物学士を呼んで調べてもらってくれ。珍しいものなら残しておきたいし、彼女と園芸をしてみたいからね。」
「畏まりました。手配します。」
「それと来月に予定しているエゲレスコ王国に陛下が訪問するようだが、何か預かっているものはないかい?」
「はい、執務の方はほとんどが殿下に横取り……いえ、こなしていただいているので問題はないそうです。」
「そうか。ならしばらくは安泰だな。」
今横取りって言わなかったか?
仕事なんてたくさんあっても嬉しくないだろうに、どんどん集めてどんどんこなして行くタイプなのだろうか?
グレイはネビルの横につきながら目の前で背筋を伸ばして歩く義弟(歳上)についていく。彼がすれ違う臣下に簡単に挨拶を交わし、何やら書類も手渡されそれをざっくり目を通して指示を出し、または誰かを呼び止めて指示を仰いでいた。
……どうやらグレイの考えはあっていたようだ。
執務室に戻ると、分厚い辞典が三冊ほど積まれたような高さの書類が置かれていた。どうやら空き家荒らし事件の報告書らしい。
「ふむ。私の望んだ通りに詳細が書かれているな。これは助かる。」
(国会の議員だったら嫌がるくらいの量だぞ、これ。)
事件が発生する前後の事象や家屋の被害、近隣住民が不安に思っていることや憲兵の見回り増員、見回りの報告書など……それはそれは目が回るほどの文字数であり大抵の人間が目を通すのが嫌がりそうな報告書である。
だというのに、まるで面白い本を読むかのようにパラパラと目を通して行く。すると十数枚目あたりになると捲る手を止めた。それと同時に側近の一人が執務室に入室してきた。
「ああ、君。ちょうどよかった。確か例の空き家荒らしの被害地区の自治会長と以前話し合っていたのだっけ?」
「あ、はい。」
「近隣住民も少なからず家屋に被害に遭っているというのに補償の申請がされていないようだが、どういう事か知っているかい?」
「私も補償について勧めたのですが、何か不都合があるようで渋っているのです。」
実際に申請書を小脇に抱えており、仕方なく直接訪問をしてきたのだが言い訳をしてのらりくらりと交わされているそうだ。あとは判子を押すだけ、という状態らしいが何か怪しい。
「判を押すだけですよ、と自治会長のご自宅まで行きましたが『利き手である右手を怪我しているから』と使用人に言われまして。」
驚いたことに顔すら会わせてくれなかった事実を述べられた。
「だったら左手で押せばいいだろう?」
「『左手も怪我をしている』と返されました。」
「ならば足でも構わないよ。」
「『両足も骨折している』と言われました。」
「……代理人は?」
「『判子を預けるほど信用している人間はいない』と。」
なんという屁理屈。まるで子供だ。
それらの言い訳を聞いて流石に苛立つかと思えば、呆れも何も顔に出さずに机の引き出しから一枚の便箋を取り出した。
一筆書き上げ、仰々しい判子をひとつ押せば……あっという間に『王太子命令』の証明書の出来上がり。効力は王命の印よりかは薄いが、それでも騎士団のひとつの師団は動かせるほどの力はある。
「ネビル。シグルドは王宮にいたか?」
「はい。ウィルソン将軍に披露宴当日のことで引き継ぎを行なっております。」
「そうか。なら君。フレッド騎士団長に自治会長のことを話して、団長と共にもう一度彼の自宅に訪問してくれないかい?その時に自治会長にこの手紙を渡してくれ。」
「はい、畏まりました。」
手紙を受け取ると急いで執務室を飛び出していった。
側近を見送ると再び報告書に目を通して、「ああ、やはり可能性があるな」と小さく呟いた。
グレイは妹よりかは好奇心はないが、彼の書いた文面がなんなのかが気になった。王族の一筆を早々に眼にすることなんてないものだから、興味が湧いてしまったのであろう。
「……あの、殿下。」
「はい、義兄上。」
やはり四十代の歳上に義兄呼びされるのは慣れない。ちょっとこそばゆいのは今は我慢。
「先程の文面、なんと書かれたのですか?」
「……あー。大したことではありませんよ?『そんなに言い訳を吐けるほど口を動かせるなら、口に咥えて判を押せ』って。」
なんとも皮肉めいたジョークのような文章のつもりなのか少しばかり笑いながら答えるも、
「『出来なければ拘束してでも王宮に連れて行く』とも添えましたけどもね。」
途端に真顔になり、突然の温度の落差にゾッとしてしまった。
それだけの事で騎士団長も動かすのか……。しかし冷徹な表情からすぐにまた穏やかな顔つきとなり、その間にも入ってくる雑務をこなしながら次の仕事へと移っていった。
蛇足になる。
この時点ではグレイを含めた側近達は気がついてはいなかったが、空き家荒らしの犯人を自治会長が庇っている可能性が十分にあるとマリセウスは推察していた。
そしてそれが的中し、当時の現場はシグルドが大暴れしてとんでもない捕物になったものの無事に解決したのはまた別の話となる。
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