オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第二十九話

しあわせスクランブル

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 緊迫感が過ぎ去ったテーブル。
 ヘルメスがいる隣の席に戻るマリセウスは、自分たちの決意を暖かく見守ってくれると勘違いしていた。ので着席早々に周囲に微笑みながら会釈した。
 ……仕事に対して責任感もあり腹のうちがわからない男なのに、案外抜けている部分があるのだなと彼の少し天然が入っている側面を一同は思い知らされたのである。

 デュランはただ一人の反対派を気遣うつもりはない。しかしここで無理にアレコレ進めたら次に悪役になるのは自分なのだろうなと考えた。それは嫌だ。息子が好感度を上げているのに私が下がるのはとてつもなく屈辱的である……とまで腹の中で悔しがっていた。
 しかし、親というのは障害にならねばなるまいと渋々腹を括る。

 「そうなると……婚姻届はサインのみにして提出は控えたほうがいいのだろうなぁ。」

 ちょっとばかり寂しげな演技を加えてデュランは言う。

 「あ……。その、発言よろしいでしょうか?」

 まだ少しオドオドしているグレイは挙手をして許可を貰う。

 「その……王太子殿下が自らを追い詰めるようなことをしたのですから、僕……いえ、私もフェアでありたいと思いまして。えっと、出来ればサインして届出を出して下さると……。」

 「……つまり籍は入れてもらって、結婚式までにうちのアホを理解したいと?」

 アホ!?と軽く驚くマリセウスとは別に、入籍に関しては許していることに驚いたヘルメスが互いに別々の方向にリアクションする。

 何せこれはヘルメス達にとっても大博打、四日後には結婚式が挙げられる。そんな恐ろしく短期間のうちに反対している兄を心から信用されるようにしなければならないのだから、婚姻届も出せない前提での覚悟だったのだ。
 グレイなりに自分達に歩み寄っているのだろうか、はたまた籍も入れられなかったときの責任逃れとも思っているのか。どちらにしろ想定外の出来事で驚きを隠せないでいる。

 「そんなに驚くことないだろ!?大体、僕のせいで籍まで入れらないと思われたら一生恨むだろう?」

 それは恨む!と元気よく即答してしまいそうではあった。だがさすがに兄だとしても失礼にあたる。

 「それに、君達の大事な指輪を預かったんだ。だったら逃げちゃいけないよ。」

 ……ここまで比較的普通の人生を歩んできたグレイも、人生の大一番と言わんばかりに意を決していた。
 普通の結婚相手なら多少の気負いはするものの、責任を持って預かるだろうし為人をじっくり見るだろう。だが相手は王族、挙式まで四日、しかも歳上の義弟の三連続。今でもプレッシャーで少し吐きそうになる。
 心に陰りなく祝福したい、されたい。この先の幸せを笑顔で見送りたい。それはやはり、兄として確かな愛情があるからだ。
 もうあんな顔をさせたくない。

 「兄さん……ありがとう。」
 「義兄上、ありがとうございます。」

 ……それにしても二十以上も年齢が上の相手に兄呼びされるのはなかなか複雑なものがある。やめてほしいと言いたいが、彼なりの誠意なので拒否するのは気が引けるのでムズムズするが甘んじて受け入れることとした。

 先にマリセウスの前に婚姻届が置かれる。
 いつも多くの書類に目を通して一筆入れている彼だが、こればかりはとても緊張する。
 いつものようにペン先にインクをつけ、記入欄に自分の名前を書く。さすがは自分が選んだだけの用紙であるため、ペン先がひっかかることもなくスムーズにフルネームを書き入れられ、最後に自身の印を押した。

 インクが乾いたのを確認し、次に妻となるヘルメスに渡される。
 今日は朝から緊張感ばかりを持って挑んできたが、待ち望んでいた瞬間が来たと思うと喜び故に失敗したくない別種の緊張感がやってくる。
 ペン先にインクを着けすぎず、名前を丁寧に書き……しかしゆっくりすぎると滲んでしまう。いつも通りにいつも通りにと念じながら、ヘルメスはペンを走らせた。
 そして念の為と見直して最後に自分の印を押す。……マリセウスと名前が横並びになっている、それがなんだか嬉しくて心が弾む。

 最後に国王デュランと王妃テレサが証人欄にサインをすれば、あとは提出すれば完了の状態となった。

 「夫婦となる二人のサインをした事を見守ってくれた事、感謝する。まぁ私が良しと言えばもう籍を入れたも同然だが……役所勤めの者らの仕事を奪うのはよろしくないのでな。」

 ちょっとしたジョークを交え、外邸内にある役所へと提出を老年の執事に託して婚姻届は提出される。執事が戻ってくる頃、きっと入籍記念に発行される証明書も持ってきてくれるだろうと言われた。

 受理されたら戸籍上はついに夫婦になる。その事を改めて祝福されると、二人は照れ臭くも幸せそうに笑い合い、この場は一気に春の陽気のように多幸感に満たされた。

 「……それにしても、不思議な事もあるのですね。」
 「どうしたの、ターニャ。」
 「いえ。先程まで……失礼ながらもヘルメス様のお兄様に対して、少し苛立ってしまいまして。ですがヘルメス様の笑顔を見たら、どうして苛立っていたのだろうと急に落ち着きましたの。」

 そういえば。ジャクリーンも妙に気持ちが豊かというか、疲れた体を癒すのに湯船に浸かるような心休まるような気持ちになっている。その上に幸せな空気をお裾分けしてもらっているので、無条件に満たされている感覚になっていた。
 悪い気分ではないが、かえって不安になる。喜怒哀楽とは自身の行動や身の回りから来る感情だ。兄の婚姻でここまで心豊かになるものだろうか?何か感情を操られているような……だとしたら一体何が、どうしてここまでさせているのだろう。
 ジャクリーンはこの疑問と不安を誰に伝えようか迷っていると、食前酒と前菜が目の前にやってきた。

 (とりあえず後で大丈夫かしらね。)

 皆のテーブルに行き渡ると、デュランの乾杯の音頭で一口サイズの食前酒を飲み干す。
 前菜は生ハムでチーズを巻いたもの。生ハムの塩味でチーズの甘味が増し、食欲がとても刺激される組み合わせである。今回のメインディッシュはどんなものだろうと想像するのも楽しみのひとつだ。

 前菜を目の前にしたヘルメスは、目をキラキラさせている……まだ前菜なのに、この喜びよう。その表情が愛らしいのか隣のマリセウスは人前だというのにデレデレしている。ジャクリーンは『みっともないわよ兄様』と一言かけてやろうかとしたが、ヘルメスの周辺が煌めいているせいで目をまともに開けられない。

 「お母様、どうなさいました?」
 「いえ。なんだか眩しくて……。」

 母の様子にいち早く気がついたターニャが小さく声をかける。それを聞いて周辺を軽く見渡すも、強い光などは見当たらない。どこが眩しいと尋ねるとヘルメス自身の周りが発光しているように視えているらしく、ターニャも彼女に視線を移した。無邪気なまでに食べ物を見つめている、ただそれだけ。

 「慧眼ですか?」
 「恐らく……でも、こんなに離れているのにハッキリしているのは普通じゃないわ。」

 ジャクリーンの祝福の力はほとんど海神に返還されており、顔を近づけないと相手の本質を見抜けない。故に本質が思わず目を細めるほどに燦然としている理由がわからない……いや、あるとしたら。

 (加護の力ってここまで強いものなの?)

 ヘルメスは前菜の生ハムを口にした。
 よく噛んで、舌で味わい……至福のときを堪能して飲み込んだ。次の瞬間、非常に美味だったのか先程よりも幸せな笑顔を咲かせた。

 「美味しい……っ。」

 「!」

 途端、閃光が爆発したかのようにジャクリーンを視界を真っ白にさせた。
 これを体感出来ているのはジャクリーンただひとりなので、決して騒がず落ち着いて目を伏せる。
 しかしさすがに長くは伏せていられないと思い、恐る恐る顔を上げた。……周囲は光の粒子が雪のように降り注いでおり、何が起きたのか理解出来ない。しかし、異常事態は起きていた。

 「くっ……!か、体が勝手に……!」

 「ちょっ、旦那様!?どうなさったの!」

 セネルが自分の皿にある生ハムをヘルメスの皿に移そうとしている。これはマナーが悪い。
 しかし家庭内ではよくある親心。子供が美味しそうに頬張る惣菜を思わず分け与えてしまう、そして余計に喜んでくれるからやめるタイミングがわからないのもよくある事なのだ。
 と、ここで国王夫妻が諌めるかと思ったが、二人とも前菜の皿を持ち上げている。

 「……そんなに美味いなら私の分もあげよう。」
 「私のもあげるからたくさん食べてね。」

 「母上!?親父も餌付けるのはやめなさいよ!!」

 先程までデレデレになっていた兄はさすがに我に返って両親の行動を諌める。
 さすがに突然のことでヘルメスも困惑しているようで、自分の親か義両親を止めるか迷っている。そんな困惑している隙をついて、グレイが自分の皿にある生ハムを全てヘルメスの皿に移していた。

 「ちょ!兄さんもやめてよ!」
 「ち、違うんだ……!なんか、『こうしたほうがいい』って気持ちが……でも反するように『これが正しい』の気持ちもあって!」
 「一緒じゃん!」

 ……テーブルの向こうが大混戦しており、他はどうかと言えばジョナサンも『で、出遅れた!……いや何言ってるのだ私は!』と一人で餌付けたい欲を抑えていた。夫のロレンスと息子のアレンは皿を掴んだまま硬直しており(恐らくはジョナサン同様に出遅れたので呆然としている可能性)、ターニャは『耐えなさい……耐えなさい私のハート!』と念じていた。
 運良く顔を伏せていたジャクリーンは餌付けたい衝動まではないものの、先程の心休まるよりもふかふかのベッドに沈んで温もりに任せたまま眠りに落ちそうな感覚にグレードが上がっているのだ。

 「……まさか、この加護は魅了!?」

 だとしたら国家の存続が危ぶまれる。

 魅了というのは遠い過去に一人だけ王家から出てきた加護であり、王の妃であるにも関わらず男性ハーレムを築きあげてしまい、国庫も空にする寸前にほどに贅沢三昧の暮らしをしていた。この危機感により魅了が解けた王は妃を処断した経緯がある。
 しかし魅了なら、ジャクリーンはヘルメスにときめきを覚えるはずだ。今は風呂上がりのようにポカポカな心。……ではなんだろうか?混沌としている今ならヘルメスの加護を解析出来るはず。

 「ヘルメスちゃん!」

 ジャクリーンは席を立ち、急いでヘルメスの元へ寄る。
 パニック気味になっているヘルメスの顔を両手で押さえて青空の瞳を強く覗き込む。

 妹が突然、婚約者の顔を潰すように押さえていることに驚いてたまらず引き剥がそうとするもあまりにも真剣な目で彼女を見つめていた。

 「ど、どうしたんだジャクリーン!?」

 しかし返事はない。とてつもない集中力でヘルメスを見つめている……マリセウスはもしかして、海神からもらった加護が原因でみんなヘルメスに餌付けたがるようになってしまっているのかと、ジャクリーンのその様相で察しがいった。
 と途端、納得したのか大きく息を吐いて脱力した。ヘルメスの両の頬を手でぷにぷにと揉みながら天を仰いだ。……私だってヘルメスをぷにぷにしたいのにコイツ!と思ったが抑えておいた。また混沌となるから。

 「……ジャクリーン、どうかしたのか。」
 「……幸福の共有。」

 頬を練られているヘルメスもなんの事がわからず、首を傾げるもが自分の皿がどんどん生ハムの山を築いていくのにギョッとして硬直してしまったのだった……。


 ヘルメスが母神エギルから授かった加護、『幸福の共有』。
 ヘルメス自身が喜び・幸福を心から感じると周囲を巻き込んで平常心のものは気持ちが少しだけ弾み、負の感情を抱えたものは平常心を取り戻すという……他人の精神に干渉してしまう加護なのである。

 蛇足だがヘルメスは没後、『神海王国民に豊かな心を育んでくれた偉大な国母』と称されたのは言うまでもなく……。
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