オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第二十九話

なけなしの

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 ほぼ全員が婚姻に賛成している、ならば残すのは婚姻届にサインをして食事会……デュランはその気でいたが、昨日の話を聞くかぎり納得出来ていない者を放置するのは気分が悪いと息子は考えているかもしれない。
 その反対しているであろう当人が何も言わないのならば、賛成として数に入れてもいいはずだろうに。大のために小を捨てない性分はどこからきたものかとデュランは思った。

 「構わん。何か申し立てか。」

 何の申し立てか知っているが敢えて尋ねた。
 マリセウスは許しを得ると、執事に預けた指輪の箱を持ち出した。蓋を開放し、円卓の中央にそれを置いて皆に結婚指輪がどのような細工と石で出来ているのかを見えるようにした。
 白銀の透かし細工がされたリングと澄み切ったサファイア、光が刺すと宝石のカットされた部分の輪郭に合わせて金色のラインがゆっくりと引かれるように輝いている不思議な細工が施されている。
 繊細で見事な技術に居合わせた彼らはとても感嘆としており、どのような職人が作ったのかジョナサンが興奮気味に尋ねてきた。海神からの賜物とは言えないので王家お抱えの職人と答えてから「彼は商売には興味がないよ、私が十数年口説いても首を縦には振ってくれなかったからね。」とマリセウスは釘を刺した。この答えにはジョナサンは苦笑いしてバレましたかとすぐに諦めたようだ。

 「確かに素敵な結婚指輪ですが、どうしてまた突然に?」

 出来れば二人が結婚式を挙げてから嵌めている姿で見てみたかったとも思ったセネルは何気なしに尋ねてみる。
 その言葉を待っていたかのようにマリセウスは指輪の箱を取り上げて暫く中身を見つめていた。

 「私とヘルメスは揃いの魔法石を使ったペンダントとブローチ、互いの瞳の色をモチーフにした花の刺繍を施したハンカチーフを常に持っています。ですが、この結婚指輪だけは特別です。」

 伴侶がいる、それだけの証ではない。何せ結婚指輪は本来は宝石の類いを着けないシンプルなリングであるべきだ。しかし、このサファイアは(海神が作ったとはいえ)特別に意味があるものである。ヘルメスがサファイアの輝くラインの細工を見つけて口にした時、十五年前に遭った彼女との思い出が蘇ったのだ。朽ち果てて価値のなくなった黄金が、夜明けを告げる太陽になったあの日を。

 「十五年前、あの日の出会いをまるで再現してくれたようなこの細工は私にとってかけがえない物になります。それ以上に……ヘルメスが妻になってくれることも生涯において誇れることです。」

 思い出ばかりに浸からず、少しばかりの惚気を口にする。
 未だに幼い頃の記憶が蘇らないヘルメスにとっては自分の知らない話題を周囲に話す姿はどこか寂しくて置いていかれそうになるも、思い出せばいいだけのことだと哀愁など蹴っ飛ばした。それを待つ事を許してくれた彼の信用に応えていくつもりだ。愛情というものはそうであるべきなのだろう。
 滔々と自身の想いを語るも、一旦言葉を止めて先程から伏せているグレイに声をかける。あまりに突然のことに肩を震わせて裏声を出して返事をしてしまった。

 「貴方が私を信用していないのは重々ご理解しております。いくら王族とはいえ、私達の年齢差の婚姻は確かに将来的に考えれば不安になります。そのお気持ちは今もお変わりないでしょうか?」

 祝福される穏やかな空気が一変して少し重くなる。全員がグレイを注視した。
 確かに不信感は拭えないが、この婚姻は国をあげて祝う行事となっている。だったら一個人よりも国家が優先されるべきだ。グレイは恐らく自分がここで退場させられて強制帰国されるのかもしれない、恐ろしく感じた寧ろここにいるよりずっといい。自分ひとりが反対するのならばそれを排除する、そうすれば全てが丸く収まるだろうと。
 だから偽りなく、しかしやや緊張しながら答えた。

 「……変わり、ありません。いくらヘルメスと殿下が純愛で結ばれても、僕は殿下が何者なのかも理解していませんし信用できる要素が未だありませんから。」

 本人なりにキツめに、それでいて周囲から心象を悪くするような言葉を自分なりに選んだ。
 これで僕はここにはいられなくなるんだろうな……皆さんからの冷たい視線を受けるのはしんどいけれども。
 言葉を発してすぐに顔をまた伏せる。本来なら不敬に当たる行為だ。それでもやってしまうのは、もうどうにでもなれとでも言わんばかりにヤケクソになっているからなのかもしれない。

 暫しの沈黙が流れる。
 それを破ったのは、席を立ってグレイの元へ歩んだマリセウスだ。

 彼のすぐ横につくと片膝をついて、義兄に話しかける。

 「兄君、ならばこちらを預かって下さいませんか?」

 横目でも純白の礼装が視界に入る。
 グレイは恐る恐るマリセウスに視線を合わせる。すると目の前にある預かって欲しい物に、思わず息を呑む。

 「そ……それは。」

 「はい。これを受け取ったときにヘルメスと相談したのです。私が兄君から信用していただくための時間も限られています。ですから、結婚式当日までに私は兄君から信頼を勝ち取るために……二人が最も大切にしている、この結婚指輪を預かってほしいのです。もし信用に取るに足らんと思いになりましたら捨てるなり売るなり、お好きになさって下さい。」

 先程、如何にこれが特別な存在かつ妹にとっても重要な意味を持っているであろう見せてもらった結婚指輪。
 ある意味国宝級のそれを差し出すということは、剣を渡して『信を得なければ斬り捨ててほしい』と言っているようなもので……それこそ宣誓の儀でヘルメスのようなことをしているのだ。

 「な……なんで?僕が反対したところで結婚式が中止になるわけじゃないでしょう?」

 「確かにそうです。ですが、だからこそです。もし兄君の気持ちを無視して強行してしまえば私は貴方から一生信頼されない。それは私だけではなくてヘルメスや互いの両親も悲しませることになります。」

 「そんなの時間が解決してくれることでしょう?このような大事なものを差し出すほど、僕は重要な立場の人間ではありませんよ!」

 焦りながらも断る方便を探し出そうとなんとか返事をするも、嫌な汗が額を伝い背筋を這わす感触で如何に自身が想定外の事態に弱い人間かわかってしまう。声も時々裏返り、緊張よりも一種の恐怖すら感じる。

 グレイはヘルメスの兄だ。それはこれからもずっとそうである。そして妹の夫になる人とは滅多には会えないが交流もしていくだろう。身分の差が大きくても、親戚付き合いを無難にこなしていくつもりでもあった。相手が王太子であろうと商会の会頭だろうと、本音を殺せば全て楽な方に流れる。
 なのに、距離を詰めてくる上に王太子であるにも関わらず不信感が拭えない自分に対して膝をついて結婚指輪を預けて来ようとするのだ。愛する人の家族を悲しませたくない純然な気持ちなのは確かだ、しかし本当にそれだけなのだろうか?
 疑問が浮かんだタイミングで、まるで心中を見透かされたようにマリセウスは小声で語りかけた。

 「時間が解決してくれるかもしれません。ですが……昨日のヘルメスの涙を見てしまったら、私は兄君から信用を得ねばなるまいと悟ったのです。」

 ……いくら小さな声だとはいえ、それは滲ませるような絞った声色だった。

 痛いところをグサリと刺されたグレイは昨日のヘルメスが悲しい顔をしていたのを思い出し、あの後本当に泣いてしまったのかと知ってしまった。たまらず視線を妹に向けると、まるで昨日と同じような……いや、どちらかと言えば婚約者と自分達の気持ちが届いてほしい、そんな願いを込めているような眼差しだった。

 国が王家が云々よりも、彼らにとって何が大事なのか優先されたのがこの行動なのだろう。実際に両親と国王夫妻は何も言わずに見守っているだけである。
 きっと何も複雑なことは考えていない。『純粋にこの結婚を祝福してほしい』想いだけが伝わってきたのである。

 小心者で慎重なグレイは、決して浅慮ではない。
 ここまでされて弱腰になったら、家に帰れなくなるじゃないか。

 「……いいんですか?本当に僕に預けても。」

 「はい。」

 「信用出来ないって思ったら、本当に捨ててもいいんですね?」

 「はい。」

 「こんな事を親族の前でやらかしてる時点でマイナスなんですよ?」

 「はい。重々承知の上です。」

 「こ……この辱めだけは絶対に忘れませんからね!」

 「はい。一生涯、此度のことをネタにいびられても構いません。」

 どうしたらこの人を信用できるだろうか?それはグレイにとって大きな問題として立ちはだかった。
 ヘルメスのような勇気を持ち合わせてはいないが、礼節を不躾で返すほど品位を欠く人間ではない。

 「…………お預かり、させていただきます。」

 なけなしの勇気を振り絞り、震える手で指輪の箱をしっかりと受け取ったグレイに対してマリセウスは笑顔で返した。

 「ありがとうございます、義兄上!」

 「うえっ!?」

 突然の義兄呼びに驚愕の声をあげると、固唾を飲んで見守っていた面々は思わず吹き出してしまい、空気は和やかさを取り戻したのであった。
 そしてようやくマリセウスにとって大きな一歩を踏み出せたのだった。
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