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第二十九話
影ひとつ
しおりを挟む式場に到着すると、国王夫妻とマクスエル公爵令嬢のターニャと弟のアレンが既にいた。
ターニャは本来ならヘルメスのお目付役として傍にいるはずなのだが、残念ながら今回は神前式の件もあったため同行は出来ずに人前式からの参加となった。アレンもまた宣誓の儀の立会人として出席したかったが、父である公爵と話し合い今はまだ早いと判断しての欠席。ロレンスの本心は同席させたい気持ちはあったが、本人も領主としても王家を支える公爵としても勉強不足であることを考慮しての決断である。
ヘルメスはその話を姉弟から聞いて、きっと次の機会がありますよと言うとジャクリーンはすかさず「まぁ兄様の子が産まれる頃には参加出来るわ」と放った。
マリセウスは気が早い!と真っ赤になって制したがヘルメスは深く考えていないのか、私とマリス様の子供かぁ~と親子三人になった所を想像して一人ほんわか和んでいるのであった。
ヘルメスを交えてカートン夫妻もターニャ達と談笑をしていると、話のキリが良いところでマリセウスに呼ばれたヘルメスは彼の隣にいくと、他とは少し雰囲気の違う目の前の紳士を紹介してくれた。
「紹介するよ、彼はジョナサン。母方の従弟さ。」
「初めまして。ご紹介にあずかりました、ジョナサン・ジオードと申します。」
「ご丁寧にありがとうございます。ヘルメス・カートンと申します。」
王妃テレサと同じ髪色をしたその人は、宣誓の儀の前に雑談していたテレサの実家、ポラリス造船交易商の交易部門商会会頭であるジョナサンである。
聞けばマリセウスとジョナサンはグリーングラス商会の設立からの付き合いで従兄弟同士ではあるものの、ビジネスでは互いにシビアややり取りをしているとの事。そんな長年の付き合いのため、商人として信頼関係はとても厚い。
「設立からのお付き合いといいますと……失礼ですが、ジョナサン様はお歳はおいくつなのですか?」
「来月に四十一になります。」
確かマリス様は今年で四十四歳になって……とヘルメスは脳内で計算する。
グリーングラス商会を立ち上げたのは十八歳の時だと聞いていたので、その時ジョナサンは十五になっている。まだ幼いと呼ばれているであろう年齢なのに、既に取引や経営に携わっていることに驚きを隠しきれなかった。
貴族でも領地運営は成人年齢である十六歳からようやく携われるというのに、ジョナサンは大変優秀な商人だと言うのがわかる。そうヘルメスが言うと、それは違うと首を横に振られてしまった。
「いえ、実は殿下に……巻き込まれたと申しましょうか。」
否定する割には歯切れが悪い。
マリセウスに対して下手をすれば無礼な発言に当たるかもしれないとでも思っているのだろうか。苦笑いをしながら従兄に視線を流して『話してもいいか』と許可を得ようとしている。しかしながら、それはマリセウスが自ら話した。
「ちょっと訳があってね。私の商会と取引を叔父上は快く思わなかったから、ジョナサンを無理やり引っ張り出してね?」
「そのぉ……誘拐されてしまって。」
「誘拐!?」
「あ、いやちょっと語弊があるかな?」
王家が親戚を人質にとったのはかなりの問題なのでは?
しかし詳しく聞けばそうではなく。
幼少期からマリセウスに懐いていたジョナサン。設立したばかりの小さな商会相手に短期間だけ取引して欲しいと懇願してきた王子の頼みを蹴った父と同じ席に着いていた。
目から光が消えていた甥を心配して、ちゃんとご両親と相談して~と叔父が全部言う前に、暗い眼をしたまま従弟へ視線を移す。視線が合うと瞬間、寂しさを向けられた。
すると情が湧いたのか、ジョナサンは父の隣からマリセウスの隣に席へ移り……。
「『取引しないなら、家業は継がない』と思わず……。」
「で、そのまま親子喧嘩になりそうだったからこれ幸いと私はジョナサンを連れて宮殿に帰ったってわけ。」
「それ誘拐ですよ!!」
「でもジョナサンの許可はとったよ?」
当時のことを鮮明に思い出しながら話していると、なかなかに過酷な日々だったらしい。
その後、マリセウスは「一人息子を返してほしくば、交易商の会頭の座を一人息子に譲れ」と……誘拐犯とは思えない要求をしてジョナサンはめでたく(めでたくはない)ポラリス造船交易商交易部門会頭に、若干十五歳で就任したのである。
勿論、事情を知らない従業員や役員らは猛反対した。後継とはいえ成人しておらず社会経験すらない。この騒動でポラリスの信用は一時低迷してしまうも、三ヶ月後には脅威のV字回復を見せたのだ。
あまりの持ち直しの速さに従業員も役員も手の平を返すかのようにジョナサンを賞賛したが、その影にはグリーングラス商会があったことを彼らは知らない。
ポラリス造船交易商は資産家や貴族を相手に手堅く商売をしてきた商会だった。しかしマリセウスは己の経験の元と平民の感覚を培う機会のおかげで知見を広げており、『これならば庶民は手に取る』を心得ていた。ポラリスの太客に需要がないものは意外にも一般的な中流家庭には需要のあるものが多く、それらをグリーングラス商会が買取り流通させていった。
三ヶ月後、ジョナサンとマリセウスは約束通りに短期間の取引を終了させると新たな販路を広げた事により、ポラリスは中流家庭向けに船のレンタルなども始めるなどの新たな事業展開により、大企業へと成長したのである。
グリーングラスもまた、ポラリスを介して様々な職人や工房があることを知り、取引先を多く得ていき現在ではハンクスで知らぬものはいない商会までになった。
「だからグリーングラス商会が貴族や資産家向けの調度品を取扱うこともあれば、一般家庭向けの日用品なども取り扱っているのはポラリスからのインスパイアなんだ。」
「いいえ。それは殿下のお知恵があったからこそ。おかげで今の我が社があるのですから。」
……互いに笑顔で思い出に花を咲かせているが、なかなかに強引なやり方である。世が世なら悪政でもやらかしかねない王になるのではと不安にもなる。
「それにしても、どうしてそこまで強引に商会を起業したかったのですか?」
「うーん……誤解されがちだけども、王家の収入って事業での収入でね。国民からの税金では生活してはいけないんだよ。彼等が納めてくれたものは彼等の生活に還元するのが当然だからさ。」
ヘルメスの質問に当然のように答えるマリセウスは苦笑いをしながら、本当に当時は強引なことをしてしまったなとも呟いた。今は従業員より収入を低めにして給金を貰っているが、起業してから今日まで細々と貯蓄しているから安心してほしいとも付け加えた。
が、ヘルメスは何かスッキリしない。
実は神海王国にやってきてから離れられない彼の言葉が心にずっと残っていた。
『いいや。情けないのだが……私の生い立ちを私自身、まだ話せる度胸がなくてな。』
『私の幼い頃と、十八の頃。その二つを話すには、まだ話せるほどの勇気がないんだ。』
ジョナサンが話していた当時のマリセウスの様相も言動も、あまりにも必死すぎることが伝わってきた。
その頃の彼は一体何を思って従弟を誘拐まがいな事をしてでも起業を……いや、収入を得ようとしていたのだろう。金銭が必要な環境なわけでもないのに、ヘルメスは妙に違和感を感じた。
(なんだろう……まるで、)
ひとつの推測が浮かび、たまらず投げかけようとするも王妃テレサの明るい声で抑えられた。
「ほらほら。あなたたちの思い出話ばかりじゃあカートン伯爵のご家族もついていけないわよ。ささっ、みんな席におかけになって。」
ああ、そうでした。大変失礼を……と二人はデニー家とカートン家に頭を下げ、皆がテーブルへと向かった。
マリセウスもヘルメスの手を引いて後に続こうとしたが、ほんのりと彼女の顔が曇っているのにすぐに気がついた。
「……ヘルメス?どうかしたのかい?」
「あっ、いえ。ただ……。」
「……ただ?」
彼が勇気を出して話してくれるのを待ち、自分は彼との出会いを自力で思い出したいと誓った。
だから今この場でそれを聞き出すのはいけない。ヘルメスは先ほどよぎった憶測を忘れるように話した。
「……ジョナサン様と仲が良ろしくていいなって。」
「……妬いてる?」
「妬いてませんっ。」
大好きな人についた初めての嘘は、大好きな人の矜持を守るための嘘。
ヘルメスはマリセウスに手を引かれると自然と笑顔になり、その思いは秘めることにするのであった。
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