オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第二十七話

妻は余裕を持て

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 イフリッド公爵のダイアナ・ヴァン・アントニオはマリセウスの七つ歳上の女公爵である。
 彼女が初めてマリセウスと対面したのは十一歳の頃。五歳になる弟と共に、王子殿下と歳近い貴族令息と令嬢の顔合わせのお茶会でその容姿を見たのが全ての始まりだったと語る。
 曰く、ふわふわで明るいブラウンの髪色、溢れそうな大きな金色の瞳、幼児特有の丸くて柔らかそうな頬に無垢な笑顔……あれを天使と呼ばずになんと呼ぶかと、その日家に帰ってから両親に熱弁したそうだ。
 それからは王子の誕生会となると必ず列席し、マリセウスが十歳になる頃の容姿もこれまた鮮明に覚えているそうで、それこそ御伽噺にしか存在しない絵に描いたような美少年がそこにいたと、ダイアナはまた興奮気味に語っている。

 「ですが私はその十歳のお誕生会の後、エゲレスコ王国へ留学することとなり……十年以上、ハンクスから離れてしまいまして。帰国して爵位を継ぐ頃にまたお会い出来ると思いでしたが、それも叶わず。しかし十五年前に立太子なされたときに久々にお姿を目にした時はもうね、若い者の語彙が消失したときに使う言葉ですが、『やばい』を思わず連呼してしまいましてね。あの愛らしい天使のようなご尊顔の面影を残しつつ、なんと申しますか……大人特有の、こう、こうっ!渋味とか色気とか、その他諸々がですね!?今のように筋骨隆々で逞しい肉体の殿下も良いのですが、当時の中肉中背もまた年相応で良いと、お恥ずかしながら、久々にご覧になった推しが尊いのなんのって!!」

 ……アントニオ家は王家にも遠慮なく意見を言える数少ない有力な貴族の一角だ。当主となったダイアナも勿論中立に徹することを念頭において爵位を継いだものの、やはりマリセウスを推しているためか王家を贔屓してしまうのではないかと周囲は酷く心配したそうだ。
 しかし公私混合しない鉄の心を持っていた強い精神力は誰よりも抜きん出ていたため、その心配は杞憂に終わった。今は三人の息子に次期当主としての教育をしながらも、国を支えてくれているのだ。
 それに今回の婚姻を誰よりも喜んだのは他の誰でもなく、このダイアナである。

 「あの、ええっと……イフリッド公爵、ひとつよろしいですか?」
 「はい、推しの嫁……ではなくてヘルメス様。」
  
 なんかチョイチョイおかしくなってるな……と謎の不安と緊張感をマリセウスは背負う。

 「大変失礼なのですが……もしかして、マリセウス殿下にその、下心とかは抱いてなどいませんよね?」

 その反面、婚約者が狙われているのではないかと少し不安がりながらヘルメスの心配する様子は不謹慎ながら可愛いと思ってしまうマリセウス。本当不謹慎だぞお前。

 「まさか!寧ろ推しがようやく結婚して子供を残して、その遺伝子が未来へと続くのですよ!?私、王太子殿下はハチャメチャに推してますが恋愛感情の類は一切は持ち合わせておりません!殿下は遠巻きに見るのがベストな存在なので!」

 「だってよ初恋キラー。」
 「よかったわねヘルメスちゃん。」

 ヘルメスがホッと胸を撫で下ろすも、「初恋キラーって私!?」と仰天しながらデュランに詰め寄るマリセウス。またささやかながら派手な親子喧嘩が始まりそうになるも、ロレンスが間に入って二人を宥め始めた……。

 そんなワチャワチャ具合を外野で楽しそうに眺めているシルズはこっそり紅茶を一杯貰いながら、何気なく柱時計に目をやる。

 「あら?もうよいお時間ではなくて?」

 マイペースにそれを促すと周囲の動きはピタリと止んだ。元々は時間厳守をするタイプの人間が集まっているので、予定時刻やら何やらに対してはかなり敏感なのであろう。その場の熱に浮かれず、ひとりでのんびり振舞っているように思えて最後の理性のような役割を果たしている……さすがは国会をまとめている国家元首なだけある。

 簡単な挨拶だけを済ませるつもりが、予定よりも時間をかけてしまった非礼を詫びて、彼らは将軍達と立会人のいる広間へと向かったのだった。

 小さな嵐が過ぎ去り、エヴァルマー家とヘルメスが残った部屋は静けさを取り戻すと一同は僅かに残された時間で小休憩に戻ることとする。

 「それにしても、熱心にマリス様を見ていらっしゃる方でしたね……。」
 「私も知らなかったよ、イフリッド公爵に熱狂的な目で見られていたとは。」

 だが国王夫妻は気づいていたらしく、それならそうと教えてくれれば……いや教えられても困るが、まさか堅苦しい公爵があそこまで感情を爆発させるなどとは思わなかったので、あの号泣と早口の熱弁がまたフラッシュバックする。しかし我ら二人の仲を認めてくれているのは有り難いとマリセウスは頷いた。

 「まぁ公私混合しない人でよかったよ。」

 出された紅茶を一口だけ口に含むと同時に、

 「そうだな、他の貴婦人らはどうかは知らんが。」
 「んぶっ!?」

 予想外の発言に思わず吹き出しかけた。ただでさえ純白の礼装なのに、紅茶のシミがついてしまったら目立ってしまう。溢していないか確認しつつも手持ちのハンカチで口元を拭う。

 「あら、もしかして本当に気がついていなかったの?貴方には熱狂的な愛好家が社交会や貴婦人の間には結構な人数がいるのよ。」
 「あ、愛好家……!?」
 「マリス様愛好家……?」

 愛好家とはある事を好む人の事を指している単語だが、ヘルメスが知る限りではそれは草花だったり動物だったり、スポーツ競技によく使われている言葉だ。でもまさか、王太子愛好家なんてワードが存在するなぞ思ってもみなかった。

 「それって、イフリッド公爵のように遠巻きでマリス様を見ることに幸福感を覚えるという方のことを指しているのですよね?」
 「ええ、そうなのだろうけど……。」

 それなら少し安心する。彼の良いところを楽しげに共有して盛り上がる仲間がいるのはとても喜ばしいことだ。上手くいけばヘルメスだって、その婦人たちと円満な関係を結べるだろうし社交界に溶け込むことが出来るかもしれない。しかし、テレサはどうも歯切れの悪い返しをしてきた。追求してみるべきか考えるとデュランが答える。

 「困った事に、たまにその『好む』が『恋』になる者がいてだな。」
 「恋っ!?」

 ヘルメスは裏返った声をあげると、また飲み直した紅茶を吹き出しかけたマリセウス。再び慌てて口元を拭い、また礼装にシミが出来てないか確認する……。
 確かに彼は紳士的で優しくて容姿もよく年齢相応の色気もあるし、これに惚れない人がいるのかとヘルメスは惚気気味に思った。思っただけで口にはしなかったが、実際は口にしたくてたまらないが恥ずかしいので耐えた。

 「遠巻きで見るだけでは抑えきれないほどに好意が募ったものもいるようなんだ。その時は公爵が仲間と共に宥めたり抑えたりしてくれているようだが……。」
 「中には奇行に走る人もいてね……。マリセウスと両想いだと妄想している婦人も出てきて、家庭を捨てて付き纏いをする人とか怖い文章を綴った手紙なんかを送りつけてきたりね。」
 「あ、あの、それ私は知らないのですが。」
 「お前に接触する前に阻止しているから当然だ。」

 知らない間に守られていた……。自身に対して執着を見せるおかしな人間がまさか周囲にいたとは思わなかったため、余計に愕然としてしまう。
 手紙には髪の毛の束が入っていたり婚姻届も封入されているものもあったそうで、付き纏いに関しては宮殿に勤めていない臣下以外は入城不可であるのにも関わらず、不法侵入を繰り返す者もいれば深夜に内廷へと忍び込もうとする輩も現れていたそう。狙われている本人が気づかないほど想像以上にセキュリティが万全である。
 捕まった者らは牢獄へ搬送される、もしくは精神科医院へ送られて本来の自分を取り戻して深く反省をしているのが大半なのだが、改心の余地がないと判断されれば海神の庇護下のない強制労働の島へ送られ二度と戻れない極刑が課せられる。残念なことに数名はこの島流にあっているそうだ。
 恋をすることは悪い事ではないが……相手の気持ちを無視して妄想による暴走は誰も幸せにはなれない。周りが見えなくなるのは本当に恐ろしいことなのだ。

 ……そのような事を一通り話されてひとつの不安が生まれる。

 「……その迷惑行為って、マリス様と私が夫婦になっても続く可能性はありますか?」
 「さすがにそれはなくなるんじゃないかな……。」

 ヘルメスはマリセウスの事を酷く心配しているようで、それを杞憂であるように『無くなるであろう』とフォローするものの、逆にマリセウスは彼女が巻き込まれることを心配していた。
 もし本当に自分に度の超えた好意を向けられているとしたら、嫉妬に狂ってヘルメスに何か嫌がらせのような迷惑行為をされるのではないだろうか……。当のヘルメス本人は自身のことをなんとも思っていないのか、ひたすらマリセウスのことばかりに気をかけていた。

 「心配しなくても大丈夫よ。今まで狙われている本人が気づかないほどに防犯や警護は万全だもの。」
 「うんうん。ヘルメス嬢は王太子妃としてドンと構えていれば良いだけだ。」

 オドオドしたいればかえって奇行を増長させてしまうからなと付け加えると、ヘルメスは今までとは別の責任感が芽生えたのか改めて背筋を伸ばした。

 (……こんな形で敵のような存在が浮き彫りになるなんて。)

 ここにきて新たな事実に気が付かなければよかったと、妻となる彼女の重荷を増やしてしまったことの申し訳なさで酷く落ち込んでしまったのだった。
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