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第二十六話
神前式
しおりを挟む海神ファ・ゼール。
世界が生まれたばかり、人類という生物が誕生する前に海に降臨した神の一柱。海洋に豊かさを与え、時に大地に試練を与えるとされる。天空には兄のイース、冥界には弟のアデルがいる。
世界が創世され人類が生まれ知識を手にした頃、多くの生命は彼ら神々の声が聞こえなくなっていた。それは世界の生物たちが徐々に進化をし始めている予兆でもあったのだ。
イースはやがて世界中を見渡せるように更に天高く空へ上がっていき、アデルは霊魂に安らぎを与えるために黄泉の深い場所へと旅立った。ファ・ゼールもまた深海から生命の進化を見守ろうと旅立つつもりであったが、たった一人の人類だけが彼の声を聞いたのであった。
それが現在の神海王国ハンクスの大地に立っていた、王家の始祖であるエヴァルマー。後に巫女となり、ファ・ゼールは彼女を介して人類に知恵を授けるようになったのだ。
「それからだ。知識を得て自らの足で立ち、歩き、文明を人類が築き上げてきた。私がこのアスター大陸の海洋に腰を置くことになってからか、本来であれば幻とされて人々の空想で留まる生物たちもここに集うようになり、いつからか世界で唯一神秘が集まる国……いや、大陸と呼ばれるようになったのは。」
ファ・ゼールは感慨深く創世され、今日までのアスター大陸の歩みを数年前の思い出話のように語った。人間にとっては想像だにできない遥か太古の話である。考古学者が頭を抱えて大昔の生命体や自然環境を推測・研究しているだろうに、この神に尋ねてしまえば全て解決してしまう……仮にファ・ゼールは尋ねられても答えはしない。人々の叡智で真相に辿り着くこと、それはとても素晴らしく美しいと捉えているのだから。
彼らと初対面のヘルメスは多くの情報量で頭がいっぱいになるのかと思えば、さすがは好奇心の塊と言える大人になりかけている少女。気になる箇所を挙手して質問する。
ファ・ゼールの声はエヴァルマーにしか聞こえないはずなのに、何故エヴァルマーの血を引かない自身も聞こえるのか?ほぉ~と感嘆すると神は答えた。
「それはここ、神託の間だから出来ることだね。この白亜の壁もまた創世時にあった、元は入江の洞穴の一部だったのだよ。巫女が子を産むも、その伴侶が私の声を聞けないんじゃ不便だったからさ。」
「子供が産まれると聞こえなくなるのですか?」
「いやいや。巫女だって休みたい時もあるだろう?今の時代で言うと……育児休暇?という奴。白亜の岩に数年かけて私たちの神力を注いだおかげで、エヴァルマー以外の人間も声が聞こえるようになったってわけよ。」
なるほど、洞穴だったのならばこの深さなら納得出来る。泉が光っているのは、泉自体から光が放たれているのではなく、泉の外構で海水に浸かっている部分から僅かな光石の力で反射させている。あと別にここでなくても水辺や池でも召喚には応じることが可能だが、その場合はデュランの持つ海神の杖が必要ではある。どちらにせよエヴァルマーがいなければ話も出来ないのでな、とファ・ゼールはヘルメスの質問に次々と答えていくのだった……。
「ファ・ゼール。もうここまでにした方がよろしいのではないかしら?」
「おや……すまない、こんなにも好奇心の強い娘は建国以来初めてでな。」
「マリセウス、貴方もこの子に見惚れていないで止めなさい。」
「……申し訳ない。だが、それが彼女の良き所なので、つい。」
彼らの間に割って入り注意するエギルに、反省と照れと惚気を同時にマリセウスは無意識にぶつける。神相手でも己の本能そのまま晒すとは大したものだ……ちょっと不敬だけども。
「貴女、お名前は?」
エギルは母親のように優しい笑みでヘルメスに問いかける。
先程はこちらが屈んで挨拶したのに、今は逆に屈んで尋ねられる。しかも神相手なのだからちょっと不思議な経験をしている。こんな話は誰も信じないだろうとヘルメスは心中で呟いた。
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はサンラン国カートン伯爵が長女、ヘルメス・カートンと申します。」
夫となるべく人の不敬を返上しようと、丁寧にカーテシーをしながら自己紹介をする。しかし彼らは『堅苦しいのはなし』と『綺麗な挨拶だ』と、これまた丁寧にヘルメスを誉めた。
エギルは顔を興味深く覗き込んで、それはまるで本を読むように彼女を読み解いていく……。
「ヘルメス……旅人の安全を願う精霊の名前ね。今年の秋に十九歳になる……お母様方の祖父母は数年前にアデルの元へ……お父様方の祖父母は、世界中を股にかけて旅に……あら、貴女のひいひいお婆様は……まぁ、ふふっ。」
ヘルメスの顔を覗いているだけで、彼女の所縁ある親族の事が語られる。母方の祖父母は確か数年前に亡くなってしまい、父方の祖父母……先代伯爵夫婦は長年の夢であった世界旅行の旅に出ている。月に一度は手紙が届いてそれを家族で読むのが楽しみのひとつでもあって。だがひいひい……祖母の事は何もわからないが、エギルが笑っているのだから悪い事ではないのだろうとは思う。
「清き乙女、まっすぐで優しい子。でも純粋さ故に繊細な部分が多々あるわ。……まだ脆い砂のお城みたいな心を持っているのね。マリセウスはそんな貴女に惹かれたのかしら。」
そ、そんな~……えへへ。とヘルメスが照れていると同じような言葉でマリセウスもまた照れていた。
兄様じゃないわよ、気持ち悪い。と辛辣にジャクリーンが手にしていた扇子で軽く頭をどつくと何故かショボンと落ち込んでしまった……惚気たいのか、この王太子は。
子供のように喜怒哀楽が激しい彼の姿がなんだか可笑しくてヘルメスが笑うと、途端にマリセウスも恥ずかしそうに笑って元気を取り戻した。歳の差を感じさせない、甘美な関係。国王夫妻もまた心から微笑ましく感じ、和やかな気持ちのまま彼らを見守っていた。
「ふむ。この二人なら、恐らくは良い指輪を作れそうだな。」
「指輪?」
「君とマリセウスの結婚指輪だよ。エヴァルマーが着ける結婚指輪は私達が神前式で生成しているのさ。」
そんな事まで出来るのか、と驚くヘルメス。てっきり結婚指輪は魔宝飾店グッデンバーグにお願いしているのかと思っていた。
王族の結婚指輪。王族に嫁いできたものもエヴァルマーの一員になることを祝福してファ・ゼールの神力によって作られる指輪である。神秘などはこめられてはいないが、身につける本人の指に合わせて丁度いいサイズになる。曰く、「手袋の上から嵌めてもキュッとなるぞ。」との事。
マリセウスは指輪のことは知っていたが、どのように作られるのかまでは存じない。だから年甲斐もなく、少しばかり不安になる。
「そう身構えなくともいい。君らが向き合って仲良く両手で手を繋ぐ。二人の間に私の神パワーを入れる。二人の波長に合わせた指輪が出てくる。おしまい。」
……確かに身構えなくてもよさそうだが、ちょっとざっくりな説明すぎないか?本当にそれだけかと再度尋ねてみる。
「ファ・ゼール、嘘つかない。」
「そ、それなら……。」
……無条件に信用してしまうような言葉を言われたので信じないわけにはいかない。たまに信頼のハードルがおかしい王太子殿下で、両親と妹は少し心配になってきた。かと言ってそこにツッコミを入れるほど辛辣な性格ではない周囲は指輪が生まれるところを見てみたいと囃し立てる(実はちょっと時間が押していると、後日デュランは語る)。結婚前でちょっと浮かれ気味のマリセウスの背中を押し、ヘルメスもなんだかんだとその波に押されて自然と二人は両手を重ね合わせた。
指を互いの間に入れて優しく握り合うと、照れ臭く甘酸っぱい気持ちになり、初々しく微笑み合う。
ファ・ゼールは泉に指を刺すと、そこから海水の球体がひとつ現れた。呼ばれたようにファ・ゼールの手の上に来ると、二人の間にポンっと軽く投げる。すると宙に浮いたままの球体に視線を集中させ、パチン!と指を鳴らした。
海水の球体は中心から小さな火が灯ったように光を帯び、徐々にそれが大きくなっていく。やがて輝きが限界を迎えたのか、球体は弾けてしまい光も消えてしまったのだ。
弾けた瞬間、二人は目を瞑ったが再度開いてみると……見事な装飾が施された箱が宙に浮いていた。
これが……とマリセウスはヘルメスに手を離す断りを入れて、浮いているその箱を手にした。箱を彼女にも見える高さまで降ろし、二人は同時に蓋に手をかけて開いてみせた。
「わぁ……。」
「綺麗……。」
リングは白銀で波のような透かし模様が加工されており、そんな繊細な装飾と二人の謙虚さを現しているような大きさの(しかし十カラットほどはある)宝石……アンティーククッションカットされた透き通るようなサファイアが飾られている。ここまでなら普通に作ってもらった結婚指輪だろうが、宝石をよく見たことのないヘルメスは様々な角度でそれを観察する。
すると不思議な現象を目にする。僅かな光が差し込むと、カットされた箇所の輪郭に合わせて黄金のラインが引かれたように輝くのだ。その線はとても細く、ゆっくりと引かれているため容易に見つけられない。まさにヘルメスのような観察眼と好奇心がなければ見逃してしまうような粋な細工である。
それこそがまさしく二人のために作られた結婚指輪だ。寛大な海原と果てない空のような青を現し、互いを思いやる優しさのような澄み切ったサファイア。透かし細工は身分と歳の差の隔たりを取っ払らったかのようにも思えてくる。
喜びながら二人はファ・ゼールに感謝を告げる。その嬉しそうな顔は、目を覚ましたら枕元にプレゼントが置かれていてはしゃぐ子供のように純粋な喜びであった。指輪をすぐに嵌めたい衝動に駆られそうになるも、それは挙式のときにしようと決めて箱から取り出さずに彼らはデュラン達にも見せてあげた。
ヘルメスが見つけた光る小細工にも紹介すると、こちらも良い反応がして、それは本当に楽しげな一時であった。
「ああ、これは本当に二人の為だけの指輪だ。」
「貴方たちのイメージに沿った唯一無二の指輪……私たちのもそうだけども、こんなに綺麗だなんて。」
「そうね……兄様とヘルメスちゃんにしか着けられない、大切な指輪ね。」
そう口々に自然と感想を述べられ、ふたつ並んだ指輪に改めて視線を落とす。
その時ふと、ひとつのある事が浮かんだ。
ただそれは、『これから結婚するのに何故そんな事を』と訝しむことを言われてしまうだろうが……マリセウスはある事の打破に使えるのではと踏んだ。だがそれを口にするにはまだ早く、もう少し考えを整えた方が良いと思い口にはしなかった。
最後に母神エギルがヘルメスを呼び寄せた。
「エヴァルマーの一員になる貴女に加護を授けないとね。」
「加護、ですか?」
「マリセウスのような祝福と似ているかしら。でも能力ではなくて、お守りに近いかしらね。」
エギルは自身の額をヘルメスの額に合わせると、彼女の体は優しく光り、そしてすぐに消え去った。
どんな加護なのかは授けた神すらわからない不思議な力。それはヘルメスの魂次第だと語る。
「名残惜しいが、時間が押しているようだし我らはまた海に戻るよ。」
「次に来るときは……司式者を選ぶときね?」
「わりとすぐだったな。」
どこまでもフランクで親しみやすい二柱の神は、姿を水に変えて泉へと飛び込んで去っていってしまった。
ちゃんと別れを言いたかったのに、とヘルメスは少ししょんぼりしてしまった。とここで、マリセウスに声をかけられた。
「君がもしよかったらなんだが……。」
次の式典は、宣誓の儀。これまた少し緊張する式典である。
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