オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第二十四話

慎重≠悲観

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 「もう!今日だけで何回気絶するの!」

 先程までグレイが横になっていた部屋に再度運び込まれて、気を失った彼を寝かせる。ヘルメスは怒って声を荒げているのになかなか起きないのは、相当ショックなことがあったのだろう……と。
 そこでキリコがマリセウス達が戻ってくる少し前、グレイとの会話を二人に聞かせた。話から察するに、マリセウスが王族であることを知らなかったようであり、セネルが宛てた手紙にもそのことを知らせている事もキリコは知っていた。

 「……もしかして、届いた日って『ウサギのいたずらの日』だったんじゃない?」
 「うさぎの悪戯?」

 マリセウスが首を傾げるのも無理はない。
 『ウサギのいたずら』は四月始めにある、その日の午前中にだけは嘘をついて良い日である。その嘘と言うのが、冗談だとわかるものや相手を傷つけないことが前提となっており、正午には嘘である事をネタバラシしてお詫びにキャンディを渡すイベントでもある。
 これはサンラン国のみ行われる風習で、その起源はウサギに姿を変えられてしまった精霊が狼に食べられそうになったところ、大層な嘘をついて命からがら逃げ出せたことが由来だとされている。
 似たような童話なら神秘が集うハンクスにもあるが、それを風習に落とし込んではおらず、恐らくはどちらかが起源となっておりサンラン国に根付いたのだろう。
 毎年、四月になると家族でよく笑える嘘をつきあってはお昼にキャンディを配り合うカートン家。グレイが一人暮らしも始めても、その時の楽しさを忘れずに手紙にわかりやすい嘘とキャンディを送っていた……。
 規格外の重要な話はその日に持ち出さずに翌日か前日に話すのがマナーのひとつになっているのだが。

 「そういえば、大切な話だからって速達で送ってましたね。いつも通りキャンディを添えてしまったから、嘘だと思われても仕方ないかと。」

 つまり、うっかりと思い込みが重なって今回のことになってしまったのでは?ここに来るまでの旅路で確認することも出来ただろうにと、マリセウスは思ったが、元はといえば過密スケジュールを提案して実行に移したこちらにも落ち度があるので何も言えない。
 ここまである意味、一番の被害者はヘルメスだったが兄のグレイがぶっちぎりの被害者だと言われても納得してしまいそうな展開になっている。
 先月中にグレイと対面していたらこんな事にはならなかっただろうが、もはやタラレバの話だ。

 「……ん?そういえば、もうそろそろご両親が来る時間ではないかな。」

 あっ!と声を上げたのはヘルメス。
 そうだった、今日からこの内廷離れにある客間で暫く滞在することとなっていた。受け入れの準備はマリセウスの指示のおかげで滞りなく完了はしてはいるが、もう到着する予定なら出迎えなければいけない。

 「それじゃあそろそろエントランスに行きましょう。」
 「うーん、そうしたいのは山々なのだが……。」

 マリセウスはチラリとうなされているグレイを見やった。
 ヘルメスは兄の心配をしてくれている婚約者の優しさに痛み入るものの、兄のやってきた事は不敬にも当たる。ただでさえ困らせているのにこれ以上の面倒は見切れないとばかりにヘルメスは放置しましょうよと言うが、

 「いや、放っておいたらまた何か起こって気絶するだろう?だったら私が兄君と少し話して、折り合いをつけておいた方がいいかなって。」
 「でも、またマリス様に何か失礼なことをしたら……。」
 「それならキリコも一緒にいてくれた方がいいかな。兄君とはヘルメス同様に知った間柄だろうし。」

 むぅ、とちょっとむくれた顔をするものの……確かにまた何かしでかされるぐらいならと、まるで婚約者を兄に取られた気分にヘルメスはなった。
 マリセウスはマリセウスで、一瞬見せた彼女のむすっと顔にも愛らしさを感じてしまい、思わず頬を緩めてしまうが『心配いらない』と言わんばかりの表情だったらしく、キリコと共にこの場をお願いしてヘルメスはナタリアを連れてエントランスへと向かっていったのだった。

 「ぅ……ぅうっ。」

 彼の声が聞こえたのは、そのすぐ後だった。
 もう少し早くに起きていれば彼女もここにいただろうに。やはりタイミングや間の悪さが重なることが多い人物なのだろうか……明日の人前式にでもジャクリーンに見てもらおうかとも思ったりもした。

 「……っ、ここは……?」

 「お目覚めですか、兄君。」

 目を覚ましてぼんやりとしたまま、グレイはベッドのすぐ横に腰掛けていた紳士の顔を見た。運良く眼鏡をかけていなかったため、その人が誰なのかはわからずにとても冷静になれた。
 裸眼のままなら何もわからない、その方がいいかもしれないが、それでは意味がない……マリセウスは静かにグレイに眼鏡を手渡してかけさせた。

 「……へ、あっ!あ、貴方は……っ!」

 「ああ、落ち着いてください。怯えることはありません……兄君にお話があります。いいですか、どうか落ち着いて。」

 明らかに動揺しているグレイに対して宥めるように優しく、だけども医師のように冷静で淡白で、マリセウスは言葉を続ける。

 しかしそんな言葉を耳にして、『なんだか諜報員を宥めている医者のようだな』とキリコは妙な既視感を覚えた。グレイも似たような気持ちなのか、『どこかで流行していたようなワードだな?』のような顔をして、少しだけ緊張感が緩んだ。

 「兄君はもしや、私が王太子であることとヘルメス嬢が王家に嫁ぐ事をご冗談か何かと思われていましたか?」

 間を置かずに突然の本題に混乱を招くだろう。だがここまで来て、置いて行かれている彼をさらに孤立させるのはよろしくない。だったら荒療治とも言えなくもないが、もう切り込んでしまった方が今後の為になるだろうと踏み切った。

 「ぇ……あ、はい。」
 「それは何故?」
 「何故って……。それは、我が国では四月の頭に笑える嘘をついて良い日がありまして、その日に両親から手紙に妹と……ええっと、貴方のことが記されてて……。」

 キリコを見やると静かに頷き、先ほどの会話にあった推察がまさかの的中。
 つまり、手紙の到着するタイミングが『ウサギのイタズラ』前日、もしくは後日ではなくて当日に届いてしまい、おまけに毎年恒例のキャンディまで添えられていたのでは……まぁ、これは伯爵夫妻もある意味悪い。元凶は王家だが。

 「……そのようなタイミングでのお知らせ、それに突然のスケジュールを押し付けてこのような強行に及んでしまい、誠に申し訳ありませんでした。」

 エヴァルマーを代表して、謝罪させて下さい。
 マリセウスが丁寧に頭を下げるとグレイは自身にも非があることを認めた上でそれを受け入れると同時に顔を上げて欲しいと懇願する。あまりのことに恐れ慄いた。

 (……確かに、文句言って頭を下げさせるとは言ったけれども!)

 数日前の自身の発言を思い返す。
 しかしだ、まさか本当に妹が王族と婚約しただなんてとんでもない事が起きてしまった。彼が商会の会頭の一面もあるのは確かだが、どうして身分を隠して妹に近づいたのか……そしてどうしてあの野生児のヘルメスを妻に迎えようとしたのか。さらに言うなら、乙女心なんてなかった妹が、淑女になるまでに変貌するきっかけを作ったこの人は何者なのか。
 グレイは置いて行かれた分、わからない情報量で頭がいっぱいいっぱいになる。
 マリセウスの予想通り、困惑を招いたがグレイはそれに乗じて単刀直入に尋ねた。

 「……あの、殿下。お聞きしてもよろしいですか?」
 「はい。質疑応答は可能な限りお答えします。」

 「なんで、ヘルメスを妃に迎えようと?」

 「……お答えしても、よろしいのですね?」

 グレイの質問を聞いて目を見開き、そして輝かせた王太子。それも美術館で初めて会った時とは比にならないほどに輝かしい。
 グレイは国会議事堂の職員として色んな人物を見てきたからわかる。これは熱があるうちに語り尽く系の人間だ。恐らく本人はものの数分で済むと思っているが、実際は半日は費やすであろうタイプである。
 瞬時に見抜いて命拾い(?)したグレイは咄嗟に、

 「ああっ!え、ええっと、出来れば手短に!兄として、貴方がどのような人か確認したいので!」

 と、婚約者の兄という立場を利用して収める事にする。
 実際、さっきまでキラキラとしていたのに犬が耳を下げて『しょんぼり……』したようなテンションになった。
 よかった、死ぬかと思った。

 だが当人はどうも心底ヘルメスとのことについて語りたいのであろう、しょげていながらもどのくらいの量で話そうか、出来るなら全て話したいが最低限の情報量を出力するのに「ぐぬぬぬ」と悩ましげに絞り出していた。

 「……そうですね。彼女は十五年前に……私が諦めていた世界に、もう一度戻してくれた恩人でもあります。彼女の幼い頃の思い出が再会したあの日、一気に蘇ってきて……不思議なことにそのまま、恋に落ちたのですよ。」

 絞り出して口にしてしまえば本当に手短に済んだ。
 マリセウスは改めてヘルメスに対する心情を吐露すると、再会したあの日を思い出し、照れくさそうにペンダントにしている千年黒光石を手で包み込んだ。
 思わず何度でも口にしてしまいそうなほど、愛しい人が純粋で煌めいているあの姿はきっと、何年経っても色褪せないであろうと。あれほど運命的なものは生涯を通して二度と巡り会えないのではないかとも、今でも確信している。
 いい歳をした男が純情に頬を染めながら、その日を語るのは紛れもなく恋心の淡さ。
 緩衝材の役目であるキリコは、それを見てアラアラと口にしながらも伝わってくる甘酸っぱさを堪能していたりもした。

 マリセウスの照れた表情、本当に簡単な言葉ではあるが妹に対する想いはなんとなくだが察したグレイ。
 だが、実際は本当に手短すぎて彼の大きな感情の核心にまでは触れることは出来ていない。
 そのせいでグレイは一抹の不安を覚えた。

 『たったそれだけの思い出のために、自分勝手にもヘルメスを妃として重圧を与えている』。
 『ヘルメスに王太子妃としての器があるわけがない』。
 『我が家が責任を取れるかもわからないのに、何かあったからでは遅い』。

 ……彼は次期伯爵としての責任感がありすぎて、周りの声も聞こえないほどに自身を追い詰めてしまう事が多々あったのだ。思考が巡る中、どうすれば解決するのかに頭を使う。だから物事を極端に考えてしまうのだ。

 『何かが起こる前に、根から絶やせばいい』という傾向に。


*****


 ヘルメスはナタリアと共に両親を連れて離れにやってきた。
 内廷だと豪華で落ち着きないが、こちらは自分達に合ってて助かるよと父が言うと、自分の婚約者が考えてくれたと自慢げに話した。本当に気遣いの出来る優しい紳士だと自慢だってしてしまう。
 その分、彼の伴侶に相応しくならなきゃといけない重圧もあるが、今はそれすら楽しめているから不思議だ。
 えへへ……とヘルメスはマリセウスの惚気をちょくちょく話していると、あっという間にグレイのいる部屋の前までやってきた。ノックしてからしばらくすると、中から懇願するような大声が聞こえる。
 その場にいた一同は何事かと驚き、ノックしても返事がないことにヘルメスは兄が婚約者に掴み掛かっているのではと、ようやく消えかけていた苛立ちがまた蘇る。

 「兄さんっ!!」

 感情のままに扉を開けて飛び込んでみれば、掴み掛かるどころの話ではなかった。
 ベッドサイドの椅子に腰掛けていたマリセウスに対して、床に突っ伏して土下座をしている兄の光景だった。

 ……もしかして、今までの非礼を詫びているのか?
 だとしても違和感があった。受け手であるマリセウスが眉間に酷い皺を寄せている。困った態度であるなら、昼間の店主たちに対する対応をするはずだが、それを飛び越えて嫌な感情が酷く表立っていた。
 彼らはヘルメスに気づくことなく、会話を続けた。

 「兄君、今、なんとおっしゃいましたか?」

 その問いにグレイは顔を上げて声を張り上げた。

 「どうか!どうか、我が妹と!ヘルメスとの婚約を、解消して下さい!!」

 
 「……え。」

 新たな門出に祝福をされないことは、こんなにも悲しいことなのか。心に影が差し込んだ。
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