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第二十話
ささやかな幸せ
しおりを挟む……それからの展開は早かった。マリセウスがあまりにも欲しかった『手軽さ』が目の前で意図せずにやってきたのだから、ドリップの技術は喉から手が出るほど飢えていたので尚のこと。怒涛のお辞儀と『グリーングラス商会会頭』の名刺を差し出すと、予想通りの驚きのリアクションをして、理解を示してくれたので厨房への入室が許可された。
まずはどのように作成し、次に完成までの手間暇、全体的なコストパフォーマンスを大まかに計算して一つあたりの原価を考える。小さいもの一つ買うよりも五つ……もしくは十個をひとつのセットにして売ったほうが手に取った貰いやすい。しかしまだコーヒーは世間的には認知されていない。ならば『お試し用』として一袋だけ販売するのがいいのかもしれない。
あとは生産体制や保存庫の確保や工員が必要で豆を挽く手間諸々と……ここまで練るのに僅か三十分ほど。
「あとは貴方がこれを開発してくれたので、それの特許と商標登録を出願しないとだな。」
「え、いや、そんな大袈裟な。」
「大袈裟ではありませんぞ、新しく生まれて未来を作る技術には当然対価は払われるべきですからね。」
とはいえ、それの手続きをするには専門家がいてくれて方が早いということで、後日商会から専門家と交えて改めて生産工場などの具体案を話し合うこととなり、一旦この話は終わりとなった。
本当はその場で小切手を出して「好きなだけゼロをつけてくれ」としようとしたが、この男性店員……もとい店長には刺激が強すぎると判断して差し出すのをやめた。
「はぁー……まさか、ここで巡り合うとは思わなかったよ。」
「よかったですね、マリス様。」
席に戻ってきた彼を労うヘルメス。彼はとても充実した表情をしてのを見ると自然とこちらも顔を綻び、そして喜びを分かち合った。
「ありがとう。っと、折角のデートなのに仕事の話ばかりしてしまっていてごめんよ。」
「いいえ、だってマリス様が求めていたものがあったのですから、食いつくのは当然でしょう?」
「……そう言ってくれると、気持ちが軽くなるよ。ありがとう。」
そういえば、先程聞こえてきた特許や商標なんとかとはなんなのです?とヘルメスが尋ねてきてくれるので、遠慮なく説明をした。
王家主催の舞踏会やお茶会でも、マリセウスはこういった仕事熱心な部分・流行に疎い部分が重なってしまい、貴族令息・令嬢との会話はほとんどが政の固い話になってしまう。時にはそれに合わせてくれる者もいるが……やはり大半は『難しくて面白みがない』と、煙たがられしまうこともある。彼なりに流行をリサーチして会話しようとするも、経済面での視点になるので努力が報われた試しがない。もはや性格の問題だ。
ターニャは自分に合わせてくれるために政や経済を学んでくれたらしいが、ヘルメスの場合は好奇心が強いため知らない物にも触れて理解しようとする姿勢があるので、こういう固い話を遠慮なく振ってしまうのだ。
そう考えれば、自分が案外恵まれているのだなとマリセウスは思ったわけだ。
「……と、ように発案・発明してくれた人の権利を守ってくれて、一定期間は独占してその発明品で商売してもいいのが特許権。」
「そして商標権は、その発案者にお金を支払って類似品を製作・販売を許可する、と。たまに似ている品が商店に並んでいるときがあるから、そういう事なのですね。」
「人はやれ模造品だとか盗作だとか言うが、ちゃんと許可を得て出しているのに頭ごなしに批判するのはどうかなといつも思うんだよなぁ……。」
そうマリセウスは口にしたが、実際は模造品や盗作品が並ぶ時代があまりにも長かった影響でもあるから、それらを吐き捨てる人々の気持ちもわからなくもない。粗悪品が中に紛れていたり、贋物を渡して金銭を得る悪党もいれば発明・発案を盗んで我が物にする輩も現れた。
模造による文化の進歩を望める反面、それまで悪党がのさばってきた温床でもある故に印象を一新させることは容易ではない。作り手並びに発案者を優先して、まずは特許と商標の法整備が為されたものの、やはりまだまだ人の心からは悪印象を払拭しきれないでいる。道のりは長く険しい。
「やはりもっと『これは発案者公認』みたいなものを大々的に目印か何かを添えてみないとでは?」
「それも考えたが、味方によっては『他人の棚で商売している』なんてやっかんでくる奴らもいるみたいでね。」
「なんで何かしらのケチをつけないと気が済まない人の為に、嫌な気分にされないといけないんですかね……。」
「全くだ。文句があるならゼロから文明を作ってみろと言いたいよ。」
普段の二人はここまでは愚痴にならないような穏やかなやりとりをしているが、やはり世情に思うところがあるらしく、珍しく少しだけ苛立った事を口にしていた。
だがそんな二人の間にひとつのお茶が割って入ってきた。
「お待たせしました、レモンティーです。」
いつもの紅茶より色素は薄め、その為かいつもより明るい色に見える。輪切りされたレモンが大胆に一枚浮かんでいる。ふんわりと爽やかな香りが苛立ちをあっという間にさらってしまい、代わりに初めて見る紅茶に二人の好奇の目が注がれる。
お好みで、と置かれた角砂糖のポット。ひとつ入れようかと迷ったがまずは無糖で一口。茶葉の風味が強くない、レモンの酸味が後からやってくるが酸味もそれほど強くはないが、どこか物足りない。そうなればと角砂糖ふたつを投下して口に含む。
「美味しい。」
砂糖の甘さをレモンの酸味が程よく混ざり合い、それでいてすぐに飲み込めてしまう喉越しのよさ。初めて味わうそれに満面の笑みを浮かべたヘルメス。またその姿が愛らしくてたまらないと、釣られて微笑むマリセウス。先程までの苛立ちがどこへやら、卓はあっという間に幸せとなる。
その後、マリセウスの頼んだコーヒーと共に「試作品ですが」と共にパウンドケーキも運ばれてきた。バターの甘い風味のものと、オレンジの風味が含まれたものの二種類。ケーキの上にフルーツを乗せるものは知っているが、フルーツを生地に練り込んで焼くなどの発想はなかったなと思いつつ、ヘルメスと共にそれを食しながら和やかにお茶を進める。
(……こういうお茶の席も、いいものだな。)
もし彼女が気に入ってくれたなら、顔合わせの会場はここがいいなと思いながら、マリセウスは砂糖とミルクを控えめに入れたビターなコーヒーを飲んだ。
美味なものを口にするとき、まるで結婚生活の期待感のような多幸が胸に広がるのは不思議なことだと二人はこのとき思ったそうな。
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