オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第十七話

不退転たれ

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 *****

 「昨日のお詫びに、お二人にこちらを。」

 遡ること昼頃。三人がいた店で昼食を済ませて食後のティーブレイク(マリセウスはコーヒーブレイク)をしていたときだ。
 ターニャは持っていたポーチから、小さな包みを二つ差し出した。受け取り、中を見ていいか確認を貰うと中から出てきたのは刺繍で花をあしらったハンカチーフだった。
 ハンカチーフの一枚は黄色のマリーゴールド、もう一枚は青のデルフィニウム。まるで本物の花がそこにあるかのような再現率で、細かい細工が好きなヘルメスは思わず熱心に見入ってしまっていた。と、まもなくして喜びが抑えきれない目をターニャに向けて、

 「こんなに素敵なものを、ありがとうございます!」

 底なしの純粋さでお礼を言った。マリセウスも続いてお礼を言うと、感心して尋ねてみた。

 「それにしても見事な刺繍だ。本当にこれを貰ってもいいのかい?」
 「ええ。お二人は夫婦になるのですから、それに合わせた代物ですので。」
 「と、言うと?」
 「叔父様が手にしているデルフィニウムのハンカチ、カートン様の瞳の色と同じものでしてよ?」
 「……あ。」

 そう言われてみれば、少し前に二人で『披露宴衣装には、互いの瞳の色の糸で刺繍を挿れてもらおう』と話していたばかりだ。慣例や何やら、そんな意味を差し引いても『自身が相手の人生の一部になる』ことを指しているよう、来賓らに見てもらうためでもあったが……日常生活でもそれを身につけていたり持ち歩くのも、愛情表現の一種として世間では浸透しているのをマリセウスは思い出した。
 よくよく考えれば、お揃いの魔法石を使ったペンダントとブローチを作ってもらったのはいいが、伴侶をイメージしたものまで気を回していなかった。
 自分の手の中に、彼女と同じ瞳の色の花があると思うと少し照れ臭くなり、何気に隣にいるその人を見ると……同じことを考えていたのかバッチリ目が合ってしまった。途端にさらに照れてしまい、頬を染めて目を逸らしてしまう。青春を始めたばかりのウブな反応である。
 そんな照れ臭さを誤魔化すように、ヘルメスもポーチから小さな包みをひとつ取り出してターニャに差し出した。

 「あ、あのこれ。私達からターニャ様に……細やかなものですが、贈らせてください。」
 「まあ……ありがとうございます。開けてもよろしくて?」

 了承を得て包みを開けると、リボンのかかった小さな箱。リボンを解いて開封すると、中から出てきたのは緑色の宝石……ではなくて細かに柄を入れた硝子玉で出来た、トンボのブローチだった。

 「綺麗……。」

 手のひらに乗せても小さなそれ。透き通る硝子玉の中にまるで花弁が落ちて揺蕩うよう揺れている模様、手の中に澄み切ったマリンブルーに心を奪われた。
 それでいて、トンボの羽は本物のような透明感……いいや、本物と比べたら澄み切りすぎている。精巧なガラス細工はいくつも見てきたターニャだが、装飾品を手にして見たのはこれが初めてだ。

 「よろしいのですか?こんなに素敵なものをいただいて。」
 「はい。それをグッテンバーグで見つけたとき、どうしてもターニャ様にお贈りしたいと思いまして。」
 「確かに、このような綺麗なガラス細工は見た事がありませんでしたから……。」
 「あ、いいえ。トンボという虫はとても縁起が良い虫なんです。」
 「縁起物、ですか?」

 ターニャは改めて手元に目を落とす。
 妃教育を始め、色々と学問を積んできたつもりではいた彼女はジンクスや縁起を担ぐなどには触れてはこなかった。相手に何かを贈る際は、例えば子供の生まれた家庭に銀の匙を、使用人が結婚したときは包丁を贈るなどしていた。だが実際はあまり信用してはいない。受け取る側が喜ぶとならばと、その一点しか重きにおいてはいなかった。
 それが実際、自分が受け取る側に回ってみると、どこか不思議な気持ちになる。

 「はい。トンボは真っ直ぐ前にしか飛ばないことから、『挫けないで、信念を曲げず前に進む』と、私の実家……サンラン国のカートン領では将来を占う大事な場面でトンボをモチーフにしたものを身につけて挑むのです。」

 ほら、トンボって『カチカチカチ』と鳴くから、それと『勝ち』をかけていて勝負事には幸運も呼ぶんですよ?と笑顔で語っている。
 真っ直ぐに前へ進む事しか出来ないということは、後ろを振り向くこともしないトンボと、目の前でその話をしている彼女がどこか重なった。
 自身を隠すことなく、でも相手を思いやり好きな人の傍に身を置くために一人で故郷を後にした。簡単には帰れないだろうに、それがどれほど大きな決断だったか当人しか知ることはない。
 『後悔しない選択とは、選んだ道を真っ当に進むことにある。だから後悔するもしないも、自分自身の問題なのだ。』……どこかで聞いた言葉をふと思い出した。

 (……私ったら、本当に自分勝手ね。)

 先程まで、叔父に対する恋慕は断ち切ったと思ったが……でもしっかりと、けじめをつけねばならない。
 ターニャは手にしているトンボのブローチを両手に包んで、マリセウスを真っ直ぐに見つめた。

 「……叔父様。お慕いしております。どうか、傍に置いてはくれませんか?」

 「な……っ、」

 それはまごとうなき、恋する乙女の告白だ。
 さっきまでの流れをぶった斬るような突然の言葉にヘルメスは驚いた。思わず隣にいる彼を横目に見るも、肝心の彼はこちらを見ていない。多少の動揺はしていたが、真っ直ぐに姪を見つめている。
 だけどもそれは、わかりきっている答えを姪に告げるから……金色の瞳は、とても寂しそうな目をしていた。
 その先の答えをちゃんと伝えないと、きっと終われない。次に進めない。それが、『トンボ』の生き方だというものだから。

 「それは……私を叔父としてではなく?」
 「異性として、純粋にお慕いしております。」
 「どうしてだい?」
 「……恋に落ちる理由は、たくさんありました。聡明でありお優しくもあり、瞳の色と同様の朽ちない黄金の如き信念。私の生涯の全て……貴方様を、隣で支えて行きたいのです。」

 彼らの間にいるヘルメスは、そのターニャの告白を黙って聞いていた。本当に彼の事が好きで、その身を捧げていく真っ直ぐな愛情の言葉に胸を痛めた。
 ヘルメスはマリセウスの事が好きな理由は、等身大の自分を受け入れ世界を広げてくれた。泣きながら愛していると告げてくれた。現実との格差に悩んでくれた。そして一緒に悩んでくれた。仕事人間なのは、この国に来て知ったが、それとは反してとても人間らしい一面に恋をしたのだ。
 ターニャはそのヘルメスの知らないマリセウスの面をたくさん知っている。その知らない面に恋をしていた。離れ離れの年月とは対象的に、物心ついたときから彼を知っている。だからそれが、羨ましくもあり妬ましくもあった。過ごした時間では、到底敵わない。
 だけども、ヘルメスはそれでもマリセウスの隣にいたい。何に対しても消極的ではあるがこればかりは『図々しく』いたいと腹の底から望んでいる。彼が彼女に対する答えは分かりきっているのに、背中からは冷や汗が一筋流れてしまうほどたくさんの不安が渦巻いた。

 「ありがとう、ターニャ。」

 マリセウスは微笑んでそう返すが、

 「だけども、ごめん。君の想いは受け取れないよ。」

 寂しげに答えを告げた。
 その言葉を聞いたヘルメスは安堵感よりも悲しさが先にやってきた。

 「ターニャは昔から頑張り屋さんで、礼儀正しく自慢出来る姪なのは代わりない。でも、君は大事な姪であって一人の女性としては思っていないんだ。」
 「カートン様……いえ、ヘルメス様は一人の女性として見れるのは、何故ですの?」

 誰もが思っている疑問を本人を前にして尋ねる。これは答えなければ、そして下手な言葉で取り繕うことなぞ出来ない場面だ。だが、マリセウスは緊張も嘘もなく答えられる。ターニャは、それを知っているのだ。

 「本当は、婚姻すべきか再会する直前まで悩んでいたんだ。名前も教えることも出来ず、身分を隠してきた上にこの年齢差だろう?嫌われてしまっている前提で考えていたんだ。」

 それを聞いた隣のヘルメスは心当たりがあったため、小さく「うっ」と漏らした。

 「だけども……一目惚れ、と言えばいいのかな。学院の中庭で再会したとき、世界が広がったときの事をすぐに思い出したよ。ヘルメスの知識は私の知らない事ばかりで、また世界を広げてくれるような好奇心をくすぐってくれる。それに、何に対しても彼女は知的探究心を忘れずに走り出して行く姿が愛しくて仕方ないんだよ。」

 先程の寂しげな返事のときとは打って変わって、愛しく多幸感に溢れた眼差しで彼女を見ていた。
 いつもなら照れてしまいそうな言葉を浴びていたヘルメスもまた、その気持ちに感化されたのか言葉にする。

 「……私は、ターニャ様のようにマリス様のことをずっと見てきたわけではありません。知らない面だってまだありますし、それこそ昨日の酷い鈍感さ故に招いた拗れた問題を起こすくらいの短所だってあるかもしれません。」

 思い出してしまったマリセウスは、多幸感の表情から一気に気まずさに満ち溢れた苦い顔となる。

 「それでも、私もマリス様の事をお慕いしております。」

 力強く答えたその表情は真剣で、言葉に重みがあった。
 『自分自身を肯定してくれたから好き』という理由ばかりが巡ってはいたが、彼は無理に大人だからと取り繕うような仕草はなかった。ダンスが苦手で異性に免疫がなく、純粋さだってある。それがありのままの彼なのだ。だから愛しい、だから隣にいたいと強く望んだのだ。それをどう上手く言葉にすればいいのかわからないが、思ったことを真っ直ぐに口しにした。

 「鈍感でプライベートが疎かにしている上に、私服のほとんどが似たり寄ったりの色合いだったりスタイルだったりしますが、そういった抜けた所も可愛らしくて……それに将来をしっかり考えて話し合ってくれる気遣いも出来るこの人と一緒にいたんです。勿論、そんな短所による過ちを諌めるような人間にもなれるように努力して……。」
 「待ってヘルメス前半必要あった?」

 褒められているはずなのに貶されているような気がしてしまったのでたまらず制止させて確認した。
 だっていつも無難なベージュですし……や、もっとこう、オシャレを覚えたほうがよろしいかと……や、無意識に短所を指摘してしまっている事を情け容赦なく放つものだから、マリセウスはほんのり涙目になってしまった。
 そういう君だっていつもブラウスとスカートじゃないか~ワンピースとか着てほしいよ、何着ても可愛いのに~と、反論のはずがちょいちょいリクエストをしてきてヘルメスを困らせてきた。

 二人の惚気にも似たそのやり取りを見守りながら、いつからかボヤけていた輪郭線がついにはっきりと見えてきた。
 ああそうだ。叔父の慎重というか臆病というか、その性格の現れが外面に出ていた。ターニャは見ればすぐわかるはずだったそこに初めて気がついたその時、ようやく恋の盲目から解放されたのだった。

 (……よかった。)

 目の前で優しく互いの短所を探している二人を見て、ターニャははじめての失恋をしたのだった。
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