オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第十六話

グレイト・エスケイプ

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 その同時刻。
 マクスエル公爵領の詰め所は結構広い。王宮の外邸ほどではないが、それと比べたら半分近くの面積になるだろうか。ヘルメスは妃教育の一環として王宮建設の歴史も学んでいた。外邸の外周はおよそ六キロメートル、走るなら三周くらいすればそこそこ満足する距離だなとは感じていた。まぁ実際に走ったら、例え王太子の婚約者だろうが妃だろうが不審者と変わりないので、補導ならびに職務質問を問答無用で受けてもらうのでやらないようにと最初から釘を刺されてしまっていた。
 そしてヘルメスは今思った、『あの時叶えられなかった望みが叶う』と無理やり前向きになったのだ。
 命の危機という一点の不安を除けば、完璧なのだが。

 「ま、待って……待ってお嬢様……っ!」

 「待ちません!貴方のせいでこうなったのでしょう!?」
 「こんな脚の遅い殿方、私初めてですよ!!」

 事務所でブルースが適当に繋げた動線のせいで、騎士の鍛錬に使われている自立人形が暴走してから数分。とにかく三人は走って逃げていた。
 逃走中に出会った騎士に助けを求め、その彼らが制止しようと人形に飛び込むもあっけなく返り討ちに遭ってしまい、このように未だに疾走しているのだ。
 ただ、ヘルメスは陸上競技タイプでターニャは格闘技タイプのアスリートとあって肺活量と脚力は現役騎士と同等ほどのもので、長期戦になったとしても善処出来るが……ターニャ付きのバトラーであるブルースは全くもってダメである。

 「貴方は大人しく人形にぶっ飛ばされて伸びていなさい!こちらは合わせられないのだから!わかったら返事なさい!!」
 「ターニャ様!ブルースさん、話せなくなるほど息継ぎ出来てませんよ!?」
 「ああもうっ!私を怒らせるのが本当にお上手になりましたわねブルース!!」

 人間、ランニングしながらの会話は普通は難しい。ジョギングなら可能なのだが、彼女らは地面に両足を着けずに走っているのでランニングの部類に入る。それにインドアな男がついていけるわけがない。妃教育で体力とスタミナが大幅に落ちているヘルメスが、レスリングのトレーニングを適度に行っている彼女に並んで走っているのが異常なのだ、ターニャは自分の中でインフレが起こっていることに気がついていない。……この状況で気がつけるほど肝が据わっているなら話は別だが。

 「それにしてもっ、どうして真っ直ぐ私達を追いかけてきますの!?」
 「きっと、脳の役割をしている板に刻まれた設定で私達の誰かの姿を認識して追尾するようにしているのかと思われます。」
 「そんな器用なことまで出来ますの?」
 「はい!あの人形に投影石プリズムライトという、一部の職種しか使われていない魔法石が目に組み込まれてましてね?投影石に刺激を与えると、石で透かした人物の姿や風景を一時的に記録出来る魔法石なんですよ!恐らくはそれのせいで追尾しているんだと思います!」
 「あまり聞いたことのない魔法石ですのね?」
 「地図を作る測量士や画家の方々には重宝されている、流通量の少ない魔法石なんですよ!普段生活していたら、なかなかお目にかかれないものなので、いやはや本当こうして追いかけられているという事は話を聞いた以上に綺麗に投影されている事が立証されましたね!」

 ヘルメスが目をキラキラしながら語るそれを見て、「楽しげに語ってる場合か!」と息継ぎが厳しいブルースは口にしようかと思ったが、ランニングしながらのツッコミはさらに厳しくなる。やめておこう。

 「ということは、私達の誰かが狙われているのなら、ここで離脱してボコられなきゃいけませんね?」
 「でも誰が狙われているのかもわかりませんわよ?」
 「バラバラに逃げたくても一本道ですし、このまま訓練所まで逃げ切らないと厳しいかも……。」

 ヘルメスが管理人から教わったことを振り返り、この三人の誰かが狙われていることがわかるもそれを回避する方法が浮かばない。
 仮に誰かが残ったとしても、騎士でもない三人は一方的に蹂躙されるに決まっている……いやターニャだったら善戦するかもだが、人形は四本腕なのだからやはり分が悪い。
 騎士が続々と制止するために飛び出すも、相変わらず簡単に弾き飛ばされたり投げ飛ばされたりで大暴れ……あれを見た後となればさらに残るのも恐怖しかないというもの。
 そう考えると、人形を完全に停止させるしか方法しかない。だがどうやったらいいものか……。

 「あの人形を、高い所から落とせば壊れて動かなくなるのでしょうが……。」
 「あの車輪で階段は登れそうにありませんわ。他に壊す方法はあるはず……何か弱いものとかありませんこと?」
 「だとしたら、水ですかね。エレキテルは水を通すと言われているんですよ。」

 というのも、雷石を水に入れるとどうなるか実験が行われていたそうだ。不純物の少ない水に入れれば、エレキテルが通って感電を起こすらしく、雷石を水の中に入れるのは危険視されている。
 感電をすれば人間は火傷を負い、最悪命を落とす可能性も高い。仮に無事だったとしても脳に障害が残り身体が不自由になることもあるそうだ。感電という事故は運良く未だ起こってはいない。
 ヘルメスは仮に考えた。

 「人形を水に入れる……のは難しいので、水をたくさん被れば板が焼き焦げて壊れるかもしれません!」
 「なるほど!ですが、水をたくさんかけるとしても木製のボディーでも人形の内部に浸透するのでしょうか?」
 「シグルドがばっくり開けてくれたあそこに上手く水を入れれば感電するはずです!ちょうど動力炉が見え隠れしてますし!」
 「それならば、ここの詰め所の屋上に貯水タンクがたくさんありましてよ!そこへ行けば、なんとかなるかもしれませんわ!」

 ……ランニングしながら作戦を立てている二人を他所に、ブルースはもう限界だった。限界だったこともあり、彼女らの人形破壊作戦の内容が断片的にしか頭に入ってこない。あと人形に弾き飛ばされる騎士たちの悲鳴や周囲の阿鼻叫喚もあって聞き取れなかったというのもあるが。
 しかし彼はまた中途半端に話を聞いていて、そして独自解釈していた。

 この三人の中で、誰かが狙われている。
 だとしたら自分ではなかろうか?

 なんせ起動させてしまったのは自分だし、真っ先に人形の視界に入ったのも間違いなく自分であろう。もしこのまま主の後をついて行けば、確実に主が被害を受ける。それは使用人としてあるまじき行動だ。なのでブルースは思った。

 (このままお嬢様の足手纏いになるくらいなら、ここで潔く散るべきだ……!)

 元々は自分がここに来るきっかけを与えたようなものだ、失恋の傷を慰めることも出来ずに、足を引っ張ってばかりだ。いつもはこうではないのにと年相応な不服は感じてはいる。だが、拗ねるだけの子供ではないのだ。
 ならば責任を取って、爆散するまで。

 ブルースは意を決して、足を止めて身体を反転させた。
 暴走する人形と対峙する形になって。

 「ブルース!?」
 「ブルースさん!?」

 驚きの声を上げる彼女達に振り向くことはなく、震える体を無理やり気持ちで抑え込んだ。
 両手を広げて、ここから先は通さないように構える。これが無意味なことぐらいわかっている。それでも、主を守るためならば……ここで危機を受け止めておかねばなるまい。

 「かかってこい……ターニャお嬢様は、私が守る!」

 ガタガタを震えながら、他から聞き取れるかわからないくらいの声量で決意を言葉にした。ここで散るのはバトラーとして本望と言わんばかりの決意。……一応言っておくが、バトラーは身の回りの世話をする人間のことであって武将ではない。

 ブルースはなけなしの男気で迎え撃つ。
 逃げる主たち、阿鼻叫喚する騎士たち、暴走する人形……狂気と恐怖にまみれたこの空間で、歯を食いしばり涙を落としそうになるも、彼はここで漢となる捨て身の覚悟をしたのだ。

 と、本人は思っていた。

 目前に迫った人形は、直前に彼を避けた。
 中央に陣取った彼の脇に避けた。
 そして人形はまた通路の中央に戻ってヘルメスとターニャを追跡を続けたのだ。

 「へ?」

 間の抜けた声が無情に響き、先に走っていた二人は振り向いた。
 ブルースの姿だけがなく、引き続き人形が怒涛の勢いで追いかけてきていた。
 それまでブルース越しに見え隠れしていたそれが、鮮明な姿で見えるようになって恐怖が一気に湧いた。

 「きゃぁあああ!!!」
 「さっきより速くなってるぅうう!!!!」

 ……そう、人形はどうしてだか『ブルースを壁だと認識』していたそうだ。投影石も完璧ではないらしく、誤認することはしばしあった。ので人形を使用する際は、必ず一人で使う事をルールとして設けられていたのを、ヘルメスはまだ聞いていなかったのだ。
 そして新たにわかったのは、ヘルメスかターニャのどちらかがターゲットになっている……。さらに二人は必死になってしまったのだ。

 絶叫する声が遠のいてしまうのを、ブルースは項垂れて聞くことしか出来なかったそうだ。
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