オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第十二話

華に棘はつきもの

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 道の混雑を抜けてしばらく。
 王都からマクスエル領までは綺麗に舗装された道なりを進むと時間もかからずにスムーズにそこまで到着する。
 王都と違い、街を囲う城壁のようなものは重みのある黒いレンガで囲われている。関所となっている入り口を潜り入場すると、これもまた王都とは違う作りの家々が軒を並べていた。海から離れているとあってか、基本的に木造の住宅らしい。
 今通っている所は商店街らしく、青果店や魚介が並べられている生鮮食品の店は勿論、飲食店や衣料品店も多い。
 中には食べ歩きをしている人々もいて、治安が良いのが伺える。

 「この街の北側が貴族街となっていて、さらに奥がマクスエル公爵家の邸になっているんだ。」

 街の中心と思われる円状の庭園と噴水を半周して貴族街への道に入る。なだらかな登り坂を行くと、人通りも少なくなってきた。周辺の屋敷も進むにつれ、少しずつ格式が高くなってくるのがわかる。
 目的地の近くまで来ると、一瞬開けた場所に出る。すると眼前には立派な邸……ヘルメスが過ごしている離宮を一回り小さくした建物。街の周囲が外壁に守られているのを忘れてしまうくらいに空には開放感、邸の大きさが圧迫感にならないのが不思議だ。どういう造りになっているのか興味が湧いた。
 開門された正面門を通り、噴水を半周すれば玄関口にピタリと馬車が止まった。そんな馬車をこの邸の住民がひとり、二階の窓から見え隠れするように見つめていた。


 (あの侍女は、初めて見るわ……。)

 ジークがいの一番に降り、続いてキリコが降りてきた。後から降りてくる主たちの為に道を開ける。
 先に降りてきたのはマリセウスだ。

 「!叔父様…………っ、」

 そしてマリセウスは最後に降りてくるヘルメスをエスコートするため、手を差し出してゆっくりと降ろさせた。
 ヘルメスはこういった些細なことでも礼を絶やさず、「ありがとうございます」と言ってくれると、マリセウスも自然と笑みがほんのりと零れてしまう。
 そんな温かな雰囲気を出す空間に、先程から見つめているこの人物はいい気分がしなかった。

 (あれが……叔父様の、婚約者?)

 そんな一連の流れを見届けた屋敷の執事が出てきて礼をし、中へ案内した。恐らくは既に待っている両親と弟が彼らを出迎えてくれるだろう。

 ここにいる令嬢は、どうしても気乗りがせずに時間まで自室にいると言って篭ってはいた。それに予定の時間よりも遅れていたのも要因である。
 今着ているワンピースは街に散策しに行くときのシンプルで楽な姿だ。本当なら王太子殿下である叔父を迎えるには失礼な服装。しかし今日は楽な姿、と指定されていた。
 「王太子殿下に失礼がないよう」といつもめかし込んでいた令嬢。それは幼い頃からの習慣だった。高位貴族の娘として、国王の孫として、そして王太子の姪として恥じないようにマナーも身嗜みも礼儀作法も叩き込んで社交などコミュニケーションもこなしてきた。自分で言うのもどうかと思うが、『完璧な淑女』だ。
 昨今の流行である恋愛劇は、そんな完璧な淑女を蹴って天真爛漫の皮を被った非常識で自己中心的な少女を選び、婚約を破棄した男が破滅する物語が流行っている。ありふれた内容ではあるが、どんなに育ちや環境が良くても破棄する側が不貞を犯した時点で『ろくでなし』が確定されたのだから、当然の結末だとも思っている。

 だが、来訪してきた叔父は違う。
 紳士的かつ聡明、政に対しても熱心で商才もあり、次期国王として申し分ない人間性を持っている。幼少の頃から見てきているが、いつも弟共々可愛がってくれていた。勿論、叱られることだってあった。それは優しさでもあったから怖かったけど自分の行動を省みることが出来て、今がある。

 そんな叔父の傍にいたい。
 この胸に灯った感情の輪郭がしっかりして自覚が芽生えたときには遅かった。許されやしない想いだった。

 彼に、恋焦がれていた。
 その彼が選んだのが、あの女だ。


 「失礼します、お嬢様。王太子殿下が……お嬢様!?」


 玄関ホールの大きなシャンデリアの光石ライトニングライトを保護するガラスが独特の形をしているのをヘルメスが凝視していると、遠くから呼ばれたような気がしてハッとした。
 キリコが何度か肩を叩いて呼んでいたらしく、目の前にいた邸の主人とその夫人、子息がいるのに全く気が付かなかった。

 「も、申し訳ございません……。」

 「いえいえ、構いませんよ。義兄上のお話通り、魔法石に熱心な方のようで私は喜ばしいですよ。あのシャンデリアのガラスに興味を持ってくれるのは細工師や技術士ぐらいですので、着眼点が本当に素晴らしいとしか言いようが、」
 「貴方。」
 「っと。私もつい熱くなってしまいましたね……。お初目かかります。マクスエル公爵、ロレンス・フラン・デニーと申します。」
 「妻のジャクリーン・フラン・デニーですわ。」
 「僕は息子のアレン・グラス・デニーです。」

 「お初目にかかります。サンラン国、セネル・カートン伯爵が長女、ヘルメス・カートンと申します。以後お見知りおきを。」

 姿勢を正して挨拶をすると、ロレンスの家族は微笑ましく迎えてくれる。失礼がないように努めようとしていたが、好奇心が勝ってしまったために早々に失敗してしまったことに少しへこんでしまったがなるべく面に出さないように笑顔を取り繕う。
 そんな様子を見て、マリセウスは「今回は公務でも顔合わせでもない非公式だから気楽に」と声をかけると、緊張がとけた。――ヘルメスのではなく、公爵家の面々の。

 「あらそう?なら別に夫人らしい口調じゃなくてもいいのね?」
 「いっやー!義兄上にそう言ってもらえると楽になれますよ。」
 「今日は無理難題押し付けられそうもなくて平和に過ごせそう!」

 「うわ、すごい変貌っぷり。」

 あはは~!と笑いだす一家の、先程の真面目な姿からの豹変ぶりにさすがに少し引いたヘルメス。……ハンクスの人々はもしかして根はフランクな性格なのかな?
 と、ジャクリーンにパチリと視線が合った。そして何を思ったのか「ちょっと失礼するわ」と一言、ヘルメスの顔をまじまじとジャクリーンは覗き込んだ。
 ジャクリーンは王妃テレサと見間違えそうなほどに瓜二つ。キラキラのエメラルドグリーンの瞳が空色の瞳を見つめていた。すると両手人差し指をヘルメスの頬を突っついて、とても幸せそうな満面の笑みを浮かべた。

 「うんうん。この子は瞳の色同様に『空の如きにて』と出ているわ。兄様が惹かれて当然ね。」
 「ふぉえ?」

 頬を突っつかれながら言われたものだから、変な返事が出てしまう。
 こんな事は幼少のころにやらされただけで、まさかこの歳でやられるとは……と思った所でマリセウスに救助される。突かれたところが少し温かい。

 「ターニャの事でヘルメスと来てほしいと聞いたから来たのに、まさかヘルメスを弄りたいだけの為に呼んだのか?」
 「あ。いやいやごめんなさい。可愛かったのでつい。」

 バツが悪そうに苦笑いをするジャクリーンは謝罪してくれると、ヘルメスは大丈夫ですとそれを受け入れた。
 そういえば、周囲に目をやれば話に聞いていた公爵令嬢がここにいない。どうしたのだろうか、もしかして体調が優れなくてお会いするのは難しい状態なのではないだろうか。だとしたら滞在するのはさすがに……と思っていたその時。

 「叔父様!」

 その声のする方をマリセウスと同時に振り返り見上げて。
 明るいブラウンの長い髪をひとつに編み込み、前に持ってきているその人、恐らくは話の中心になっている令嬢なのだろう。
 礼儀正しい令嬢とは聞いていたが、今のその人は嬉しさを抑えられない同郷の少女のように笑顔で弾けている。マリセウスと目が合ったのか、満悦な顔をしている。

 「今そちらに向かいますわ!」

 「マリス様、あの方が。」
 「ああ。姪のターニャだよ。」

 通路を軽やかに、そして足速に階段をトントンと降りてくる。明るいブラウンの髪、同い年とは思えないほどに大人びた顔立ち、でもその笑顔は年相応に純粋無垢な眩しい。
 着ている青のワンピースも映えるほど上品で、まるで御伽噺に出てくるプリンセスのような人。ヘルメスは心から素敵な女性だと、印象づけられた。

 「新年の挨拶以来だね、ターニャ。」
 「はい。お元気そうで何よりです。お会いできて本当に嬉しいですわ。」

 マリセウスがフランクに挨拶するのに対して、ターニャは礼儀正しくカーテシーをした挨拶をする。事情を知らない人間がその二人を見れば、親子にも見えなくもないだろうし、婚約者と言えばそうにも見えなくもない。
 ……そこまで自分で勝手に思い込んでしまったのに、ヘルメスは胸がチクリと刺さった。

 「そうだターニャ、紹介するよ。私の婚約者、ヘルメス・カートン嬢だ。」
 「そちらの方が……以前お話した、叔父様の大切な人?」
 「ああ、そうさ。」

 マリセウスに紹介されたヘルメスはそそくさと彼の隣に移動した。本来なら目の上である公爵令嬢から挨拶をするのがマナーだが、王太子殿下より紹介したのでは自分から挨拶をしなければならない。これ以上、失礼があってはならない。ヘルメスは少し緊張をする。

「お初目にかかります。マリセウス殿下からご紹介に預かりました、サンラン国セネル・カートン伯爵が長女のヘルメス・カートンと申します。以後お見知りおきを……。」

 難なく、噛まずに挨拶をして自分の中では最高に綺麗に決まったカーテシーもこなした。そして顔を上げて笑顔も作れた。ヘルメス史上、『完璧』としか言いようがない(飽くまでも本人の中では)。きっと離れて見ているキリコも喜んでいる。
 ……そんな自信に満ち溢れていた。


 「あ、そ。どうも。」


 綺麗な淑女は顔を歪ませて、そう吐き捨てた。
 あまりの低い声に、その場にいた全員が凍りついたのは言うまでもない。
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