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第十一話
デートしようぜ!
しおりを挟むドタバタと騒がしかった日の翌日。
熟睡出来たかと言われれば、ここ数日の間では一番快眠出来たくらいの体感。
朝食はのんびり出来て午前の座学も頭が冴えているからよく知識が入ってくる。
昼食はいつもより一品多いのは少しばかり嬉しかった。それでもテーブルマナーなどの実践はあったが、日頃の学ぶ姿勢のおかげで身についてきていたので苦なくこなせた。お腹もいっぱいで満足、思わずうたた寝したいくらいだ。
今日も快晴、離宮の外にある牧場の草原は綺麗な緑。
風で波が立つと、あそこで眠ることが出来たらどれほど気持ちがいいか。それに風を切って走ったらどれほど気持ちがいいか、未だにそれを思っている。
ヘルメスにとって、一番のストレス発散方法はやはり走ることなのだろう。土を力強く蹴り、風を全身に感じて程よく体力を使うのが気持ちがいい。少しでも速くなると、頑張った分の力がついて自信に繋がるのも好きだった。普通の貴族令嬢なら、ダンスで出来なかったターンを身につけた達成感と喜びに似ているのだろうか。
外ばかり見て出来ないそれに想いを馳せるとまたストレスになるから、ヘルメスは走る事を諦めなければいけないと思い、窓から離れたソファに腰掛けて今まで学んできたことを記したノートに目を通すことにした。
午後の妃教育は無難にこなせた。と言っても今日は復習がメインで次回のちょっとした予習のようなものを聞かされたぐらいだ。お茶会を主催するときの心得や会場のレイアウトなども考えるのも仕事となると、正直面倒なところはあるが一から自分でレイアウトを考えるというのが少し楽しいと感じ、息詰まる教育の中でようやくやりがいを見つけた。
自分と歳の近い、もしくはデビュタントしたての令嬢や令息たちを招いて親交を築く。それを通じてハンクスの貴族一家を見定めるのも妃の仕事ではあるが、それを抜きに純粋に楽しむこともまた大切なのではとヘルメスは思った。
この数年は反マリセウス派が年を重ねるごとに減ってきてはいるものの、自分の行いひとつでまた反対派が増えてしまうことだってある。夫が政の基盤を作っているのだから、着け入れられる隙は作ってはいけない。ので『純粋に楽しむ』はどう足掻いても後回しになってしまうのだ。こればかりはヘルメスは諦めた。
そんな今日の勉学が終わり、実は今朝からソワソワしていた『デート』の時がついに来た。サンラン国にいた時は実家で簡単なお茶やお話、ベンチャミン家の中庭で散策とダンスの練習。オラヴィラ宮殿ではお茶会。まるでそれらしいことはしていなかったので、本当に初めてのデートとなる。
ちょっとした散歩程度、とは言っていたが……この散歩はいつものように決められた敷地内ではなくて、それよりも外での散歩、となるとワクワクしている。何よりも何をしても照れて赤面する彼が思い切って提案してくれたのがとても嬉しかった。
(そういえば……着ていくものを指定されていたけど、何かしら?)
お茶を飲んでリラックスしながら、それを待っていると扉をノックする音。ヘルメスはその着替えを持ってきたであろう人物に入室を許可して、それらを初めて目にしたのであった。
それから数十分後。マリセウスは待ち合わせ場所で適度に準備体操をしている。服装は運動に適したもので、数年前にエゲレスコ王国から輸入してきたTシャツとハーフパンツと呼ばれるものを着用している。
これを見たのはグリーングラス商会会頭としてエゲレスコへやってきた時、肌の露出が気になってはいたが聞けば動きやすくて一般市民の間では運動着の他に、着心地がよいのでルームウェアとしても活用されており、今では定番の生活スタイルとなっているそう。
マリセウスも興味が湧いてそれらを入荷してみると最初こそ苦戦したものの、大衆浴場や船の甲板掃除をしている清掃担当たちに配布してみると『袖や裾を捲らないで気にせず掃除が出来る』ことでそこから爆発的に流行り出した。今では夏場の浜辺に遊びにいくなどでも着用されており、エゲレスコ同様に新たなスタイルとして確立したのであった。だが貴族の間では流行らない……まぁ彼らは早々に脚や腕を出したがらないから仕方がない。故にこれらが浸透しているのは平民と騎士団、マリセウスぐらいだ。
春が来たばかりのここはまだ少し寒い。裸足でそこを踏み締める。体重をかければ沈んでいき、蹴り上げて走るのは容易ではない。
だがそれがいい。
普段から腿を鍛えていないとここを走るのは非常に困難。いつものように走れば足を取られてしまうから、太腿を上げる筋肉を作り上げる必要もあった。
そんな基礎から鍛え上げ、何年もここを走ってきた。十五年前までダルダルだった肉体もすっかり引き締まって、今が全盛期だと確信している。
「殿下。ヘルメス様の馬車がご到着しました。」
「ああ。迎えに行くよ。」
マリセウスは今回の待ち合わせ場所は伏せていた。というのも、彼女を少し驚かせたいという理由もあるのだが、初めて見るであろうこの光景をどんな顔をするのか見てみたくてたまらない不純な理由もある。
好奇心もあり探究心もある婚約者は動かずにはいられないだろう。その分、きっといいストレス発散になるに違いない。早く手を引いて見せてあげたいと石の階段に足をかけた。すると、
「うわぁあ~!!これが海ーっ!!」
自分が彼女の馬車に到着するよりも早く、歓喜の声を上げてそこに立っていた。
袖を通しているのは自分が指定したTシャツとボトム。ボトムのほうは「膝が隠れるくらいでいい」とメモに記していた。それ以上の素肌は絶対に他者には見せないでおきたいという熱い要望がこめらていたから。自分で言うのもあれだが、ひどい独占欲だと自覚はしている。
それにしても、予想以上に弾けた笑顔をしている。この喜びようは太陽のように眩しく、澄み切っている純粋さを表していた。本当に一目惚れをしてよかった。可愛い。
多幸感で胸をボコボコ殴られて気絶しかけているのを堪えて、紳士的に微笑んで彼女をエスコートしようとした。が。
「うわーっ!全部砂だーっ!!」
「ぇ?」
階段を登ろうとした所、ヘルメスはバッ!と飛び出した。初めて見る海岸にはしゃぎ、マリセウスに気が付かないまま駆け降りて浜辺に足を踏み締めた。
自分の横を凄まじい勢いですれ違い、彼女は走る度に「うわー!走りにくいーっ!」と感動している。マリセウスは何度か名前を呼ぶも、全く気がついてもらえない。
「うわー!貝殻だーっ!!ご飯以外で初めて見た!!」
「ヘルメス。」
「うわー!カニさんだ!ちっちゃい!!挟むかな~?」
「ヘルメス。」
「うわー!これが波か~っ!!行ったり来たりしてる~!!」
「ヘルメス。」
「あれ?何この透明なフニャフニャしてるの何かな、ゴミ?」
「危ねぇえええ!!!!」
ヘルメスは打ち上げられたクラゲを掴もうとした危険を察知したマリセウスは手元に落ちていた流木(お手軽)でクラゲをショットして海に還した。クラゲには痛い思いさせてしまったことに「めっちゃごめん」と心の中で呟いた。しかしこの王子、なかなかグッドジョブである。
その長男の危険察知スキルにヘルメスはようやくマリセウスの存在に気がついた。
「ま、マリス様!?」
「はぁ、はぁ、はぁ……。あ、あれはクラゲと言ってね?刺されたらその部分が腫れたり熱を出したりするから、危ないから触っちゃ駄目ね……。」
「そうだったのですか?申し訳ありません……。」
「いやいや。初めての海だからわからなくて当たり前だよ。」
「次から気をつけます。……ところでマリス様はいつ頃いらしたのですか?」
「う、うん。ちょうど今きた。」
本当に夢中になっていて気づいてもらえなかったことに、静かにマリセウスは傷ついた。
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