オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第九話

自らを追い込む事とは

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 各々がヘルメスを心配する中、その翌日に事件は起きた。

 いつも通りに朝七時に起床して朝食を済ませ、すぐに座学をこなしていく。それらを午前中にきっちり受けると王宮に行くために着替えて準備をする。
 いつもはブラウスに長いスカートで如何にも貴族令嬢の格好だが、今回は結婚式と披露宴の衣装合わせや打ち合わせということもあり、持ち込んだ中では着替えが楽で装飾の少ないシンプルなワンピースに着替えた。あとは「適当に何か羽織ればそれっぽい」とヘルメスは言うが、メイド達はあまり適当すぎると王宮内で浮いてしまう、との事なのでちゃんとコーデネートに合わせてもらってから出発したのであった。

 帰ってくる頃にはヘトヘトになったいるだろうと思い、午後は妃教育も休みにしてもらい、いつもより少し量を多めにして夕食の下拵えをしようと使用人たちは話し合っていた。
 そうなると先程脱いだブラウスも洗濯してしまいましょうとメイドは籠に入れようとすると、いつもとは何かが違う違和感を覚えた。ただそれが、何が違うのか気がつかないまま、時間が過ぎていった……。


 離宮から出て数分後、王宮に到着すると内廷の控室に通された。内廷は王族一家が暮らす住居で専属の使用人・侍女、招待された人間以外は入れない、人によっては未知なる場所である。……よくよく考えたら、人様のお家とはそういうものだと思うが、まぁ夢を見るのはいい事だ。
 控室のソファに腰掛けると、用意された紅茶をキリコが淹れている間に持参した今まで受けた教育らをまとめていたノートに目を通している。「待っている間くらい、休んでくれたらいいのに」と思うキリコがティーカップをヘルメスの前に置く。それを見てヘルメスは当然のように「ありがとう」を言うと、またノートに目を移した。
 初めて習った所を指でなぞり、「この時は意味がよく理解できてなかったなぁ」と思いながら読み返してみると当時の「なんとなくわかる」がより理解を増したので、解像度が上がった。復習するのはいいものだが、これに満足していたら淑女にはなれないとまた自身を追い詰めた。しかし、どうも頭が回らない……。ふわふわしているというか霧がかかってしまっているかというか、痛みはないけれどヘルメスにとって今まで感じたことのない違和感ではある。

 「お嬢様?ウトウトされてますが、大丈夫ですか?」
 「え……ウトウトしてた?」
 「ええ。お疲れでしたら、お待ちしている間ぐらいはお休みなさっていた方が。」
 「ううん、平気。」

 また作った笑顔でそれしか言わない。
 困ったものだとキリコは、発想を逆転させてみた……どうせなら今すぐ寝かしつけてしまえば殿下も不安がって休みを捻じ込んでくれるだろう。叱られるのは避けられないだろうし、もはや思い切り開き直るしか道はないと悟った。
 そうなればすぐに行動を起こす。ヘルメスには「なら目が覚めるようなお飲み物がないか伺ってきますので、お待ちになってくださいね」と言うやキリコはすぐに飛び出して行った。

 そんな急ぐことはないのに、ヘルメスは一人残されたそこで再び復習を始めるも、やはり集中が出来ない。
 入れられた紅茶を飲んで気分を変えようとするも効果はなく、それどころかリラックス効果が高い茶葉だったらしく余計にぼんやりしてきた。おまけに瞼が重くなり、目を開いているのが苦行のようにも思えてきた。
 キリコの言う通りに、少し休んだほうがいいかもとノートをテーブルに置くとソファに背中を預けて楽な姿勢になる。このまま眠ってしまうわけにはいかないが、軽く……そう、軽く目を閉じるくらいなら許されるはずだ。
 眠ってはいけない……眠れば楽になる……でも寝たらダメだ……それにしてもソファめっちゃふかふかでこれは寝てもいいという意味なのでは……そんな天秤がヘルメスの中で揺れ動く。
 しかし、微睡はどんどん深くなる。もう抗えない。諦めるしかないのか……。

 (今日は寝てもしかたない天気……そう、言い訳しておこう。)

 せめぎ合った葛藤はあっけなく終わり、そのまま寝入ってしまったのであった。


 キリコが出て行って数分、ヘルメスは完全に眠りに落ちた少し後にジークを連れてきたマリセウスが控室の扉をノックした。中から返事がなく、もう一度ノックをするもやはり応答がない。
 部屋を間違えたか?と思い扉を静かに開けると、間違えではなかったと確信したが様子がおかしいのに気がついた。

 「……寝てる。」
 「寝てますね。」

 頭をソファの背もたれに預けながら寝息を立てていた愛しい婚約者を見つけた。置かれていた紅茶はカップに半分近く残されており、その横には何かしらのノートが置かれている。……直前まで妃教育のことを勉強していたのだろうか。
 それにしても、このまま寝かせてしまっていいものかとマリセウスは零す。「この後の打ち合わせもありますしね」とジークは答えるが、

 「いや。姿勢が悪いから横にさせたほうがいいのでは……。」
 「あっ、そっちですか。」

 ナタリアからは平静を取り繕っているとは聞いていたが、もしかしたらストレスになっている事に自覚がないのではと心配になっていた。もしマナーやら社交の教育を改めて学んでいたら、この場で寝落ちるのはなかなかの行儀知らずと言っても過言ではない。
 あまり寝顔を覗くのはよくないのだが、見てみると化粧で目元の隈を隠しているように施されている。……ここまで心を追い詰めていたなんて、胸が痛くなる。
 まだ時間は許されるだろう、マリセウスはそう思うとそのまま寝かせることにした。ただ、姿勢があまりよろしくないのでソファクッションを二つほど持ち合わせて、ヘルメスをゆっくり横にして起こすことなく寝かせる姿勢にすることに成功した。触れれば真っ赤になるくらいに照れてしまう男ではあるが、「だからと言って他の男に触れさせるのは嫌だ」としてマリセウスは真っ赤になりながら横にしたわけだ。たまにいい根性を見せてくれる。
 それにしても、さっきので起きてもおかしくはないハズなのに起きる気配がない。深く眠っているのか、こちらの気配にも気がつかない。……本当にしっかりと眠っているのだろうかと不安になる。

 「殿下。」
 「わかっているよ、このまま寝かせたままではいけないくらいは。だがもうしばらくは、」
 「いえ。今のうちに頭とか撫でてあげたらよろしいのではと。」

 真顔で突拍子もないことを平気で言うジークに「えっ!?」とやや大きな声で驚くマリセウス、しまったと思ってヘルメスを見やるも目が覚めるような気配はない。
 しかしその、愛らしい寝顔を見て余計にその言葉に動揺せずにはいられない……。

 「な、ななななな、ね、寝込みの女性に、そんな真似をしてしまったらダメだろう!」
 「ですが父……いえ、騎士団長はヘルメス様と対面してすぐにガシガシ撫でてましたので。」
 「は?キレそう(何してんだあのアホは)。」
 「建前と本音がほぼ同レベルですね。」

 だがシグルドとはそういう男なのは知っている。マリセウスの甥と姪が初めて王宮にやってきて、たまたま居合わせていた時。高位貴族の令息・令嬢なのにも関わらずに豪快に頭を撫で回していた事があった。まだ子供達は小さかったから喜んではいたが、あれは敏感な年頃の子にやってしまったら駄目だろう。
 そういう礼節とは別に、ただ単に純粋な嫉妬心で怒りかけているマリセウスだが……そんな事をしてしまっていいのだろうか?

 ちなみにジークがどうしてそう言ったのかと言うと、「毎日繁忙期にさせている上司にちょっとした嫌がらせ」の感覚で言ったそうだ。

 ……確かに手を握るだけで満足しているわけではない。夫婦になったらそれ以上の事はするだろうし。かと言って相手の預かり知らぬところでそんな真似をしていいものかと、真面目に悩んでいたが。

 (……寝ているときぐらい、もっと安堵な顔をすればいいのに。)

 ヘルメスの今の寝顔は、困った様に眉を下げていて何か嫌な夢でも見ているかのような……明らかに安らげていないような表情をしている。もしかしてジークはそれを見越して言っているのかもしれない(実際は大きく異なるが)。

 (……少し、そう少し撫でるだけなら。)

 マリセウスは手袋を外して、繊細な硝子細工を触れる様にヘルメスの短くて黒い髪を優しく撫でて……。
 一度撫でたときは赤面をしながら、二度目は安堵感を与えるつもりで同じ所を触れるも、何か違和感を覚えて三度目も撫でてみた。その三度目で赤面から青い顔にガラリと途端に変貌したのをジークは見落さなかった。と、同時にノック音と扉が開く音が聞こえて目をやるとキリコがポットとカップを持って戻ってきた。

 「で、殿下?何をなさって……。」

 寝ている主に何をしているか尋ねる言葉を遮るように、マリセウスは

 「キリコ!!医者だ、医者を呼んでくれ!!!」

 と大声を張り上げた。それに反応したのは寝ているヘルメスも同様で、驚いて目を覚ましてしまった。

 「は!はい!?お医者様!!?わ、わかりました!?」
 「頼む!ジーク、君は念のため心療内科医も呼んできてくれ!」
 「はっ、只今。」

 突然の大声とバタバタと慌ただしくなっている様子が飲み込めなくて、いつの間にかソファに横になっていたヘルメスは体を起こして何事かと状況が飲み込めず、その場で放心状態になっていた。扉にはマリセウスがいて廊下に何人かに声をかけているのがわかる。何か緊急事態が起きたのだろうか……。
 と、頭に何やら痒みを覚えた。寝落ちるまでなんともなかったそこが妙に痒くなって撫でるようにかいてみる。その動きをマリセウスは見て酷く焦った様子で止めに入った。

 「ヘルメス!ダメだ、そこに触れては駄目!!」
 「へ?な、なんでですか?」

 両肩を掴んで制止されると、膝に何か「ポトリ」と落ちた感触がある。ヘルメスはそれを見ると、髪の毛が落ちたのがわかった。だが実際は『髪の毛だという認識は、落として暫くしてからわかった』のだ。
 抜け毛なら手櫛をすれば一本ぐらいなら抜ける、ブラシだとそれよりかは抜けてしまうだろう。だがヘルメスは頭部を撫でる様に疼いたそこをかいた。パッと見たところ、十本ぐらいなのではなかろうかと言う太さだ。
 最初はそこにその様な形をした虫か何かがいて痒かったのか、そう思っていたが肩や胸元にも何本も髪の毛が落ちている。抜け毛なんてよくある事だと思っていたが……いつも以上に量が多い。
 誰かがイタズラして髪を切ったのか?でもその行動はイタズラにしては度を超えている。寝ている間に刃物を向けられていたなんて気がつかなかったヘルメスは急に怖くなった。

 「あの、あのマリス様。私に何があったのですか……?」

 途端に恐怖の顔色に染まったヘルメスを見て、マリセウスはさらに胸を痛めた。

 「すまない、ヘルメス……。私の、私のせいで……っ。」

 状況が飲み込めない。そんな状態でキリコが引き連れてきた宮廷医も駆け込んできて、我が身に何が起きたのか、恐怖心が少しずつ膨らんできた。
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