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第八話
明日のための思い出
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悶絶して倒れたマリセウスは、なんとかシグルドに担がれて馬車に乗せられた。いつもの箱馬車だったら苦労はしただろうが、彼が引いてきたのは屋根が折り畳める一風変わった馬車である。聞けば「自家用車」らしく、わざわざこれを出してきてくれた事に感謝するヘルメスだったが、
「せめて護衛つけてね!?一応これでも次期国王なのコイツ!!あと結構距離あるから歩くのもダメ!!」
と説教を受けてしまう。正論がすぎてグゥの音も出ない。ちなみに大急ぎできたので、手綱はシグルド自身が握って馬を走らせ離宮へそのまま向かうこととなった。
そう大声で説教をされているにも関わらず、マリセウスは未だに目を覚さない……さすがに不安になるが、隣に座ってる彼を見つめるとちゃんと呼吸している。気絶というより眠ってしまっているようだ。
石畳で舗装されている平坦な道のりではあるが、やはり多少なりとも揺れる。するとマリセウスの体はズルズルと滑ってヘルメスの右肩に頭を預ける形になってしまった。
もたれかかってきた小さなハプニングを受けたヘルメスはビクッと体がはねてしまったが、それでも彼は眠ったままでいる……。
(もしかして、お仕事で疲れてたのかな?)
しかしこのままでは姿勢が悪い。言ってはいけないのだろうが、マリセウスはもういい歳の中年男性だ。ものの数分間とはいえ、このままだと体を悪くしてしまうだろうし、何より耳元で寝息を立てられてしまっては速る胸の鼓動が止まらない。
そう思ったヘルメスは、重い彼の上体を起こさないように支えると、自分自身は出来るだけ席の端に座り、そしてゆっくりとマリセウスの体を横にした。起こさずそのまま寝かせる形に成功した。
ちなみに彼の頭は彼女の膝の上。つまり、膝枕だ。
(本当はこういうの、結婚してからやりたかったけど……。)
自分でやっておいてなんだが、これはなかなか照れる。きっと彼が起きていたら恥ずかしさのあまりに熟したリンゴよりも真っ赤になっていたはずだ。こういうウブな所はよく似ている。
眠っているその横顔を見ると、目尻の細かい皺や髪には数本ほど白髪も混ざっているのを見つける。ダンスの時ははっきりと顔を見ていたはずなのに、それらには全く気が付かなかった箇所だ。年相応のそれにどうして気が付かなかったのだろうとは思ったが、もしかしたら気がついていたのに無視してしまっていたのかもしれない。
(そういえば……結局、どういう将来にしようかまだ決めてないのよね。)
彼の隣にいるために強くなる、淑女になるとは決めている。国家間の仄暗い部分にだって人間同士の黒い部分にだって踏み込む覚悟も持ち合わせる努力もする。だけどもそれは飽くまで『マリセウス王太子殿下の妃』としての将来設計だ。
さっきの園芸の趣味を持とうというものに近い事、例えば子供は何人欲しいとか、家庭の将来を未だイメージを持てないでいた。学園を卒業しても学生気分が抜けていないなどではなくて、本来ならもっと時間をかけて考えているはずなのに突然の結婚ときたものだから……ある意味では学生気分が抜けていないとも言える。
ちゃんと卒業したのに、まだ甘えているのかなとなった時、卒業パーティーの日に受けた言葉を思い出す。
『私はっ、君より先に死んでしまうんだぞ!?』
……どの言葉よりも、本当に深く突き刺さった現実的なこと。だからきっと、無自覚に皺や白髪を見て見ぬふりをしてしまっていたのだろう。
もしかしたら今の彼の年齢になったら、先に彼がいなくなってしまう可能性だってある。『忘れなければ常に一緒にいる』とは言い切ったが、本当に忘れないでいられるのか、実際に別れてしまったらその悲しみに耐え切れるかもわからない。
その想像だにしがたい遥か先の出来事を考えてみようとすると、悲しくて息が詰まりそうだ。
思い出を遡って涙が上がり、切なさで喉が詰まって満足に泣けなくなる。呼吸も出来なくなって息苦しくなるのなら、そのまま後を追うのだって容易に出来てしまう。飽くまで大まかなイメージが頭を巡るが、きっとそうなることは確実なのだとヘルメスは思った。
年齢の差をあまり気にしていなかったのに、ここに来て急に不安な気持ちになってきた。そんなネガティブな気持ちを落ち着かせるためなのか、無意識にマリセウスの頭を優しく撫でていた。
僅かな光で反射する白髪が、憎たらしいほどに綺麗だった。
*****
馬車が離宮の玄関口に到着すると、ヘルメスは膝枕をしたままだとマリセウスがまた悶絶するだろうと思い、起こさないように自分から先に降りて彼の体を揺すって起こした。相当深く眠っていたらしく、「ぅうん……」と目覚めるのが少し嫌そうな声を上げてようやく起き上がった。
目をこすりながらぼんやりしている顔がどこか可愛らしくてヘルメスは少し微笑ましい気持ちになり、小さく笑みを零した。
「んぅ……?あっ!す、すまない。すっかり眠ってしまっていたようで。」
「いえ、お気になさらず。お疲れだったのでしょう?」
…… 本当は気絶だったのだが、体に異常がないなら良しとしよう。
不甲斐ない姿を見せてしまったマリセウスは申し訳なく、バツの悪い顔を浮かべていた。
先に降りたヘルメスに続いて、ようやく降りたマリセウスは慌てて彼女の手を取りエスコートを始めた。残念ながら日没も近いため、今回は玄関ホールまでの付き合いだ。
王太子殿下がやってきたので、離宮にいる執事やメイド、ヘルメス付きの侍女となるものも出迎えにやってきた。その中には勿論キリコもいる。
「今日はここまでだね。」
「はい。」
「明日からは妃教育も始まる。しばらくすれば結婚式と披露宴の衣装合わせや段通りの打ち合わせもあるから忙しくなる。」
「ええ。」
「……次に会えるのは数日後ぐらいさ。」
「……次にお会いするまで、精進しますね。」
もし今ここで、将来を語りましょうと言えたらどんなに良いだろうか。でも今日という日でなくても構わない、この地に骨を埋めるのだから時間はまだあるから慌てる必要はない。それでもヘルメスには、彼との時間が有限でこの時が終わるのが明日かもしれないし、このすぐあとかもしれない言いようのない不安が芽生えている。
もうしばらくこのままで……でも明日が来ないと永遠に夫婦にはなれない。そんな我儘は罷り通るわけないのだから。
玄関ホールに入ると、出迎えた使用人たちを見渡してマリセウスは「婚約者のヘルメス・カートン嬢だ。どうかよろしく頼む。」と紹介され、ヘルメスも慌てて挨拶をした。それらを見た彼らもまた一礼して、この離宮への滞在を受け入れてくれた。
それらを微笑ましく見ているマリセウスは、少し名残惜しそうに別れを告げる。
「それじゃあヘルメス。また今度会おう。」
(あ……。)
一礼に一礼で返して、マリセウスは背を向けて立ち去る。
あんなに大きな背中なのに、先にいなくなるなんて考えたくない。ほんの少しだけでも、どうしようもない事でもいい。些細な明日を繋げたい。そうしたら、きっと明日でも明後日でも、しばらく先の未来でもきっと彼に会える望みが出来るから。
マリス様は私を良い子と思っているだろうけど、私は本当はどうしようもない我儘な子なんですよ?
そう思ったヘルメスは無意識に瞬間、動いた。彼の右袖を子供のように摘んで。
「待って。」
「ぇ……ヘルメス?」
我慢して走る事もしなかった、はしたないから。それ以上にはしたない行動をしてしまっている自覚はある。きっとあとでキリコに怒られるんだろうとも、ちょっとした覚悟も出来ている。
せっかく引き留めたのに、実際はその理由がない。まだ居たいとかそんな我儘では駄目だ、何も望みが託せない。ほんの少し考えたが、咄嗟に閃いた。
「あの、ひとつお願いがありまして……よろしいですか?」
「お願い?それはどんなものかによるけれど、言ってみなさい?」
「以前、卒業パーティの時にいただいた千年黒光石のイヤリングなのですが、あれってまた別の装飾品にリメイクする事って可能でしょうか?」
「出来なくはないが……ま、まさか!デカくて嫌だったのかい!?」
「いえ!大きくて私は好きですよ!?でもさすがに両耳に付けてると疲れるというか……。」
「そ、そうだよね……すまない、センスがなくて。」
乾いた笑いをして、明後日の方向を見ている目はどこか悲しげだった。
そんなマリセウスにフォローを入れるようにヘルメスは続けた。
「あの、そうじゃなくて。あの大きさならペンダントかプローチにリメイクして……お揃いで、身につけたいなぁって。」
「……お揃い?」
「せっかくあんなに綺麗に石を加工してくれましたし、それもふたつ。もしマリス様が嫌でいらっしゃらなかったら、同じ石を身につけたい、という……我儘なのですが、お願い出来ますか?」
本当に我儘だ。よくも即席でこんな理由をこじつけられたものだと、自身でも思っていた。王太子の婚約者がこんな別れ際にそんな発言をすれば品格が問われる。それを聞いたマリセウスも暫く黙り込んでしまっているのだから問題なのだろう。
だけども二人には共にする人生は、短いものなのだ。
それに気づいているのは、この場に誰一人としていないだろうと思われた。
しかし、一人だけは気がついてくれていた。
「それでは、今から千年黒光石のイヤリングをお持ち致します。キリコ、どの箱かわかりますね?」
「は、はいナタリア殿。今お持ちします。」
「ナタリア?私はまだ何も、」
「いいえ。照れたようなお顔をなさってますよ?それに次にお会いするのは暫くないと思われます。でしたら、今のお気持ちに素直になるべきかと。」
そうつらつら、ナタリアと呼ばれた女性はマリセウスに告げる。……ああ本当だ、耳まで真っ赤になっている。夕焼けの日差しで誤魔化されたから気が付かなかった。
「……いいのかい?ヘルメス。」
「はい!お願いします!」
「ああ、了解したよ。それにしても……お揃い、うん、お揃いという考えはなかったな……ふふっ。」
また照れ臭く笑った顔を見るマリセウスを見て、釣られてヘルメスもまた笑い合った。
キリコが宝石箱を持ってくる少しの間、使用人たちに簡単な自己紹介と自分達の馴れ初めを話していた。先程まで真面目な表情をしていた彼らだが、生真面目な王太子が唯一心を許せる相手なのだとわかると、みんなの目線が暖かかくなっていくのを感じた。
腑抜けて仕事が疎かになるどころか以前よりバリバリ働いてしまっている殿下をどうぞよろしく、と彼らは冗談混じりな挨拶に、この環境はとても明るい場所だとヘルメスは安心することが出来たのだった。
やがてキリコが箱を抱えて戻り、マリセウスとヘルメスは中身を確認すると「いや本当に大きいな!?」と声を重ねてしまった。思わず声を上げて笑う二人の姿は、歳の差を感じさせない恋人同士の姿そのものだったと後にメイド達の間で語られるのであった。
それを小脇に抱えて、今度こそ本当に別れたがお互いの名残惜しさは消えていた。
真っ直ぐに迷わない道へ走る馬車が小さくなるまで、ヘルメスはずっと小さく手を振りつづけて見送った。
とても小さな一歩、大きな我儘、だけどもずっと先の『明日』のための大事な思い出。ヘルメスは芽生えた不安を受け入れて、将来のために踏み出したのだった。
「せめて護衛つけてね!?一応これでも次期国王なのコイツ!!あと結構距離あるから歩くのもダメ!!」
と説教を受けてしまう。正論がすぎてグゥの音も出ない。ちなみに大急ぎできたので、手綱はシグルド自身が握って馬を走らせ離宮へそのまま向かうこととなった。
そう大声で説教をされているにも関わらず、マリセウスは未だに目を覚さない……さすがに不安になるが、隣に座ってる彼を見つめるとちゃんと呼吸している。気絶というより眠ってしまっているようだ。
石畳で舗装されている平坦な道のりではあるが、やはり多少なりとも揺れる。するとマリセウスの体はズルズルと滑ってヘルメスの右肩に頭を預ける形になってしまった。
もたれかかってきた小さなハプニングを受けたヘルメスはビクッと体がはねてしまったが、それでも彼は眠ったままでいる……。
(もしかして、お仕事で疲れてたのかな?)
しかしこのままでは姿勢が悪い。言ってはいけないのだろうが、マリセウスはもういい歳の中年男性だ。ものの数分間とはいえ、このままだと体を悪くしてしまうだろうし、何より耳元で寝息を立てられてしまっては速る胸の鼓動が止まらない。
そう思ったヘルメスは、重い彼の上体を起こさないように支えると、自分自身は出来るだけ席の端に座り、そしてゆっくりとマリセウスの体を横にした。起こさずそのまま寝かせる形に成功した。
ちなみに彼の頭は彼女の膝の上。つまり、膝枕だ。
(本当はこういうの、結婚してからやりたかったけど……。)
自分でやっておいてなんだが、これはなかなか照れる。きっと彼が起きていたら恥ずかしさのあまりに熟したリンゴよりも真っ赤になっていたはずだ。こういうウブな所はよく似ている。
眠っているその横顔を見ると、目尻の細かい皺や髪には数本ほど白髪も混ざっているのを見つける。ダンスの時ははっきりと顔を見ていたはずなのに、それらには全く気が付かなかった箇所だ。年相応のそれにどうして気が付かなかったのだろうとは思ったが、もしかしたら気がついていたのに無視してしまっていたのかもしれない。
(そういえば……結局、どういう将来にしようかまだ決めてないのよね。)
彼の隣にいるために強くなる、淑女になるとは決めている。国家間の仄暗い部分にだって人間同士の黒い部分にだって踏み込む覚悟も持ち合わせる努力もする。だけどもそれは飽くまで『マリセウス王太子殿下の妃』としての将来設計だ。
さっきの園芸の趣味を持とうというものに近い事、例えば子供は何人欲しいとか、家庭の将来を未だイメージを持てないでいた。学園を卒業しても学生気分が抜けていないなどではなくて、本来ならもっと時間をかけて考えているはずなのに突然の結婚ときたものだから……ある意味では学生気分が抜けていないとも言える。
ちゃんと卒業したのに、まだ甘えているのかなとなった時、卒業パーティーの日に受けた言葉を思い出す。
『私はっ、君より先に死んでしまうんだぞ!?』
……どの言葉よりも、本当に深く突き刺さった現実的なこと。だからきっと、無自覚に皺や白髪を見て見ぬふりをしてしまっていたのだろう。
もしかしたら今の彼の年齢になったら、先に彼がいなくなってしまう可能性だってある。『忘れなければ常に一緒にいる』とは言い切ったが、本当に忘れないでいられるのか、実際に別れてしまったらその悲しみに耐え切れるかもわからない。
その想像だにしがたい遥か先の出来事を考えてみようとすると、悲しくて息が詰まりそうだ。
思い出を遡って涙が上がり、切なさで喉が詰まって満足に泣けなくなる。呼吸も出来なくなって息苦しくなるのなら、そのまま後を追うのだって容易に出来てしまう。飽くまで大まかなイメージが頭を巡るが、きっとそうなることは確実なのだとヘルメスは思った。
年齢の差をあまり気にしていなかったのに、ここに来て急に不安な気持ちになってきた。そんなネガティブな気持ちを落ち着かせるためなのか、無意識にマリセウスの頭を優しく撫でていた。
僅かな光で反射する白髪が、憎たらしいほどに綺麗だった。
*****
馬車が離宮の玄関口に到着すると、ヘルメスは膝枕をしたままだとマリセウスがまた悶絶するだろうと思い、起こさないように自分から先に降りて彼の体を揺すって起こした。相当深く眠っていたらしく、「ぅうん……」と目覚めるのが少し嫌そうな声を上げてようやく起き上がった。
目をこすりながらぼんやりしている顔がどこか可愛らしくてヘルメスは少し微笑ましい気持ちになり、小さく笑みを零した。
「んぅ……?あっ!す、すまない。すっかり眠ってしまっていたようで。」
「いえ、お気になさらず。お疲れだったのでしょう?」
…… 本当は気絶だったのだが、体に異常がないなら良しとしよう。
不甲斐ない姿を見せてしまったマリセウスは申し訳なく、バツの悪い顔を浮かべていた。
先に降りたヘルメスに続いて、ようやく降りたマリセウスは慌てて彼女の手を取りエスコートを始めた。残念ながら日没も近いため、今回は玄関ホールまでの付き合いだ。
王太子殿下がやってきたので、離宮にいる執事やメイド、ヘルメス付きの侍女となるものも出迎えにやってきた。その中には勿論キリコもいる。
「今日はここまでだね。」
「はい。」
「明日からは妃教育も始まる。しばらくすれば結婚式と披露宴の衣装合わせや段通りの打ち合わせもあるから忙しくなる。」
「ええ。」
「……次に会えるのは数日後ぐらいさ。」
「……次にお会いするまで、精進しますね。」
もし今ここで、将来を語りましょうと言えたらどんなに良いだろうか。でも今日という日でなくても構わない、この地に骨を埋めるのだから時間はまだあるから慌てる必要はない。それでもヘルメスには、彼との時間が有限でこの時が終わるのが明日かもしれないし、このすぐあとかもしれない言いようのない不安が芽生えている。
もうしばらくこのままで……でも明日が来ないと永遠に夫婦にはなれない。そんな我儘は罷り通るわけないのだから。
玄関ホールに入ると、出迎えた使用人たちを見渡してマリセウスは「婚約者のヘルメス・カートン嬢だ。どうかよろしく頼む。」と紹介され、ヘルメスも慌てて挨拶をした。それらを見た彼らもまた一礼して、この離宮への滞在を受け入れてくれた。
それらを微笑ましく見ているマリセウスは、少し名残惜しそうに別れを告げる。
「それじゃあヘルメス。また今度会おう。」
(あ……。)
一礼に一礼で返して、マリセウスは背を向けて立ち去る。
あんなに大きな背中なのに、先にいなくなるなんて考えたくない。ほんの少しだけでも、どうしようもない事でもいい。些細な明日を繋げたい。そうしたら、きっと明日でも明後日でも、しばらく先の未来でもきっと彼に会える望みが出来るから。
マリス様は私を良い子と思っているだろうけど、私は本当はどうしようもない我儘な子なんですよ?
そう思ったヘルメスは無意識に瞬間、動いた。彼の右袖を子供のように摘んで。
「待って。」
「ぇ……ヘルメス?」
我慢して走る事もしなかった、はしたないから。それ以上にはしたない行動をしてしまっている自覚はある。きっとあとでキリコに怒られるんだろうとも、ちょっとした覚悟も出来ている。
せっかく引き留めたのに、実際はその理由がない。まだ居たいとかそんな我儘では駄目だ、何も望みが託せない。ほんの少し考えたが、咄嗟に閃いた。
「あの、ひとつお願いがありまして……よろしいですか?」
「お願い?それはどんなものかによるけれど、言ってみなさい?」
「以前、卒業パーティの時にいただいた千年黒光石のイヤリングなのですが、あれってまた別の装飾品にリメイクする事って可能でしょうか?」
「出来なくはないが……ま、まさか!デカくて嫌だったのかい!?」
「いえ!大きくて私は好きですよ!?でもさすがに両耳に付けてると疲れるというか……。」
「そ、そうだよね……すまない、センスがなくて。」
乾いた笑いをして、明後日の方向を見ている目はどこか悲しげだった。
そんなマリセウスにフォローを入れるようにヘルメスは続けた。
「あの、そうじゃなくて。あの大きさならペンダントかプローチにリメイクして……お揃いで、身につけたいなぁって。」
「……お揃い?」
「せっかくあんなに綺麗に石を加工してくれましたし、それもふたつ。もしマリス様が嫌でいらっしゃらなかったら、同じ石を身につけたい、という……我儘なのですが、お願い出来ますか?」
本当に我儘だ。よくも即席でこんな理由をこじつけられたものだと、自身でも思っていた。王太子の婚約者がこんな別れ際にそんな発言をすれば品格が問われる。それを聞いたマリセウスも暫く黙り込んでしまっているのだから問題なのだろう。
だけども二人には共にする人生は、短いものなのだ。
それに気づいているのは、この場に誰一人としていないだろうと思われた。
しかし、一人だけは気がついてくれていた。
「それでは、今から千年黒光石のイヤリングをお持ち致します。キリコ、どの箱かわかりますね?」
「は、はいナタリア殿。今お持ちします。」
「ナタリア?私はまだ何も、」
「いいえ。照れたようなお顔をなさってますよ?それに次にお会いするのは暫くないと思われます。でしたら、今のお気持ちに素直になるべきかと。」
そうつらつら、ナタリアと呼ばれた女性はマリセウスに告げる。……ああ本当だ、耳まで真っ赤になっている。夕焼けの日差しで誤魔化されたから気が付かなかった。
「……いいのかい?ヘルメス。」
「はい!お願いします!」
「ああ、了解したよ。それにしても……お揃い、うん、お揃いという考えはなかったな……ふふっ。」
また照れ臭く笑った顔を見るマリセウスを見て、釣られてヘルメスもまた笑い合った。
キリコが宝石箱を持ってくる少しの間、使用人たちに簡単な自己紹介と自分達の馴れ初めを話していた。先程まで真面目な表情をしていた彼らだが、生真面目な王太子が唯一心を許せる相手なのだとわかると、みんなの目線が暖かかくなっていくのを感じた。
腑抜けて仕事が疎かになるどころか以前よりバリバリ働いてしまっている殿下をどうぞよろしく、と彼らは冗談混じりな挨拶に、この環境はとても明るい場所だとヘルメスは安心することが出来たのだった。
やがてキリコが箱を抱えて戻り、マリセウスとヘルメスは中身を確認すると「いや本当に大きいな!?」と声を重ねてしまった。思わず声を上げて笑う二人の姿は、歳の差を感じさせない恋人同士の姿そのものだったと後にメイド達の間で語られるのであった。
それを小脇に抱えて、今度こそ本当に別れたがお互いの名残惜しさは消えていた。
真っ直ぐに迷わない道へ走る馬車が小さくなるまで、ヘルメスはずっと小さく手を振りつづけて見送った。
とても小さな一歩、大きな我儘、だけどもずっと先の『明日』のための大事な思い出。ヘルメスは芽生えた不安を受け入れて、将来のために踏み出したのだった。
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