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第一話
惚れたが最後
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それからだった。ベティベルはなんやかんやで訴えをしようとアレコレ教員たちと掛け合い、レイチェルはそんな興奮する彼女を宥め、午後の授業にギリギリ向かおうとしていた所、東屋でボロボロと泣いているヘルメスと合流したのだ。
二人は保健室に連れて行こうかと思ってはいたが、ヘルメスはギリギリ落ち着きを取り戻した(ように装って)ので教室に急いで戻った。
この時間は古文担当のおじいちゃん先生の授業で、この先生は基本的に朗読がメインなのでノートの書き取りが少ないのでぼんやりするのにちょうどいいのだ。
「海原の唄は、私達の暮らすアスター大陸の南の国……神海王国ハンクスの王族が代々と語り継いでおり……」、海というワードにヘルメスはびくりとする。
懐中時計の海原の絵、さっきの紳士が海よりも澄み切った純粋さと例えてくれた言葉。私の好きな人達は海が好きなんだ、ふぅ……と隣に聞こえないように息を吐く。
(私は……海を好きになれるのかな……。)
運良く古文の授業はおじいちゃん先生の朗読のみで終わった。ただでさえ、恋をしてしまった事に自覚に芽生えてまだ一時間ぐらいしか経過していないのだ。熱がまだ抜けきっていないし切り替えも満足に出来ていない。大人だったら『酒が抜けてない』みたいに言うだろうか。
ボヤァ……としているヘルメスにベティベルは声をかけた。
「ヘルメス。今日の授業はここまでにして、貴女のお屋敷に伺ってもよろしくて?」
「へ?うち?」
「さっきの貴女の様子じゃあ、お家に帰っても一人で抱え込むに決まってますもの。」
「あ、でも迷惑ならいいんだよ?ついでに残念会の打ち合わせとか軽くする程度だし。」
「……うんっ、ありがとう二人とも!」
手早く帰る用意を済ませた三人は、ベンチャミン家の馬車に乗ってカートン伯爵領へと向かった。
学院から長閑な田舎町、カートン伯爵領は時間にすると二十分ほど。意外と近いのでカートン家の経由してレイチェルの暮らすレンガ街、そして自宅のベンチャミン家に到着するルートを取っている。最初はヘルメスとレイチェルは遠慮をしたのだが、「効率的に帰宅するのがモットーですのよ」とベティベルの粋な計らいにより、三年間ずっとお世話になっている。
そんな短い時間の間に、三人の話はやはり昼休みの出来事の話題となった。ヘルメスは紳士とのやり取りを話した、その度に顔が赤くなり、相手の顔を思い出して照れてしまったり……だけども、もうすぐで「婚約者のような人」と対面しないといけないのに。そんな複雑な心を洗いざらい語った。
「そ、それで?その紳士のお名前は聞けなかったというわけですの?」
「必ず逢えるって、なんでそう断言出来るのかな……。」
「明日も学院に来るんじゃないかな……。私は会いたいから嬉しいけど。」
「でも、ヘルメスちゃんは辛くない?懐中時計の人と板挟みになってる気がする。」
「正直……しんどいかな。ずっと会いたかった人と、今日出会って好きになった人が胸の中で競り合ってて。だけども、懐中時計の人とは話し合って今後を決めるよ。歳の差もあるんだろうから、向こうもきっと思い止まるかもしれないし。」
「歳の差。そういえば、今日お会いした紳士とも歳の差があるのでしょう?だったら少し揉めませんこと?同じほどの歳の差だったら『何故向こうを選んだ』ような怨恨が残らないとも限りませんし。」
「う……、それはそうだけど……。」
その日の情熱に浮かれたままかもしれない、など諭されてしまうだろうか?それともあっさりと身を引いてくれるだろうかとも考えていたが、嫉妬、その可能性は考えていなかった。それもそうだ……十五年も自分を想い続けて、今更「ごめんなさい」は怨恨を残す可能性のが高い。相手はどんなに真面目で優しくても、実際に寝食を共にしない限り本性はわからない。手紙通りに優しいだけとは断言出来ない、現実だ。そう考えてみると少し怖くなった。
「懐中時計の人が、あの人だったらよかったのに……。」
ありえない夢をぽつりと溢すと、馬車はカートン伯爵邸に到着した。いつもより少し早く到着したのか、ドアを開けてくれる我が家の使用人が玄関まで出てきてくれていない。珍しいなぁと思いながら、ヘルメスは自分から扉に手をかけ「じゃあ部屋でお茶しながら……」と言うと同時に扉が勝手に開いた。そこにはカートン伯爵家の執事、トッド・ドイルが息を切らしていた。
「お、お帰りなさいませお嬢様!申し訳ありません、急な事がありまして、お出迎えが遅れました!」
「トッド?ただいま……って、急な事?」
「はい。じ、実は!懐中時計の御仁が先程、いらしまして!!」
「!!」
その急報を耳にした三人は固まった。何しろ先程までの話題の中心人物、三人の勝手な妄想で「嫉妬深くてストーカーに堕ちそうな男」と決めつけられそうになっていた人物なのだ。ここまで身勝手に決めつけてしまっていたせいか、相手に会う事に対してハードルを上げすぎてしまってはいた。本当に身勝手な妄想なのである。
ついに来てしまったか……。ヘルメスは困惑しつつも、覚悟を決めなくてはいけない時だと決断を迫られている。それでも今、自分にある気持ちを正直に伝えないといけない。この恋心は本物なのか、懐中時計の人と話し合って決めなくては……だから、怖くても進まないと自分を鼓舞する。
婚約を破棄される前提なんだと今朝までは思っていた。でもあの紳士に出会って変わった。少しだけ、自分自身に肯定的になれた。だから、ヘルメスを受け入れてくれる気持ちがあるのか、そしてそんな彼を受け入れられるか。その戦いが始まるのだ。
「……わかった。今行きます。ごめん二人とも。今日の女子会はナシになっちゃって。」
「ヘルメスちゃん!」
「ヘルメス……!」
「大丈夫……。また明日、ね!」
鞄を引き、馬車を飛び降りて玄関扉へ歩いていく。
二人はその背中を、ただ見守るしかなかった。
これは自分の未来を賭けた勝負だ。例え懐中時計の人に謗られようとも、絶対に自分の気持ちには嘘をつきたくない。とことん話し合って、お互い良い未来に歩むための第一歩だ!とヘルメスは勢いよく自分で扉を開けた。これから自らの手で道を開くように、その象徴かのように力強く……。
「ただいまーっ!!!」
まるで威嚇の咆哮だ、まだ馬車を出してなかったのでベティベルとレイチェルはその様子を心の中でツッコミを入れた。本当は後ろからついて行きたいが、他所の家庭の問題に首を突っ込んではいけない歯痒さがあった。
ヘルメスは玄関ホールでこちらを見る数人を見た。
父親のセネル・カートン。
母親のナナリ・カートン。
ヘルメス付きのメイド、キリコ。
昼間学院で見かけた金髪の従者。
「…………え?」
昼間見た、金髪の従者がなんで?
ヘルメスの咆哮……もとい、帰宅の挨拶で唖然としているのはその従者ただ一人で、まぁ家族なら慣れてるから今更驚きはしないだろうと、ヘルメス自身は自覚があった。でも一人、見覚えがかろうじてある背中の人間もまた動じてはいなかった。明るい茶髪で、オールバックで後ろ髪をリボンで結んでいる。ああそうだ……あの時、去っていく背中をずっと見つめていた、あの背中。
そうであってほしいと願っていた、その人物がこちらを振り向いてようやく顔を合わせた。
「あ……貴方は、」
「ふふっ。やはり元気がいい人だ、ヘルメス嬢。」
「えっ、嘘……うそっ!?」
困惑と赤面をしているヘルメスの所まで歩んで、昼間と同じ様に礼儀正しく腰を曲げて挨拶をした。
「数時間ぶりです、ヘルメス嬢。私はマリス・エバと申します。貴女の言う、『懐中時計の人』その人ですよ。」
「あ、ぁ……ヘルメス・カートン、です……改めまして…………あはは。」
混乱しつつも、ぎこちなく膝を曲げて挨拶をした。淑女らしく。
二人は保健室に連れて行こうかと思ってはいたが、ヘルメスはギリギリ落ち着きを取り戻した(ように装って)ので教室に急いで戻った。
この時間は古文担当のおじいちゃん先生の授業で、この先生は基本的に朗読がメインなのでノートの書き取りが少ないのでぼんやりするのにちょうどいいのだ。
「海原の唄は、私達の暮らすアスター大陸の南の国……神海王国ハンクスの王族が代々と語り継いでおり……」、海というワードにヘルメスはびくりとする。
懐中時計の海原の絵、さっきの紳士が海よりも澄み切った純粋さと例えてくれた言葉。私の好きな人達は海が好きなんだ、ふぅ……と隣に聞こえないように息を吐く。
(私は……海を好きになれるのかな……。)
運良く古文の授業はおじいちゃん先生の朗読のみで終わった。ただでさえ、恋をしてしまった事に自覚に芽生えてまだ一時間ぐらいしか経過していないのだ。熱がまだ抜けきっていないし切り替えも満足に出来ていない。大人だったら『酒が抜けてない』みたいに言うだろうか。
ボヤァ……としているヘルメスにベティベルは声をかけた。
「ヘルメス。今日の授業はここまでにして、貴女のお屋敷に伺ってもよろしくて?」
「へ?うち?」
「さっきの貴女の様子じゃあ、お家に帰っても一人で抱え込むに決まってますもの。」
「あ、でも迷惑ならいいんだよ?ついでに残念会の打ち合わせとか軽くする程度だし。」
「……うんっ、ありがとう二人とも!」
手早く帰る用意を済ませた三人は、ベンチャミン家の馬車に乗ってカートン伯爵領へと向かった。
学院から長閑な田舎町、カートン伯爵領は時間にすると二十分ほど。意外と近いのでカートン家の経由してレイチェルの暮らすレンガ街、そして自宅のベンチャミン家に到着するルートを取っている。最初はヘルメスとレイチェルは遠慮をしたのだが、「効率的に帰宅するのがモットーですのよ」とベティベルの粋な計らいにより、三年間ずっとお世話になっている。
そんな短い時間の間に、三人の話はやはり昼休みの出来事の話題となった。ヘルメスは紳士とのやり取りを話した、その度に顔が赤くなり、相手の顔を思い出して照れてしまったり……だけども、もうすぐで「婚約者のような人」と対面しないといけないのに。そんな複雑な心を洗いざらい語った。
「そ、それで?その紳士のお名前は聞けなかったというわけですの?」
「必ず逢えるって、なんでそう断言出来るのかな……。」
「明日も学院に来るんじゃないかな……。私は会いたいから嬉しいけど。」
「でも、ヘルメスちゃんは辛くない?懐中時計の人と板挟みになってる気がする。」
「正直……しんどいかな。ずっと会いたかった人と、今日出会って好きになった人が胸の中で競り合ってて。だけども、懐中時計の人とは話し合って今後を決めるよ。歳の差もあるんだろうから、向こうもきっと思い止まるかもしれないし。」
「歳の差。そういえば、今日お会いした紳士とも歳の差があるのでしょう?だったら少し揉めませんこと?同じほどの歳の差だったら『何故向こうを選んだ』ような怨恨が残らないとも限りませんし。」
「う……、それはそうだけど……。」
その日の情熱に浮かれたままかもしれない、など諭されてしまうだろうか?それともあっさりと身を引いてくれるだろうかとも考えていたが、嫉妬、その可能性は考えていなかった。それもそうだ……十五年も自分を想い続けて、今更「ごめんなさい」は怨恨を残す可能性のが高い。相手はどんなに真面目で優しくても、実際に寝食を共にしない限り本性はわからない。手紙通りに優しいだけとは断言出来ない、現実だ。そう考えてみると少し怖くなった。
「懐中時計の人が、あの人だったらよかったのに……。」
ありえない夢をぽつりと溢すと、馬車はカートン伯爵邸に到着した。いつもより少し早く到着したのか、ドアを開けてくれる我が家の使用人が玄関まで出てきてくれていない。珍しいなぁと思いながら、ヘルメスは自分から扉に手をかけ「じゃあ部屋でお茶しながら……」と言うと同時に扉が勝手に開いた。そこにはカートン伯爵家の執事、トッド・ドイルが息を切らしていた。
「お、お帰りなさいませお嬢様!申し訳ありません、急な事がありまして、お出迎えが遅れました!」
「トッド?ただいま……って、急な事?」
「はい。じ、実は!懐中時計の御仁が先程、いらしまして!!」
「!!」
その急報を耳にした三人は固まった。何しろ先程までの話題の中心人物、三人の勝手な妄想で「嫉妬深くてストーカーに堕ちそうな男」と決めつけられそうになっていた人物なのだ。ここまで身勝手に決めつけてしまっていたせいか、相手に会う事に対してハードルを上げすぎてしまってはいた。本当に身勝手な妄想なのである。
ついに来てしまったか……。ヘルメスは困惑しつつも、覚悟を決めなくてはいけない時だと決断を迫られている。それでも今、自分にある気持ちを正直に伝えないといけない。この恋心は本物なのか、懐中時計の人と話し合って決めなくては……だから、怖くても進まないと自分を鼓舞する。
婚約を破棄される前提なんだと今朝までは思っていた。でもあの紳士に出会って変わった。少しだけ、自分自身に肯定的になれた。だから、ヘルメスを受け入れてくれる気持ちがあるのか、そしてそんな彼を受け入れられるか。その戦いが始まるのだ。
「……わかった。今行きます。ごめん二人とも。今日の女子会はナシになっちゃって。」
「ヘルメスちゃん!」
「ヘルメス……!」
「大丈夫……。また明日、ね!」
鞄を引き、馬車を飛び降りて玄関扉へ歩いていく。
二人はその背中を、ただ見守るしかなかった。
これは自分の未来を賭けた勝負だ。例え懐中時計の人に謗られようとも、絶対に自分の気持ちには嘘をつきたくない。とことん話し合って、お互い良い未来に歩むための第一歩だ!とヘルメスは勢いよく自分で扉を開けた。これから自らの手で道を開くように、その象徴かのように力強く……。
「ただいまーっ!!!」
まるで威嚇の咆哮だ、まだ馬車を出してなかったのでベティベルとレイチェルはその様子を心の中でツッコミを入れた。本当は後ろからついて行きたいが、他所の家庭の問題に首を突っ込んではいけない歯痒さがあった。
ヘルメスは玄関ホールでこちらを見る数人を見た。
父親のセネル・カートン。
母親のナナリ・カートン。
ヘルメス付きのメイド、キリコ。
昼間学院で見かけた金髪の従者。
「…………え?」
昼間見た、金髪の従者がなんで?
ヘルメスの咆哮……もとい、帰宅の挨拶で唖然としているのはその従者ただ一人で、まぁ家族なら慣れてるから今更驚きはしないだろうと、ヘルメス自身は自覚があった。でも一人、見覚えがかろうじてある背中の人間もまた動じてはいなかった。明るい茶髪で、オールバックで後ろ髪をリボンで結んでいる。ああそうだ……あの時、去っていく背中をずっと見つめていた、あの背中。
そうであってほしいと願っていた、その人物がこちらを振り向いてようやく顔を合わせた。
「あ……貴方は、」
「ふふっ。やはり元気がいい人だ、ヘルメス嬢。」
「えっ、嘘……うそっ!?」
困惑と赤面をしているヘルメスの所まで歩んで、昼間と同じ様に礼儀正しく腰を曲げて挨拶をした。
「数時間ぶりです、ヘルメス嬢。私はマリス・エバと申します。貴女の言う、『懐中時計の人』その人ですよ。」
「あ、ぁ……ヘルメス・カートン、です……改めまして…………あはは。」
混乱しつつも、ぎこちなく膝を曲げて挨拶をした。淑女らしく。
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