傾国の聖女

葛藤（オスカー）

不味いな、と思う。

彼女をあの場から連れ出したのは、純然たる善意から出た行動であった。
その中には充希個人に対する同情心と、現時点での政治的判断による打算も当然含まれていた。決して衝動的に彼女を攫ったわけではない。

本来であれば屋敷に連れ帰り、家の者に事情を話し匿ってもらうべきなのだろう。否、そうしようと思っていた。つい、先ほどまでは。


（俺は今、どんな顔をしている？）

心臓が、早鐘のようだった。
身体が熱い。触れられた箇所から火がついて、あっという間に激情に飲み込まれてしまいそうになる。
充希の肌が触れるたび、髪が揺れるたび、吐息を感じるたび、身体が勝手に動きそうになる。あの時のように、唇を奪って押し倒し、その先にまで手を伸ばしてしまいそうになる。

（これは、本格的に不味い。これ以上接近したままだと、手を出してしまいそうだ…）

此処には途中で止めてくれるサイラスはいない。たとえ充希自身に拒否され抵抗されたとしても、止まってやれる自信はなかった。


「聖女って、怖…」

こちらの状況や立場や感情は置いてきぼりかよ！とオスカーは元気いっぱいの下半身を見つめて深い溜息を吐く。
一度こうなってしまっては、おさまりがつかない。癪だが彼女から距離を取り、ひとりで処理するしかないだろう。

（一度抜けば、少しはマシか…）

こんなところで聖女に手を出すわけにはいかなかった。サイラスには充希の意思を尊重しろと言われているし、そもそも自分には長い付き合いの婚約者がいる。
婚約者の同意を得られていない状態で聖女を抱けば、彼女との信頼関係にヒビが入るのは明白であった。


それでなくともここ最近、巷では聖女召喚の話題で持ちきりだった。魔障を患った者の配偶者や恋人は、常に戦々恐々とした日々を過ごしていると聞く。
いつ自分の大切な人が、聖女に誘惑され、堕落していってしまうのかと…彼女たちの恐怖や不安は次第に憎悪へと膨れ上がり、見も知らぬ聖女に対する反発は日に日に増しているのだという。

（実際には、扇動している政敵が裏にいるんだろうけど…………それにしても、だ）

こうなってくると、あながち彼女たちの言うことも無視出来ないなとオスカーは思う。

確かに聖女は魔障に犯された自分たちにとって、救世主とも呼ぶべき存在である。彼女の力がなければいずれ魔障は身体中を侵食し、やがては死に至らしめる。そういう呪いなのだ。

けれど聖女の癒しの力を受けるには、彼女と性交しなくてはならない。しかも聖女を前にするとどんな男も骨抜きにされてしまうのだ。故に、聖女は国を滅ぼすとまで言われている。


文献で読んだ時は何を大袈裟なと思ったものだが、実際の聖女を目の当たりにした今となってはもう否定も出来ない。

だって今まさに、自分も聖女に欲情してしまっているのだから…