18 / 55
王妃教育初等
しおりを挟む レイゾンは自分の態度を振り返り、「まずかっただろうか」「いやしかし」と懊悩する。王太子に対して失礼なことをしたような気もする。が、騎士同士なら問題ないのではないだろうかという気もする。
(……わからぬ……)
いずれにせよ”やらかして”しまったのだとしたら、もう手遅れだ。
しかし、まさか王太子が足を運んでくるとは思っていなかった。
彼は「見届け」とか「立ち会い」と言っていた。レイゾンは知らなかったが、つまりそれが騏驥を下賜される時の作法なのだろう。
そしてこのシィン殿下は、レイゾンは知らなかった(気にしていなかった)「見届け」のために、わざわざここへやってきたと言うわけだ。この騏驥のために。
一人二人ではない数のずらり揃った女官たちも、そのために手配されたのだろう。それを思うと、らしくなく動揺してしまう。
レイゾンはひとまずシィンへの礼儀として頭を下げると、そのままチラリと騏驥を見る。確かめるように、騏驥を見る。
侍女のような女性に付き添われ、そこに静かに佇む騏驥(そもそも騏驥に侍女とは! しかし、傍にいる女性はそうとしか見えないのだ)。
互いが近づいた分、その姿はさっきまでよりいくらかはっきりと見える。美しい装束。その白さには靴先まで一点の染みもない。気づけば胸に染み渡るような深い芳香が感じられる。衣に焚きしめているものだろう。
レイゾンにはさっぱりわからないが、それもおそらく高価な香に違いない。
そして貌は……。
レイゾンはさっきよりも一層速くなっている心音を宥めるように長く息をつく。
綺麗だ。近くで見てもやはり綺麗だ。白で統一された印象故に美しく”見えるだけ”かと思っていたら、そうではなかった。雰囲気も美しいがより近くで見てもやはり美しい。いや——間近で見れば見るほど綺麗だという印象を受ける。
肌は抜けるように白い。透明感があって雪のようだ。新雪。まだ誰にも触れられたことがないような、そんな無垢な気配はこちらの庇護欲を駆り立てる。元踊り子で前王に囲われていたなら無垢でなどあるわけもないだろうに。
そしてそんな白い肌と対照的な淡く色づいた唇は、露を含んだ花弁か熟した果実のようだ。面差しを隠している面紗がもどかしい。できるならいっそ今すぐ、引き剥いでやりたくなる。全てが見たくなる。何もかも暴いてやりたくなる。この手で全て。
庇護してやりたいと思った直後にそんな風に乱暴なことも思ってしまう。
白く艶やかな長い髪は、よく見れば丁寧に結われて宝玉や輝石で飾られている。それらも全て白だ。少しずつ質感が違うから、さっと色々な石玉なのだろう。無粋なレイゾンではわからないような……きっと高価で稀少な……。
それらを目の当たりにして、レイゾンは微かに唇を噛む。
この騏驥はそれほどだというのか。
下げ渡される際にまでわざわざ手をかけて飾られ、王太子である自ら見送る——それほど価値のある騏驥だと……。
(だが細すぎるのではないか? 小柄だし、心もとない。人の姿の時の体格がそのまま馬の姿のそれではないとはいえ、こんなに華奢では心配だ。実戦では役に立たないのではないか? 確かに美麗だが強くない騏驥では意味がない。美しいだけの騏驥では、ただの観賞用だ。俺はそんな騏驥など……)
見れば見るほど美しく、そして自分には不似合いな騏驥。
「…………」
レイゾンの胸の中に、これまで感じた事のない混沌が産まれる気配がある。込み上げてくる混乱に煽られるように、思わず一歩踏み出しかけた時。
「レイゾン、待たせたついで——と言うわけではないが、一杯茶をもらえるだろうか? 其方に白羽を授ける前に、少し話しておくこともある」
朗らかに、シィンが言う。
びくりと動きを止めてレイゾンが見れば、シィンはそこにある卓子の上の茶杯や茶壺(急須)に向けて軽く顎をしゃくって見せる。さっきまでレイゾンが何杯も飲んでいたものだ。
「待たせたついで」——とは、聞きようによってはずいぶんふざけた言い回しだが、彼が口にするとどこか親しみやすさが感じられるから不思議なものだ。
貴族など気に食わないと思っていたし、今もそれは変わっていないつもりなのに、そんな貴族も貴族——王太子であるシィンに対して好感を抱くとは。
(不思議な方だ……)
一対一で顔を合わせることなどないと思っていたから、シィンに対しての知識は皆無に等しい。辛うじて名前を知っていたぐらいで顔さえろくに知らなかったのに。
これが王や王子というものなのだろうか。
そのほとんどが騎士となる貴族たちの中でも、特に王族は生まれながらに騎士であり加護の魔術を受けているという。特別の中の特別な存在だ。
(そんな王族に——前王に囲われていた……騏驥……)
——手に余る。
と、レイゾンは思った。
そんなもの、もらっても困る。扱えぬ。故に不要。
しかしそう思っていても今さら事態は変えられない。
それに。
(それに、あの美貌は……)
思い出すと、柄にもなく耳が熱くなる。
気になってチラリと騏驥を見やりかけ、レイゾンは慌てて顔を戻す。
何をやっているんだ、俺は。
そうこうしていると、シィンはレイゾンの返事を待たずにさっさと椅子に腰を下ろしてしまう。
慌てるレイゾンに構わず、シィンはゆったりとした様子で脚を組むと、
「お前が淹れてくれるか。わたしはあまり熱くないものが好みだ」
と楽しげに言う。
びっくりしてレイゾンがそちらを見ると、そこには、大役を仰せつけられ、かしこまった様子で幾度も頷いているユゥの姿があった。
(……わからぬ……)
いずれにせよ”やらかして”しまったのだとしたら、もう手遅れだ。
しかし、まさか王太子が足を運んでくるとは思っていなかった。
彼は「見届け」とか「立ち会い」と言っていた。レイゾンは知らなかったが、つまりそれが騏驥を下賜される時の作法なのだろう。
そしてこのシィン殿下は、レイゾンは知らなかった(気にしていなかった)「見届け」のために、わざわざここへやってきたと言うわけだ。この騏驥のために。
一人二人ではない数のずらり揃った女官たちも、そのために手配されたのだろう。それを思うと、らしくなく動揺してしまう。
レイゾンはひとまずシィンへの礼儀として頭を下げると、そのままチラリと騏驥を見る。確かめるように、騏驥を見る。
侍女のような女性に付き添われ、そこに静かに佇む騏驥(そもそも騏驥に侍女とは! しかし、傍にいる女性はそうとしか見えないのだ)。
互いが近づいた分、その姿はさっきまでよりいくらかはっきりと見える。美しい装束。その白さには靴先まで一点の染みもない。気づけば胸に染み渡るような深い芳香が感じられる。衣に焚きしめているものだろう。
レイゾンにはさっぱりわからないが、それもおそらく高価な香に違いない。
そして貌は……。
レイゾンはさっきよりも一層速くなっている心音を宥めるように長く息をつく。
綺麗だ。近くで見てもやはり綺麗だ。白で統一された印象故に美しく”見えるだけ”かと思っていたら、そうではなかった。雰囲気も美しいがより近くで見てもやはり美しい。いや——間近で見れば見るほど綺麗だという印象を受ける。
肌は抜けるように白い。透明感があって雪のようだ。新雪。まだ誰にも触れられたことがないような、そんな無垢な気配はこちらの庇護欲を駆り立てる。元踊り子で前王に囲われていたなら無垢でなどあるわけもないだろうに。
そしてそんな白い肌と対照的な淡く色づいた唇は、露を含んだ花弁か熟した果実のようだ。面差しを隠している面紗がもどかしい。できるならいっそ今すぐ、引き剥いでやりたくなる。全てが見たくなる。何もかも暴いてやりたくなる。この手で全て。
庇護してやりたいと思った直後にそんな風に乱暴なことも思ってしまう。
白く艶やかな長い髪は、よく見れば丁寧に結われて宝玉や輝石で飾られている。それらも全て白だ。少しずつ質感が違うから、さっと色々な石玉なのだろう。無粋なレイゾンではわからないような……きっと高価で稀少な……。
それらを目の当たりにして、レイゾンは微かに唇を噛む。
この騏驥はそれほどだというのか。
下げ渡される際にまでわざわざ手をかけて飾られ、王太子である自ら見送る——それほど価値のある騏驥だと……。
(だが細すぎるのではないか? 小柄だし、心もとない。人の姿の時の体格がそのまま馬の姿のそれではないとはいえ、こんなに華奢では心配だ。実戦では役に立たないのではないか? 確かに美麗だが強くない騏驥では意味がない。美しいだけの騏驥では、ただの観賞用だ。俺はそんな騏驥など……)
見れば見るほど美しく、そして自分には不似合いな騏驥。
「…………」
レイゾンの胸の中に、これまで感じた事のない混沌が産まれる気配がある。込み上げてくる混乱に煽られるように、思わず一歩踏み出しかけた時。
「レイゾン、待たせたついで——と言うわけではないが、一杯茶をもらえるだろうか? 其方に白羽を授ける前に、少し話しておくこともある」
朗らかに、シィンが言う。
びくりと動きを止めてレイゾンが見れば、シィンはそこにある卓子の上の茶杯や茶壺(急須)に向けて軽く顎をしゃくって見せる。さっきまでレイゾンが何杯も飲んでいたものだ。
「待たせたついで」——とは、聞きようによってはずいぶんふざけた言い回しだが、彼が口にするとどこか親しみやすさが感じられるから不思議なものだ。
貴族など気に食わないと思っていたし、今もそれは変わっていないつもりなのに、そんな貴族も貴族——王太子であるシィンに対して好感を抱くとは。
(不思議な方だ……)
一対一で顔を合わせることなどないと思っていたから、シィンに対しての知識は皆無に等しい。辛うじて名前を知っていたぐらいで顔さえろくに知らなかったのに。
これが王や王子というものなのだろうか。
そのほとんどが騎士となる貴族たちの中でも、特に王族は生まれながらに騎士であり加護の魔術を受けているという。特別の中の特別な存在だ。
(そんな王族に——前王に囲われていた……騏驥……)
——手に余る。
と、レイゾンは思った。
そんなもの、もらっても困る。扱えぬ。故に不要。
しかしそう思っていても今さら事態は変えられない。
それに。
(それに、あの美貌は……)
思い出すと、柄にもなく耳が熱くなる。
気になってチラリと騏驥を見やりかけ、レイゾンは慌てて顔を戻す。
何をやっているんだ、俺は。
そうこうしていると、シィンはレイゾンの返事を待たずにさっさと椅子に腰を下ろしてしまう。
慌てるレイゾンに構わず、シィンはゆったりとした様子で脚を組むと、
「お前が淹れてくれるか。わたしはあまり熱くないものが好みだ」
と楽しげに言う。
びっくりしてレイゾンがそちらを見ると、そこには、大役を仰せつけられ、かしこまった様子で幾度も頷いているユゥの姿があった。
7
お気に入りに追加
77
あなたにおすすめの小説

異世界転生ファミリー
くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?!
辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。
アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。
アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。
長男のナイトはクールで賢い美少年。
ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。
何の不思議もない家族と思われたが……
彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。

【完結】平民聖女の愛と夢
ここ
ファンタジー
ソフィは小さな村で暮らしていた。特技は治癒魔法。ところが、村人のマークの命を救えなかったことにより、村全体から、無視されるようになった。食料もない、お金もない、ソフィは仕方なく旅立った。冒険の旅に。

[完結]私を巻き込まないで下さい
シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。
魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。
でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。
その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。
ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。
え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。
平凡で普通の生活がしたいの。
私を巻き込まないで下さい!
恋愛要素は、中盤以降から出てきます
9月28日 本編完結
10月4日 番外編完結
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

叶えられた前世の願い
レクフル
ファンタジー
「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる