落し物

銭井

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一個目

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 僕は六歳の時にここにきた。
 小学校からの帰り道、財布を拾ったから交番に行こうと寄り道をして、気がついたら見たこともない街にいた。

 ゲームに出てきそうな建物や道行く人たちの格好。
 その時のことはパニックでほとんど覚えていないけれど。
 パンの匂いのする店の前に座り込んだ僕を覗き込む青い目と、手をとって導いてくれた小さな後ろ姿だけは今でも鮮明に覚えている。

 それから何がどうなったのか僕「やすだしんたろう」は「シン」と呼ばれ、いつのまにかパン屋の子供になっていた。


 この世界での父さんと母さんには二人の息子がいて、僕より三つ年上のロウと二つ下のカイ。
 僕は真ん中の息子ということになった。

 帰りたい、ママやパパに会いたいと泣いたことは時々あった。
 僕からすると外国人みたいな見た目の家族と毛色の違う僕。
 どんなに良くしてもらっても疎外感は今でもほんの少し残ってる。

 それでも年を重ねれば自然と諦めもついて、この世界の方がずっと長くなった暮らしにも馴染んでいった。
 なにより、兄弟二人がよく構ってくれたおかげで知らない世界でもそこまで寂しい思いをすることはなかったように思う。


 僕は二十歳になった。


「シン、起きろ」

 十五を境にそれまでのお手伝いから本格的に店の仕事をするようになった。

 日の出前に起きて身支度を整える。
 同じ部屋で寝起きするロウはすでに着替えも終わっていた。
 ロウが起きた時に僕も起こしてくれと言ってるのにいつも自分の支度が終わってから起こされる。
 まあ自力で起きろって話だよね。
 一階に降りると、父さん母さんそれにロウが前日に仕込んだ生地を切り分けていた。
 店の前を軽く掃き清め、店内のパンを並べる為の棚を拭きあげる。
 オーブンに火が入ったら順番に朝食をとっていく。


「結婚?ロウが?」

「本人にはっきり聞いたわけじゃないけどそろそろ考えてるんじゃないかしらね」

 一日が終わり遅い夕食の時間。
 母さんの言葉にちょっとだけ衝撃を受けた。
 考えたらロウの彼女、ミリーさんとロウは五年も付き合ってるんだから当たり前だ。
 ロウは今二十三歳でミリーさんは確か二つ下の二十一歳。
 結婚するには遅いくらいだ。
  父さんと母さんがまだ決まったわけじゃない言いつつも楽しみなのが隠せない様子で二人のことを話す。
 肝心のロウは今夜もミリーさんに会いに行っている。
 このところ毎晩だ。

 結婚かあ。

 今、この家は自宅の一階でパン屋を営む父さんと母さんと実質店主の長男のロウ、それから見習い未満の僕の四人暮らしだ。
 末っ子のカイは十三で騎士団の寮に入った。
 もう五年も前のことだ。
 突然出て行った弟分のことを思うと胸が痛む。
 それまでずっとべったりと言ってもいいほどに仲が良かったのに、ある日を境に全く僕に近寄らなくなったカイ。
 聞けば騎士団の入団は本来なら十五からのはずがカイが頼み込んで無理やり入れてもらったそうだ。

 そんなに僕が嫌になったのだろうか。




 二階には二部屋しかない。夫婦の部屋とロウと僕の部屋。
 結婚したらロウとミリーさんはこの家に住むのだろうし、そうしたら僕は出ていくべきだ。
 まさか父さん母さんの部屋に、というわけにもいかないし。

 家を出ようか出るにしてもどうするのか、どこかのパン屋に修行に出るしかないか。まとまらない頭のままその夜は床についた。

 翌朝、隣のベッドにロウの姿はもうなかった。
 起こしてくれればいいのに。
 急いで着替えて階下に降りる。
 出遅れた僕は箒を持って店のドアを開けた。
 大したゴミもないけれど、店の前を端からくまなく箒で掃く。
 ふと、入口の段差の陰に何か落ちているのがみえた。
 持ち上げた皮の袋はずっしりと重く、中を確かめると溢れそうなほどの金貨が詰まっていた。

 家族に話して、そのまま騎士団の詰所に届けに行くことにした。


 この国では落し物は最寄りの騎士団の詰所に持っていくこと、と国の法律で建前ではそう決まっている。
 もちろん僕のいた日本とは違って真面目に届ける人がそうたくさんいるわけではない。
 落とす方が悪いと考える人の方が多いように思う。治安とは関係なく。


 カイに会えるかもしれない。
 詰所は三交代制だから確率は低いけど。
 カイが所属してるのは騎士団の中でも街の自警団のような位置にある第五騎士団。
 騎士団といっても平民の騎士はみな街の治安維持が主な任務で、城に詰められるのはみな貴族だ。
 街の詰所には基本平民しかいないので割と誰でも気軽に立ち寄れる。

 ドア開けて中を覗くと入ってすぐのカウンターの向こうに赤毛の頭が見えた。
 カイだ。

 まさかいるとは思わなかったから嬉しい。
 それにしても、机に向かって何か書き物をしてるカイなんて想像もできない。
 いつか街で見たカイは、騎士団の制服に剣を携えて油断なくあたりに気を配りながら同僚の騎士と難しい顔をして話し込んでいたのに。
 書類仕事もできるんだなと変なことに感心してしまった。

「カイ」

 声をかけると青い瞳がこちらを見た。
 瞬きをして僕を見るカイの表情が一瞬だけ一緒に暮らしてた頃みたいに幼く見えた。

「シン……どうした」

「うん、あのね。店の前でこれ拾ったんだ。落し物」

「ああ、ちょっと待て」

 カイが机の引き出しから取り出した紙を僕に見せながら「ここと、ここに」と骨ばった長い指で指し示す。

 渡されたペンで指された箇所に書き込む。
 拾った時間、場所、僕の名前と住まい。
 それからカイが、皮袋の中身を確かめて詳しく書き込む。
 金貨と、いくつかの宝飾品。
 持ち主の手がかりになりそうな物は無いみたい。




「そうか、ロウが」

 事務処理が終わって、なんとなく帰り難くてロウの結婚の話をしてみた。
 多少油売っても許されるのは家族経営のいいとこだよね。

「うん、それでね、僕は家を出ようと思うんだよ」

「なんで、ってあの狭い家に新婚と一緒はキツイか……」

「父さんに頼んで、どこかの店で住み込みで修行させてもらおうかと思ってるんだ」

「そうか…」

 今日はよく喋ってくれてるなあ。
 避けられるようになってからたまの帰省で顔を合わせても「ああ」か「いや」しか聞かなくなってたもの。


「そろそろ帰るね」

「送る」

 僕の返事を待たずにカイは立ち上がった。
 まだ朝なんだけど。
 いや、夜だって別に男なら一人で歩いて危ないような街じゃない。まあいいけど。

「カイまた背が伸びたんだね」

「お前は相変わらずだな」

 あ、今の前みたいな感じでちょっと嬉しい。
 僕が気をよくしてると奥の方から話し声が聞こえた。

「黄色いな」

「なんだって?カイのアニキ?あれが?」

「ほら、ワニ国人じゃないか?」

 騎士たちの声は潜めてはいたけど流石によく通って滑舌もいい。
 聞き取りやすいよね。
 なんて考えてると、目の前にいたはずのカイが居ない。
 振り返ると、件の騎士の人達に向かって行くところだった。
 速い。
 止める間もなくカイの足が騎士の一人を蹴り上げる。
 その人先輩っぽくないかな。

「うるせえ」

 蹴られてひっくり返った騎士は呆然とカイを見上げている。

 僕のところに戻るなり腕を掴まれ引っ張られた。
 なんとか振り返って騎士の人に向かって頭を下げた。
 なんかごめんなさい。



 獣人とかエルフとか、人種以前にもっと根本的に違う種族が雑多に暮らす国で肌の色での差別なんてまずない。
 黒かったり赤みがかっていたり一番多いのは白い肌だけど、まとめて人族と言う括りだ。
 それでも僕ほどに黄色い肌というのは珍しいらしい。
 日本人に近い見た目の人も意外とたくさんいるけど肌の色は割と白い。
 自分では分からなかったけど比べてみると確かに黄色いんだよね、僕の肌は。


 カイは、僕の見た目のことを誰かが言うと怒る。
 これは昔からだ。
 僕は気にしてないし、みんな珍しがってるだけで悪口でもなんでもないんだけど。
 家族との外見の差を僕が気にするんじゃないかとカイは思ってるらしい。


 だったら、嫌われたわけじゃないのかな。
 そうだといいな。
 嫌いじゃなくても僕に関係があってもなくても知りたい。

  
「なんでカイは騎士団に入ったの?」

 カイと並んで歩くのはいつぶりだろう。
 せっかくだから前からずっと聞きたかったことをカイに聞いてみる。

 よそよそしくなったカイのことを思春期だからとロウは笑っていた。
 そうこうするうちに騎士団に入ることにしたと、全部一人で決めてカイは家を出て行った。
 僕のせいじゃないとロウは言ったけど、結構傷ついたんだ。
 理由が知りたい。

「……独立したかった。それだけだよ」

「じゃあなんで急に僕のこと避け出したの?」

「別に、避けてたつもりは」

 ない、とはそりゃ言えないよね。あからさまだったもん。


 引く気のない僕にカイがため息をついた。
 困ってるな。困らせてるのは僕か。聞かない方が良かった? でも僕だって困ってる。
 いつも一緒だったカイがいないと寂しい。五年経っても未だに寂しさが薄れない。
 兄離れも弟離れもまだ早いと思うんだ。


「一緒の部屋で寝起きして、目の前で着替えとかされて、俺が避ければ避けるほどくっついてくるし」

 家狭いからね。他に寝るとこも着替えるとこもないし三兄弟でくっつけたベッド二台でぎゅうぎゅうで寝てたよね。

 避けられてるのに意地になってくっつきにいったのは確かにうっとおしいかもしれない。
 でも家を出る程までのことかな。

「僕は寂しかったよ。五年もたつのにカイがいないのがまだ寂しいよ」

 情に訴えて、なんとかならないものかと「お兄ちゃん寂しい」を強調してみたところ、人気のない路地に引っ張り込まれて抱きしめられた。
 カイの肩に乗り切らない顎が反って制服の硬い生地が喉に擦れる。

「俺はシンが好きなんだ」

 予想外の言葉に僕の思考が止まる。
 好きって、好き?
 カイが僕を。
 そりゃ僕も好きだけど。
 わざわざ言うくらいだから家族とかそう言う意味ではなく?

「ごめんな」

 掠れた声が耳をくすぐる。

 なにが。なんで?
 え?これってやっぱりそう言う意味?
 うわあ動悸がすごい。バクバクしてる。
 でもほら、そろそろ帰んないといくらなんでも怒られるかも。
 じゃなくて、これ僕はどうしたら。
 なんか熱くなってきた。恥ずかしい。
 でも、だって。それならどうして。

「カイは僕が好きなのに僕から離れてどうするつもりだったの?」

 僕が言うと、抱きしめる腕の力が緩んでカイの顔を見ることができた。
 神妙な面持ちは地獄の沙汰を待つ罪人みたいだ。

「諦めるつもりだった?離れて忘れて気持ちが無くなるのを待つの?」

 そんな叱られた犬みたいな顔してもダメだ。
 僕がどれだけ寂しかったか。
 驚きと羞恥の後にやってきたのは怒りだ。どうやら僕は怒ってるみたいだ。

「僕のことを拾ったのはカイなのに」

「シン」

 持ち主の現れない落し物は拾い主のものになる。
 僕のうろ覚えの日本の法律。

「カイが拾ってくれたんだから僕はカイのものだよ」

 黙ったまま動かないカイに焦れて襟元を掴んで引き寄せて、背伸びして口づけをした。



 ***


 それから僕は、父さんと母さんに相談したところ知り合いの同業者に頼んで住み込みで修行させてもらえることになった。
 なさぬ仲の僕が出て行くと言えば余計な気を遣わせてしまうかと心配したけど、僕が思ってる以上に僕はこの家の子供だった。
 なんの気負いもなく送り出してくれた。
 辛かったら戻っていい、とは言ってくれたけど余程のことがない限りは頑張ろうと思う。  
 第一寝る場所がない。
 そう、あれからロウとミリーさんは結婚してミリーさんは今僕のいた部屋でロウと新婚生活を送っている。
 お店もよく手伝うのだと母さんが嬉しそうだ。


 今は朝から晩までパン作りだ。
 親方は厳しくて優しくて教え上手な人だ。
 不満があるとすればカイとあまり会えないこと。
 カイは巡回がてら覗きに来たり月に一度の僕の休みには合わせて休みを取ってくれるけど、全然足りないよね。
 もっとちゃんと二人で会いたい。
 って思ってたら今度は夜、店が閉まって僕が自由になる時間に会いにきてくれるようになった。
 それがほぼ毎晩なんだよ。
 ミリーさんに会いに行ってたロウみたいだ。

 いつか、自分の店を持ちたい。
 カイにそう言ったら「頑張れ」って笑ってくれた。

 抱きしめあって触れるだけのキスをする。
 それだけのための短い時間がとても愛しい。




 あの日、座り込んで泣く僕を最初に見つけたのはカイだった。

「誰?」
「迷子?」
「うち来る?」

 そうして差し出された手は、今も僕をこの世界に繋いでくれている。
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