ドМ彼氏。

秋月 みろく

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「頑張ったでしょう?」

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「そうだよ」


「だったら、証拠をみせてみなさいよ、証拠を」



 証拠……?



「証拠ってなによ」


「なんでもよ、主任と写ってる写メとかプリクラとか、普段のメールとか、なんでもあるでしょう。本当に付き合ってるならね」



 プリクラァ?写メェ?そういえば、そういうものは一つもないな。


 メールはあることにはあるけど……件名からして『駄犬です』だもんなあ。さすがに会社の人間には見せらんないよね…。



「そういうのはない……けど」



 小声で漏らすと、柊さんは厚く口紅の塗られた唇を、にんまりと笑わせた。



「ほら!やっぱり嘘じゃないのよ!なんだったら、今すぐ主任に助けを求めても良くってよ?」


「主任は熱で寝込んで休んでるんじゃないの!」


「そーよ、それでも彼女のためなら来るでしょうよ!ねえ、みんな?」



 彼女は取り巻きへ投げかけ、高らかに笑い出す。
 なによなによ!みんななんて言っちゃって、二人しかいないじゃん!


 でもどうしよう。主任と付き合ってるって証明できるものはなにもないし、まずこいつらに証明しなきゃいけない理由もないし。



「帰る!」


「はあ?」


「考えてみれば、主任と付き合ってるって証拠をあんた達に見せる道理はないのよ!!いつまでもこんなところに居たって、どうしようもないじゃん!」



 そうだよ、こんな奴らに付き合う必要はどこにもないんだよ。私はなんにも悪くないんだよ。



「あら~?逃げるのね?そうなのね?それは自分が嘘つきだと認めるってことよね?そう、それもいいと思うわよ?負け犬のように、さあ、尻尾を巻いてお逃げなさいなっ」



 くううう!!こいつマジ腹立つ!



「……ッてやる」


「え、なに聞こえなーい」



 柊さんは耳の後ろに手を当てる。私は顔を上げた。



「チクッてやる!!このことぜ~~~っんぶ!まるごと主任にチクッてやるっ!!」


「なっ…!」


 その手があったかーー!という顔をして、柊さんは一歩後ろへ退いた。



「ふふん、あんたには一番こたえるでしょ」



 そもそも、こういうイビリをする前に気づかないのだろうか?報復を恐れて泣き寝入りするとでも思っているのだろうか?



「今なら、まだ言わないであげてもいいけど?」



 私は余裕の態度で持ちかける。絶対言うけどね!言っちゃうけどね!
 ここで柊さんは、力を抜くように肩を落とし、それからバッグに手を忍ばせた。



「これはしたくなかったんだけど」




 チキチキチキ。軽い音を鳴らしながら、カッターの刃が伸びる。


 え……ちょい待ち……。



「全てが主任にばれるくらいなら……なんとしてでもあなたを止めるわ……ナントシテデモ」



 一歩…一歩…意識のない足取りで、彼女はこちらに進んでくる。



「ひ、柊さん……?」


「もうおしまいよ、私の人生、もうおしまいよ。あんたも道連れにしてやるわ」



 こちらを見下ろす彼女の目は、瞳孔が開ききっており、狂気に満ちていた。その目は一瞬にして、私を恐怖の奈落へと引きずりこんでいく。


 やばいよ……こういう人って、ホントにいるんだ……。片思いに人生の全てを賭けちゃって、壊れるくらいなら、いっそもろともって……こういう思い込みが一番怖いんだって。


 どうでもいいことが、物凄いスピードで頭の中を横切っていく。



「いや……あはは、嘘……嘘ですよ!主任に言ったりするわけないじゃないですかあ!」



 私はなんとか、その場しのぎの空笑いを漏らす。しかし彼女の耳には届いていないようだった。


「ちょっとよ?ちょっと……顔に傷をつけるだけ。私だってね、殺したいわけじゃないのよでもあなたが悪いのよ、だから……ね……?動かないでね……?手元が狂って心臓に刺さっちゃったら大変だもの。大変だもの……ふふふ」



 鼻先に向けられたカッターが下りていき、左胸の前でぴたりと止まる。



「そう……ここはダメなのよ、ここは……」



 つん……と、心臓の位置を見定めたように、カッターの先端が左胸に当てられる。


「ひ、柊さん……」、私を抑えているお供が、小さく抑制の声をかける。彼女たちも、今は下手に刺激してはいけないと理解しているようだった。


 私はもうパニックだった。もうどのようなことも考えられなかった。ただ何かを否定して、首だけが勝手に左右に揺れる。


 いつのまにか、取り巻きの手は離れていた。でも私は動くことが出来ずに、金縛りにあったみたいに硬直していた。


 カッターの先端が、顔の前まで迫ってきて、私は固く目を閉じた。


 誰か誰か誰か……誰でもいいから助けて―――。


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