ドМ彼氏。

秋月 みろく

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「今夜、お迎えにあがります」

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「はあ~…別れよっかなあ~」



 階段を下りながら、ため息をつく。



「え!そんなに深刻なことなの?」


「そりゃあ深刻でしょ!私が踏むまで毎日あんなメール送ってくるかと思うと、それだけで疲れちゃうよ」


「もう踏んじゃえばいいじゃない。それで丸く収まるんじゃないの?」


「いや、収まらないから……。それに、なんか……踏むことで人として大事ななにか失ってしまう気がするの……」



 私は深刻に打ち明けた。



「そんなの元々持ってないじゃーん」



 美里は、あははーと軽く笑い飛ばす。



「……」



 その素敵な笑顔に、今度は私がアッパーをお見舞いしてやろうかしら?



「そういえば、今日は主任と話したの?」


 
 オフィスへのドアに手をかけて、美里が振り返る。



「いや……どんな顔すればいいか分からなくて……昨日の一件まではカッコいい主任だったのに、最後に見たのは這いつくばったヒキガエルだったから……なんか顔合わせづらくって」





「這いつくばったヒキガエル?」




「!!!!!」



 突如、頭の上から降りかかった声に、私は思わず飛び上がった。美里が私の後ろを見て、「あ…」と小さくこぼす。



「トラックに轢かれたヒキガエルでも見たのか?」



 ギギギ・・・と音がしそうなぎこちない動きで顔を後ろへ向ける。



 果たしてそこには――――…潰れたヒキガエル。


 ではなく。
 ビシッとスーツを着こなす、いつものカッコいい主任の姿があり、本人曰く〝崩壊寸前の汚らわしい顔面″は、私を見下ろしていた。



「主任……」



 脇に抱えていた紙の束が、急に鼻先へ突きつけられる。



「午後からは新しい企画に取り掛かるぞ。さっさと入れ」



 そのまま横を通り過ぎて中へ入っていく。パタン…。と、扉が閉まる。私たちはポカンとして顔を見合せたが、すぐに主任に続いた。









 ずらりと事務机が並んだオフィス。ガラス張りの壁には、主任の一際大きなデスクがある。高性能なデスクトップのパソコンも置いてある。


 主任のデスクはいつでも整頓されている。


 誰よりも多く仕事をこなしているにも関わらず、書類で山積みになり、乱雑な状態になるなんてありえないのだ。


 そして、誰よりも多く仕事をこなしているにも関わらず、あんなにも長いメールを送りつけてくるなんてありえないのだ。


 あの土下座のせいか?
 あの土下座のせいで壊れてしまったのか?


 土下座をするまでは、カッコいい主任だった。皆に信頼され、上層部の人間にも一目置かれた存在だった。ううん、それは今も変わってはいないのだけど……今までの主任はあんな変態メールを送りつけてこなかった。


 あの土下座がなにかのスイッチだったのだろうか?



 私は主任を見つめながら考えを巡らせていた。主任は今、オフィス中の人間の目を集め、新しい企画について説明をしている。


 広いオフィスの端まで充分に聞き渡る朗々たる声音で、私にはなんのこっちゃさっぱり分からない難しい説明を、ポケットに片手を突っ込んだままやってのけるという優秀さだ。


 ホワイトボードまで行き、てきぱきと分かりやすい図を書いていく。皆がホワイトボードに書かれたものを必死にメモし始める。


 的確な指導で、仕事の緊張感を皆に与える上司。私は疑念の目を向けるばかりだ。



 本当か?


 本当にこいつか?


 私の目の前で土下座して『踏んで下さい!』と叫んだのは、本当にこの主任か?



「主任ってさ、二重人格とかじゃないよね?」



隣のデスクから、美里は身を屈めてこっそり言う。



「私もちょっと疑わしいと思う……」



 緊迫感すらあるオフィスの中で、ふいに、間抜けなチャルメラの音が響いた。私のデスクの上で、チャルメラと同時にバイブが振動する。皆の目が主任から移動し、一気にこちらへ集まる。



「わっ!すみません!」



 私は慌ててスマホをつかんだ。主任も私をねめつける。



「清水、マナーモードが基本だろう。俺が話す時は電源も切っとけ」


「はい!気をつけます!」



 背筋を伸ばして返事をし、急いでマナーモードに設定する。


 あー恥ずかしい!もぉ~~~、誰よこんな時にメールなんて寄越すのは~!


 半ば八つ当たりでメール画面を開く。



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