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少年と少女
しおりを挟む少年は、幼い頃両親を交通事故で亡くしました。
まだ小学校低学年という幼さにも関わらず、声を上げずに涙を流して両親の遺骨を眺める彼の姿に、不憫に思った少年の親戚は彼を引き取り育てる事にしました。
彼らには少年と同じ年頃の息子が居ましたが、実の息子と同じように愛し慈しみました。
少年は年の割に小さく、いつも同じ服を着ていたため、転入先の学校でイジメられていました。
『女みたいにいつもメソメソしやがって!』
『気持ち悪いんだよッ!!』
『服も買えねービンボー人!』
彼より一つ上の義理の兄は、何度も彼をイジメから助け出してはいじめっ子を怒りましたが、イジメはなくなりませんでした。
少年が引き取られた家は決して貧乏ではなく、裕福な家庭です。
引き取った義理の両親も、そして兄も、彼に何度も服を着替えるよう言いましたが、彼は決してその服以外に袖を通しません。
ドロを投げつけられ汚れたら、手で洗って。
服を引っ張られて千切れたら、縫い合わせて。
イタズラで焦がされて穴が空いたら、似た色の生地を貼り合わせて。
そうしてある日、事件が起きます。
体育の時間が終わり、体操着から着替えようとしたら少年の服がありません。
いじめっ子達はニヤニヤと笑って慌てる彼を眺めています。
『ぼ、ぼくの服を返して』
『知らねーよ』
『大事なものなの、お願い、返して!』
『知らねーって言ってるだろ! 触るなッゴミ!』
泣きながら縋り付く少年を、いじめっ子達は突き飛ばします。
身体の小さい少年は、近くにあった机もろとも後ろに転がりました。
床に倒れる少年を、周りのクラスメイトは心配そうに見てますが、皆いじめっ子が怖くて声は掛けません。
教科書や、筆箱から鉛筆が散らばり、惨めな姿の少年をいじめっ子達は笑います。
『ビンボー人は地べたがお似合いだなッ!』
『服がないなら裸でいれば? チンコだけ葉っぱでも隠してさ~ぎゃはははは!』
『こらっ!お前達何やってる!!』
クラスの一人が、先生を連れてきました。
いじめっ子達は急に静かになると『アイツが勝手に転んだんだよ』と口を揃えて言います。
先生は少年を抱き起こします。
少年はおでこにたんこぶが出来て、唇の端に血が滲んでいました。
保健室に連れて行こうとすると、少年はスッと立ち上がりいじめっ子達に向き合います。
『僕の服、返して』
『・・・だから知らねーって』
『・・・うそつき』
『! ぎゃああ!!!』
少年は、手に持った鉛筆を彼の肌に突き立てました。
急な出来事に、先生も含めみんなが驚いて動けません。
『僕の服、返して』
少年は淡々と、言葉を繰り返しながら痛がる彼に鉛筆を刺し続けます。
鉛筆の芯が折れても気にしません。
ようやく先生が止めに入った時、刺された彼の皮膚は血と鉛筆の色で赤黒く変色していました。
少年の服は、校舎裏の焼却炉の中にありました。
ゴミと煤に汚れた服を、彼は大事そうに抱きしめ涙を流しました。
それ以来、いじめっ子達は彼にちょっかいを出さなくなりました。
クラスの誰も、少年に話しかけなくなりました。
***
少女には、気になる少年がいました。
転校生の彼は、少女と同じ登校班で、帰り道一人で泣いているのをよく見かけていました。
彼は学年で一番怖いいじめっ子達に、毎日ひどいイジメにあっています。
可哀想だとは思いつつも、少女は自分もイジメられるのが怖くて声を掛けられませんでした。
ある日、少女が友だちと遊ぶため公園に行くと、木の影で泣いている少年を見付けました。
少女は少し考えて、少年に声を掛けます。
『どうしたの?』
少年は驚いたように振り向きます。ボサボサに伸びた前髪で、少年の顔はよく見えません。
『・・・』
何も言わない少年に、少女はポケットから飴玉を取り出すと彼に渡しました。
『これ、あげる』
それだけ言って、少女は友だちの所に行きました。
またある日。少女は帰り道で少年を見付けました。
公衆トイレの影に、隠れるようにうずくまっています。
『どうしたの?』
少年はやはり驚いたように振り向きます。
また泣いてたのか、頬に涙の跡が見えました。
少年はやっぱり何も答えません。
少女は少し悩んで、ポケットからうさちゃんの刺繍の入ったハンカチを取り出します。
お気に入りのハンカチですが、少女も少年が貧乏なんだろうと思っていたので、あげる事にしました。
『これ、あげる』
そうして立ち去ろうとした時『ありがとう・・・』と小さな声が聞こえた気がしました。
少女は振り返ってみましたが、少年は俯いたままだったので気のせいかな、と思う事にしました。
そうしてある日、事件が起きます。
体育の時間、少年の服をいじめっ子達が隠したようでした。
返してと言う少年を、いじめっ子達が突き飛ばします。
大きな音を立てて少年は床に転がり、なかなか起き上がろうとしません。
少女は心配になり、担任の先生を呼びに行く事にしました。
先生と一緒に教室に戻ると、少年はまだ倒れたままです。
『こらっ!お前達何やってる!!』
先生が彼を抱き起こすと、彼は顔に怪我をしているようでした。
思わず近づこうとした時、垣間見えた彼の表情が恐ろしくて、少女は動けなくなりました。
少年はいじめっ子に近づくと、自然な動きで鉛筆を振り下ろします。
何度も、何度も、少年は鉛筆を彼に突き立てました。
少女からは少年の後ろ姿しか見えません。
少年があまりにも普通に立っているので、いじめっ子の悲鳴が聞こえなければ何をやっているのか分からないぐらいです。
先生が少年と刺されたいじめっ子を連れて教室を出て行きます。
クラスの皆は何が起きたのか訳が分からず、呆然と立ってました。
他のいじめっ子達は、泣きべそかいてお漏らしをしています。
放課後、教室に戻って来ない少年が心配で、少女は保健室に行きました。
少年は体操服のまま、保険の先生の手当を受けていました。
おでこに包帯が巻かれ、唇にも絆創膏が貼ってあります。
少年が少女に気付くと、先生もこちらを見てにっこりと笑います。
『あら、浅田さん。江原くんの様子を見に来たの?』
少女は入り口に立ったまま、ほんの微かに頷きました。
保険の先生は優しく微笑んで言います。
『ありがとう。丁度手当も終わった所なの。江原くんのご両親を呼んでくるから、浅田さん、少しだけ一緒に待っててくれる?』
先生にお願いされたら断れません。
少女はもう一度頷くと、保健室の中に入って近くの椅子に座ります。
少年を見てみれば、いつも彼が着ている服を大事そうに抱えています。
『服、見つかって良かったね』
『・・・うん』
初めて少年が返事をしました。
少女は嬉しくなり、そうっと伺うように少年の顔を見てみます。
先ほど教室で一瞬見えた彼とは、別人のような普通の表情です。
包帯で邪魔な前髪を上げた彼の顔は、普段のみすぼらしい姿からは想像も出来ないくらい整った顔をしています。
そのあまりの美少年ぶりに、少女はあんぐりと口を開けてしまいました。
『浅田さん、お待たせ』
保険の先生が、担任の先生とご両親を連れて戻って来ます。
貧乏なお家と勝手に思っていた少女は、現れた美男美女の上品な夫婦にさらに口を大きく開けます。
担任の先生は少女の肩に手を置き、説明します。
『江原さん。彼女が浅田ひなたさんです。陽斗くんが倒れている時、真っ先に私を呼びに来てくれました』
『まぁ・・・!ひなたちゃん。陽斗くんを助けてくれて、ありがとうございます』
綺麗なお母さんが、目に涙を溜めながら少女に頭を下げます。
少女もつられて頭を下げます。
『良かったら、今度家に遊びにいらしてね』
そう言って、少年は両親に連れられ帰って行きました。
その事件があってから、いじめっ子達は怖くなったのか少年にちょっかいを出さなくなりました。
少年は変わらず同じ服を着て、ボサボサの髪の毛で学校に来ています。
クラスの子供たちも、少年が怖いのか誰も声を掛けません。
遠足などのグループ分けになると必ず、先生が少年と少女を一緒の班にします。
二人は特に会話もしないので、皆も不思議に思いましたがあまり気にしませんでした。
少女も保健室で話してから、一度も少年に声を掛けていませんし、掛けられてもいません。
そうして季節が冬になる頃、少女は帰り道で少年を見かけます。
最近は泣いている姿も見なくなりました。
一人でポツンと歩いている彼に、少女は声を掛けます。
『寒くないの?』
皆上着を着る中、少年はいつもの服一枚きりです。
『・・・寒くない』
少年はそう答えますが、手のひらをギュッと握って寒さに耐えているように見えました。
少女は自分の手にはぁっと息を吐き出し両手を擦り合わせ、温めた手のひらを少年の手に合わせました。
『ね? こうすると少しはあったかいよ』
何も反応を示さない少年にも慣れていた少女は、『じゃあね』と言って少年から去りました。
少女の後ろ姿を、少年がずっと道で見ていたとも気付かずに・・・
***
少年には、気になる少女が居ました。
誰もが遠巻きに自分を見る中、彼女だけが少年に声を掛けてくれました。
少女以外にも少年に声をかける者はいましたが、興味本位や哀れみのこもった視線で話しかけられ、少年はウンザリしていました。
少女が最初に声を掛けて来た時も、少年はまたかと思って無視しました。
『どうしたの?』
少女はそう言って、飴玉をくれました。
自分のものを少年に分け与えてくれた人は、少女が初めてでした。
少女は他にも、自分の大切なハンカチや、優しい言葉、温かい心を少年に分け与えてくれました。
愛する両親の事故死で固く閉ざされていた少年の心を、少女はちょっとずつ、ちょっとずつ、解かしてくれました。
『服、また穴空いちゃったね』
ある日、転んで服に穴を開けた少年に、少女が声を掛けました。
大人は皆、彼に服を着替えるように言います。
少年は服を着替えたくない理由を決して言いません。
大人達は理由を考えようとしません。
少女にまで『服を着替えろ』と言われるのでは、と少年は開きかけていた心を閉ざしそうになります。
『はい。これあげる。アップリケ。今度穴が空いたらあげようと思ってたんだ』
少女はランドセルから、星形のアップリケを取り出しました。
『青と黄色と緑があるけど、どれがいい?』
固まる少年に、少女はいつものように少年の手のひらにアップリケを載せます。
『じゃあ全部あげる。 じゃあね』
そう言って振り返らずに前を行く少女も、いつも通りです。
少年は手のひらに載るアップリケを眺め、流れる涙をそのままに立ち尽くしました。
少年は自分の心が雪解けを迎えたように、ときほぐれていくのが分かりました。
***
そうして少年は翌日、新しい服を着て登校しました。
それだけでも驚きなのに、ボサボサだった髪の毛も綺麗に整え、別人のような少年の姿に学校中が『王子様』と言って騒ぎました。
以前保健室で顔を見ていた少女も、すっかり変わった少年の姿に再び口をあんぐりと開けています。
『ひなたちゃん、おはよう』
少年が初めて口にした挨拶は、少女に向けられた言葉でした。
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