聖邪の交進

悠理

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モモたちが立ち去ってから、サラはしばらくムートの研究に付き合う事にした。
もう一度魔除けや悪魔について調べると言うと、彼は本棚から何冊も本を取り出し、それに目を通し始める。サラもそれに倣った。
何かそれらしい記述を見つける度、サラはムートを呼んでそれを伝えた。ムートも話を聞き、互いに意見を出し合う。そんな風に時間を過ごしていたが、やがてムートが大きく息を吐いた。

「やっぱり聖水にせよ、浄化にせよ、実際に確認しないと厳しいか……」

本から得られる知識にも限度があると、ムートは暗礁に乗りかかった現状を憂い始めた。そんな彼に対し、サラは一つの提案を出した。

「だったらさ、ウチがあいつらの浄化ってのを受けてみるよ」

サラには悪魔病の兆候がある。故に浄化を行いたい。先程モモが言っていた言葉だ。それを真に受けるならば、浄化がいかなるものか知るには丁度よかった。
サラの提案に対して、初めムートは難色を示した。そもそも兆候というだけで、ムートの目に見える範囲では、サラに悪魔病の証明たる邪痕は浮かび上がっていない。彼女自身も、今朝、鏡を見て、全身にそれが無いことを確認していた。

「でも、他でもない、あいつらが言ったんだよ。実際ウチが悪魔病じゃなくても、浄化自体は行うと思うんだ。だったらその時に原理を聞いて、先生に教えるよ」

意気揚々と語るサラに、ムートはかなり頭を悩ませたが、彼女のどうにか役に立ちたいという熱意に押され、渋々了承した。
出来るだけ早めにやってみると言い残し、サラはそのまま彼の家を後にした。
ムートの家を後にして、サラは再びフードを被る。薄暗い裏路地から表に戻ってくると、再びまぶしい日差しに晒された。
彼にはああ言ったものの、そういえば彼女らが今、どこにいるのかわからなかった。とりあえず初めて見かけた時の宿に行ってみようと、サラはそこへ向けて足を延ばした。
顔を俯かせたまま通りを歩いていると、サラに気づいた数人が、彼女を避けるように道を空けた。サラは意にも返さず、そのまま歩き続けた。
こういった扱いには慣れている。腹が立つが、直接嫌がらせをしないだけマシだと、割り切ることにしていた。
宿屋に辿り着くと、まずは周辺をぐるりと回る。おそらく中にいるならば、ウルゴが持っていた棺桶が近くにあるはずだと踏んでいた。彼がムートの家に現れた時、棺桶を持っていなかったことから、室内に入る時はあれを外のどこかに置いていると思ったからだ。

ある程度見て回ったが、棺桶は見つからなかった。ここにいないのか、それともサラの予想に反して、棺桶は中に持って行っているのか。考えても答えは出ないので、しばらくこの辺りで待とうかと思った。
その時不意に、くぅとお腹が鳴った。そういえば、しばらく腹に何も入れていなかった。何か食べようと、近くに店がないか見渡そうとして、やっぱり止めた。この辺りに店があったとしても、サラを入れてくれるとは思えない。そうなると、仮にこの宿にあの二人がいても、門前払いを食らうだろう。
サラはため息をつくと、この場を離れることにした。気が進まないが、一度家に戻り、何か食べてからまた考える事にした。
人目の多い大通りを避けて、裏通りを選ぶ。夕日が世界を照らす頃に、サラが寝食を過ごす家が見えてきた。

「ん? あれ……」

今朝と比べて小ぎれいになってる壁と、そこに面するように置かれているのは棺桶だった。サラは駆け足になり、勢いよく扉を開いた。

「あ。おかえりなさい。お邪魔しています」

箒を手に、床の掃除をしていたモモが、サラに微笑みかけてくる。その向こうには、雑巾を絞っているウルゴの姿もあった。

「あんたら。なんでここに……」

探していた人物を目の当たりにしながら、当然の疑問が口から洩れた。モモは掃除の手を止めて、彼女の疑問に答えた。

「こちらの教会で、あなた方の事情をお聞きしました。つきましては、お母さまにも悪魔病の可能性がありましたので、その確認に参りました」

「ママが……」

サラはモモを追い越して、まずは広間を見る。誰もいない。続いて奥の寝室を見ると、ベッドの上で眠る母の姿を見た。
彼女の後を追ってきたモモに、サラは振り返った。

「ママに何をした」

「……お母さまにも悪魔病の兆候がありましたので、浄化をさせていただきました」

「浄化……」

サラが寝室の中に入り、眠る母親の顔を覗き込む。今朝見た時よりも顔色が良くなっており、穏やかな寝息を立てていた。
その顔に、そっと手を触れてみる。人肌の温もりを感じながら、サラの肩はわずかに震えていた。

「信仰心なんて、関係ないじゃん……」

母がどれだけ主を信仰していたか。それは一緒に住むサラが良く知っていた。父が追放されてからは、家事も手に付かない程祈りを捧げていた。町人からの嫌がらせも、主が下した罰だと受け入れ、文句ひとつ言わなかった。
悪魔になる人間は、主への信仰心が足りていないからというのは、一般によく広がっている誤解だった。だが教団は、その誤解を積極的に解くことはしなかった。むしろそれを利用し、より信仰を集めようとさえしていた。

「……その通りです」

モモはそれを良しとはしなかった。噂を利用し、偽りの信仰を集めようなど以ての外だと思っていた。だがこの場では、ただサラの逆鱗に触れるだけだった。

「あんたが言うか! 主の復活だかなんだか知らないけど、無理やり人に信仰を強制して! 従わない人間を追い出すあんた達が!」

サラの叫びに、モモは顔を背けた。反論しない様子が癪に障り、サラは彼女に詰め寄ってその胸倉を掴んだ。

「意味がないなら信仰なんて押し付けんな! 出来もしない事を言うんじゃねえ!」

掴んだ胸倉に力を込めて、モモを思い切り押し飛ばす。彼女は抵抗することなく、向こうの広間に倒れこんだ。

「おう。過激だなぁ」

のっそりと広間に顔を出したウルゴが、呑気な感想をこぼした。

「モモ。お前、言われっぱなしでいいのかよ。反論くらい、いくらでもできんだろ?」

上から覗き込むウルゴに、モモは首を横に振った。彼女はサラの怒りや不満を全て、自分の身で受け止めるつもりだ。それが分かったウルゴは、ため息を吐いた。

「そういう自己犠牲は良くねぇぜ」

ウルゴがモモに代わって、サラの前に立つ。自分より遥かに大きな男が立ちはだかろうと、サラは一切退くことなく、彼の顔を睨みつけた。

「お前も落ち着けよ。こいつは信仰を押し付ける気はねぇし、むしろお前の母ちゃんを助けたんだからよ」

「知るか! お前らなんて、お前らなんて……」

それ以上言葉が出て来ず、サラは暴力に訴える。昼間と同じように、ウルゴの胴を殴りつける。相変わらずびくともせず、サラは自分の拳を痛めるだけだった。それでも殴ることを止めない彼女に、ウルゴはどうしたものかと考え出した時だった。
後方でガラスが割れるような音がした。この家のガラスはほとんど割れており、外からの目を隠すために布を掛けている。つまり、そんな音が鳴るのは、外部から投げ込まれたものくらいだ。振り返ると、下に割れたガラス瓶だったものが転がっている。そしてそこから少しずつ広がるのは、熱気を帯びた炎。それは徐々に床に燃え広がっていた。

「ウルゴさん!」

モモが叫び、ウルゴの方へと向かう。彼もまた、今もなお拳を振り続けるサラを強引に抱きかかえ、奥へと向かった。

「な、なにすんだっ!」

「緊急事態だ。外へ逃げるぞ」

セティアが眠る寝室の奥に入り込むと、ウルゴがモモにサラを渡した。その時、サラは背後に燃え広がる炎に気が付いた。

「なにあれ……」

「誰かが外から火炎瓶を投げたようです」

モモが答えると、さらにもう一つ投げ込まれる。火の勢いが強まり、最早退くことは叶わなかった。
サラを支えるモモの手は震えていた。サラは彼女が、火を前に恐怖しているかと思った。
情けない。今まさに、自分が暮らしている家が燃やされている自分は、一切震えていないというのに。そう思いながらモモの顔に視線を向けると、その表情に驚愕した。
彼女の顔に恐怖の色は無かった。代わりに、憐れむような表情がそこにあった。それはこの残酷な仕打ちに対して、心底憂いているようだった。

(なんであんたがそんな顔を……)

サラが戸惑う傍ら、ウルゴは大きく息を吸い込んだ。集中力を高め、構えを取り、腕に力を込める。

「おらぁ!」

腕を一気に突き出し、壁に打ち込む。それだけで、外を隔てていたそれは粉々に砕けた。

「……は?」

大きな音で、それに気が付いたサラが、目をパチパチとさせた。見るからに力がありそうな大男だが、まさか壁まで壊すとは全く予想もできなかった。

「おい。こっから逃げるぞ」

ウルゴはベッドで眠るセティアを抱え、そのまま外へ出ていった。

「私たちも行きましょう」

モモの表情が、真剣なものに戻っていた。サラに声を掛けて、彼の後を追いかける。状況の理解が追い付かず、サラは連れていかれるがままになった。
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