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教団による庇護を受けている町や村の周囲には柵や壁が設けられており、その外側に聖水を撒いて、悪魔を遠ざけていた。
そんな町はずれの、壁と隣接する場所に、サラと彼女の母親が暮らしている家があった。
近隣にもちらほら家はあるが、ここだけは取り分け雰囲気が違っていた。窓ガラスが割れ、壁に泥汚れがこびりついている。汚れに混じって、「出てけ」「悪魔」「背信者」と罵る言葉が書かれていた。
家のすぐ近くまで来ると、少し嫌な臭いがした。遠目には泥汚れだと思っていたが、どうやら動物の糞も混ざっていたようだ。
これがオリバーの言っていた嫌がらせなのだろう。もしかしたら、これはごく一部で、よりひどい仕打ちを受けているのかもしれない。そう思うと、モモの胸がひどく痛んだ。
扉をノックする。返事はない。しばらく待っても、人がやってくる気配はなかった。
「すみません。私、暁の門のモモ・ルカーサと申します。セティア・メイビス様はいらっしゃいますでしょうか?」
所属と名前を名乗ると、打って変わって中から音がしだした。すぐに扉が開かれると、一人の女性が姿を現した。
「は、はい。わ、私がセティアです。そ、その、すぐに出られなくて、も、申し訳ありません」
元来は人目を引くような美人なのだろう。だが髪はひどく痛み、顔はやつれており、その美貌は大きく損なわれていた。
「いえ。突然訪ねてしまい、こちらこそ大変申し訳ございません」
「そ、そんな。私が悪いのです。主に仕えている方の、貴重なお時間を無駄にさせてしまい……」
「そんな事は……」
必要以上に卑下するセティアを、モモはどうにか説得する。そして彼女を見て、一つの確信を得る。
(やはり、彼女にも因果がありますね……)
背後に控えていたウルゴに、モモが目配せをする。それだけで理解したウルゴは黙って頷いた。
「セティア様。ひとまず中で話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「は、はい。その、すみません。まだ、掃除もろくに出来ていない部屋になるのですが……」
「大丈夫です。ですが何か気になるものがありましたら、片づけていただいてからで構いません。私は外で待っているので」
「そ、そんなやましい物などありませんっ。ただ高尚な修道女様を招き入れるなど恐れ多くて……」
「セティア様」
モモはあくまで落ち着いた口調で、恐怖心を抱かせないようにゆっくりと続けた。
「私は確かに暁の門の修道女になりますが、セティア様と何も変わらない、ただの人です。それほど畏まらなくて大丈夫です」
「で、ですが……」
「なんなら場所を変えてもよろしいですが。教会にならば個室もありますでしょうし、きっとオリバー司祭もお許しいただけるかと思います」
「い、いえ。ここまでいらしていただいたのに、またご足労を掛ける訳には……」
そこで言葉を止めると、セティアは観念したように「わかりました」と言い、モモを家の中へと招き入れた。
「ありがとうございます」
モモは頭を下げて、家の中へと上がり込む。
「なあ。あんた」
続いてウルゴが、セティアに声を掛けた。
「俺は外にいるからよ、バケツとブラシとかがあるなら貸してくれねぇか? ちょっくら掃除でもするからよ」
「い、いえ。教団の方にそこまでしていただくわけには……」
「俺は修道士でも教徒でもねえ。その女の護衛よ。ま、なんでも屋に掃除を頼んだとでも考えてくれや」
「わ、私がそんな楽をするなんて……」
「セティア様。それではこう考えましょう。彼は掃除が好きで好きでたまらないのです。そんな彼の願いを叶える為、セティア様は本来自分の役割を、彼に譲ってあげた。これもまた主の仰る施しの一つなのです」
強引な理論だが、主の名前を出されたセティアは納得したのか、近くにあったブラシとバケツを渡した。
「そんじゃ、水汲んでくるわ」
町の下には水路が引かれており、各所で共用の水道がある。町はずれでも例外はなく、二人もここに来る道中で見かけていた。
ウルゴがバケツを持ってこの場を離れると、モモはセティアの案内で広間へ案内された。テーブルを囲むように椅子が四つあり、セティアがそのうちの一つを引き、モモに座るように促した。
「すみません。すぐにお茶をご用意いたします」
「いえ。おかまいなく。どうぞ座ってください」
モモが向かいの席を指すと、セティアは少し悩みながらも、彼女の言う通り席に着いた。
「あの、今日尋ねられたのは、やはり主人の件でしょうか?」
モモより先に、セティアの方から切り出してきた。かなり傷心している彼女の様子から、どう切り出そうか考えていたモモは面を食らい、返事に戸惑ってしまう。
「やはりそうなのですね……」
沈黙を肯定と受け取った彼女は、テーブルに額を付けるように頭を下げた。
「申し訳ございません。ご存じかと思いますが、主人はここの生まれではございません。その為、主への信仰を疎かにしていたのはまごう事のない事実です。悪魔病に罹ってしまったのも、そのせいと言われても仕方ありません。ですが、主人はもうここにおりません。代わりに私がいかなる罰も受けます」
「そんな、セティア様。あなたも、あなたの旦那様も、何も悪くありません」
「いえ。許しを請うつもりはありません。これから主を第一に考え、いかなる心を代わりも致しません。私の一生を全て、主に捧げる所存です」
重症だ。自分は罰せられる存在だと思い込んでおり、彼女は住民からの嫌がらせすらも、自分が受けて当然だと考えている。
それは間違いだ。彼女の行いを、主は決して望まないとはっきりと言わなければならないと、モモは一呼吸入れた。
「セティア様。顔を上げてください」
モモの言葉に従うように、セティアがゆっくりと顔を上げた。
「よいですか。主は万人の幸福を願っております。その中にはあなたも当然含まれているのです。そして主は、個人が身を擦り減らす事を望んでおりません。あなたがそのようにご自身を犠牲にしては、主も御心を痛めることでしょう」
「で、ですが私の主人は……」
「ご主人は確かに悪魔病に罹ってしまいました。ですがそれは、悪魔によって起こされた不幸なのです。決して主に見放されたわけではありません」
モモが手を伸ばして、セティアの両手を包んだ。
「主が誰かを罰する事はありません。間違いを犯した者に対し、立ち直るきっかけを与えてくれるのです。それを伝える為に、私たちがいるのです」
モモは片手を離し、首元に持っていく。そこにぶら下げられたアミュレットを外すと、彼女の手に巻き付けた。
「こちらは主の加護を受けたアミュレットです。ここに宿る主の意志を感じてください。そして理解してください。あなたは決して罪人ではありません」
触れた金属の触感を受けて、セティアは目を閉じる。手に巻かれたそれを強く感じているようだった。
(騙してしまうようなやり方になってしまいましたが、今回は仕方ないですね)
心の中で言い訳をして、モモも彼女と同じように目を閉じる。悪魔の因果が宿った彼女への「浄化」が始まった。
そんな町はずれの、壁と隣接する場所に、サラと彼女の母親が暮らしている家があった。
近隣にもちらほら家はあるが、ここだけは取り分け雰囲気が違っていた。窓ガラスが割れ、壁に泥汚れがこびりついている。汚れに混じって、「出てけ」「悪魔」「背信者」と罵る言葉が書かれていた。
家のすぐ近くまで来ると、少し嫌な臭いがした。遠目には泥汚れだと思っていたが、どうやら動物の糞も混ざっていたようだ。
これがオリバーの言っていた嫌がらせなのだろう。もしかしたら、これはごく一部で、よりひどい仕打ちを受けているのかもしれない。そう思うと、モモの胸がひどく痛んだ。
扉をノックする。返事はない。しばらく待っても、人がやってくる気配はなかった。
「すみません。私、暁の門のモモ・ルカーサと申します。セティア・メイビス様はいらっしゃいますでしょうか?」
所属と名前を名乗ると、打って変わって中から音がしだした。すぐに扉が開かれると、一人の女性が姿を現した。
「は、はい。わ、私がセティアです。そ、その、すぐに出られなくて、も、申し訳ありません」
元来は人目を引くような美人なのだろう。だが髪はひどく痛み、顔はやつれており、その美貌は大きく損なわれていた。
「いえ。突然訪ねてしまい、こちらこそ大変申し訳ございません」
「そ、そんな。私が悪いのです。主に仕えている方の、貴重なお時間を無駄にさせてしまい……」
「そんな事は……」
必要以上に卑下するセティアを、モモはどうにか説得する。そして彼女を見て、一つの確信を得る。
(やはり、彼女にも因果がありますね……)
背後に控えていたウルゴに、モモが目配せをする。それだけで理解したウルゴは黙って頷いた。
「セティア様。ひとまず中で話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「は、はい。その、すみません。まだ、掃除もろくに出来ていない部屋になるのですが……」
「大丈夫です。ですが何か気になるものがありましたら、片づけていただいてからで構いません。私は外で待っているので」
「そ、そんなやましい物などありませんっ。ただ高尚な修道女様を招き入れるなど恐れ多くて……」
「セティア様」
モモはあくまで落ち着いた口調で、恐怖心を抱かせないようにゆっくりと続けた。
「私は確かに暁の門の修道女になりますが、セティア様と何も変わらない、ただの人です。それほど畏まらなくて大丈夫です」
「で、ですが……」
「なんなら場所を変えてもよろしいですが。教会にならば個室もありますでしょうし、きっとオリバー司祭もお許しいただけるかと思います」
「い、いえ。ここまでいらしていただいたのに、またご足労を掛ける訳には……」
そこで言葉を止めると、セティアは観念したように「わかりました」と言い、モモを家の中へと招き入れた。
「ありがとうございます」
モモは頭を下げて、家の中へと上がり込む。
「なあ。あんた」
続いてウルゴが、セティアに声を掛けた。
「俺は外にいるからよ、バケツとブラシとかがあるなら貸してくれねぇか? ちょっくら掃除でもするからよ」
「い、いえ。教団の方にそこまでしていただくわけには……」
「俺は修道士でも教徒でもねえ。その女の護衛よ。ま、なんでも屋に掃除を頼んだとでも考えてくれや」
「わ、私がそんな楽をするなんて……」
「セティア様。それではこう考えましょう。彼は掃除が好きで好きでたまらないのです。そんな彼の願いを叶える為、セティア様は本来自分の役割を、彼に譲ってあげた。これもまた主の仰る施しの一つなのです」
強引な理論だが、主の名前を出されたセティアは納得したのか、近くにあったブラシとバケツを渡した。
「そんじゃ、水汲んでくるわ」
町の下には水路が引かれており、各所で共用の水道がある。町はずれでも例外はなく、二人もここに来る道中で見かけていた。
ウルゴがバケツを持ってこの場を離れると、モモはセティアの案内で広間へ案内された。テーブルを囲むように椅子が四つあり、セティアがそのうちの一つを引き、モモに座るように促した。
「すみません。すぐにお茶をご用意いたします」
「いえ。おかまいなく。どうぞ座ってください」
モモが向かいの席を指すと、セティアは少し悩みながらも、彼女の言う通り席に着いた。
「あの、今日尋ねられたのは、やはり主人の件でしょうか?」
モモより先に、セティアの方から切り出してきた。かなり傷心している彼女の様子から、どう切り出そうか考えていたモモは面を食らい、返事に戸惑ってしまう。
「やはりそうなのですね……」
沈黙を肯定と受け取った彼女は、テーブルに額を付けるように頭を下げた。
「申し訳ございません。ご存じかと思いますが、主人はここの生まれではございません。その為、主への信仰を疎かにしていたのはまごう事のない事実です。悪魔病に罹ってしまったのも、そのせいと言われても仕方ありません。ですが、主人はもうここにおりません。代わりに私がいかなる罰も受けます」
「そんな、セティア様。あなたも、あなたの旦那様も、何も悪くありません」
「いえ。許しを請うつもりはありません。これから主を第一に考え、いかなる心を代わりも致しません。私の一生を全て、主に捧げる所存です」
重症だ。自分は罰せられる存在だと思い込んでおり、彼女は住民からの嫌がらせすらも、自分が受けて当然だと考えている。
それは間違いだ。彼女の行いを、主は決して望まないとはっきりと言わなければならないと、モモは一呼吸入れた。
「セティア様。顔を上げてください」
モモの言葉に従うように、セティアがゆっくりと顔を上げた。
「よいですか。主は万人の幸福を願っております。その中にはあなたも当然含まれているのです。そして主は、個人が身を擦り減らす事を望んでおりません。あなたがそのようにご自身を犠牲にしては、主も御心を痛めることでしょう」
「で、ですが私の主人は……」
「ご主人は確かに悪魔病に罹ってしまいました。ですがそれは、悪魔によって起こされた不幸なのです。決して主に見放されたわけではありません」
モモが手を伸ばして、セティアの両手を包んだ。
「主が誰かを罰する事はありません。間違いを犯した者に対し、立ち直るきっかけを与えてくれるのです。それを伝える為に、私たちがいるのです」
モモは片手を離し、首元に持っていく。そこにぶら下げられたアミュレットを外すと、彼女の手に巻き付けた。
「こちらは主の加護を受けたアミュレットです。ここに宿る主の意志を感じてください。そして理解してください。あなたは決して罪人ではありません」
触れた金属の触感を受けて、セティアは目を閉じる。手に巻かれたそれを強く感じているようだった。
(騙してしまうようなやり方になってしまいましたが、今回は仕方ないですね)
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