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魔人襲来
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「いや~。何やら強い気配を感じて追いかけてみたら、まさか魔人と戦ってたなんてね~。君たち頑張り屋さんにも程があるよ~」
「好きで戦ってるんじゃない。ていうかあんた、カバジの護衛はどうしたのよ⁉」
「お兄さんだったら大丈夫だよ~。ここらで危険なのはあの魔人みたいだし~、念のためって魔物避けの結界も施してきたからね~」
エリンの言葉に、マイは目を見開く。
魔人を吹き飛ばした膂力と、彼女の持つ刀から、エリンは武芸者の類と考えられる。だが、魔物避けの結界を張るのは、相当の修練を積んだ術士にしか出来ない芸当だ。それはつまり、彼女は武芸にも秀でて、かつ術士としても優秀という事を示していた。
「カバジの目は正しかったってことね……」
エリンの態度から、今一つ納得しきれない面はあるが、目の当たりにした強さを疑う余地はなかった。
「マ、マイ……」
クーがゆっくりと、体を起こそうとする。少しは動けるようになってきたようだ。いつの間にか、右手の紋章から出ていたジェルは消え去っていた。
「クー。無理はしないで。ひとまず、あの変態がどうにかしてくれるみたいだから」
「にゃはは。期待は嬉しいけど、倒したりは厳しいかもにゃ~」
マイの言葉に、エリンが顎に人差し指を当てながら返した。
「あの魔人、けっこ~強いみたい。エリンの一撃も、あんまり効いてないし。第一、全然本気じゃない」
エリンの目の先では、吹き飛ばされた魔人は既に姿勢を整えていた。彼女の言う通り、ダメージはそれほど受けてなさそうだ。
「足止めくらいはなんとかするけど~、エリンじゃそれが限界かな~。おチビちゃんだけで、二人を守りながらお兄さんの所に行くのは難しいんじゃない?」
「おい待て。なぜ私がこいつに守られる前提になっている」
ハンナがエリンを睨みつけながら反論するが、彼女がそれに答える事はなかった。
魔人の正面に魔法陣が展開し、先程よりも遥かに強い炎がエリンに向けて放たれた。中央で渦を巻き、轟音を立てながら迫り来る炎を前に、エリンは手に持った刀の剣先を地面へ下ろし、後ろへと向ける。持ち手を炎の方へ向け、姿勢をわずかに下げた。
「ちょっと本気、出してきたね~。でも、これくらいなら~」
刀を一気に振り上げると、炎はバッサリと両断され、エリンはさらに刀を振り回す。それだけで、渦巻いていた巨大な炎は、初めからなかったかのように消滅した。
「ほ、炎を切った……⁉」目の前の光景に、クーが驚きの声を上げた。
「ふふ~ん。すごいでしょ~? 「幽断ち」って技なんだ~」
クーの方へ振り向き、得意げなエリンに対し、魔人は隙を見せたと言わんばかりに、一気に距離を詰めてきた。杖を持っていない左手にダークを集め、黒い炎を纏って変形したそれは、人とも魔物とも違う、別次元の存在とも称せる特異な腕となり、エリンを襲いかかった。
「ざ~んねん。ちゃんと見えてるよ~」
向けられた炎の腕を、エリンは刀を持っていない方の手で、鞘を使って受け止める。
「でも、不意打ちはちょ~っと男らしくないんじゃにゃ~い?」
エリンは魔人の左手に、刀を振る。緩やかな口調とは裏腹に、本気で腕を切り落とすつもりだった。
だが魔人は身体を引き、その一振りを躱した。エリンが振るった刃は、魔人の左腕に結ばれていた布を切り落とすのみに終わった。
ひらひらと布が舞い、クーの体の方へと落ちていく。体の上で布が広げられ、その全容がクーの目に入った。
黒い布地の上には、赤い太陽が染め描かれていた。
「! こ、これって……」
クーはとっさに、その布を手に取ると、大きく目を見開いた。
遠い過去の記憶は、鍵のかかった宝箱の中で、深い深い海の底へと沈み込み、決して開けられることはなかった。それが今、底から浮かび上がり、鍵が解かれた。
「ス、スーくん……?」
クーが魔人の方へと顔を向け、その姿を改めて見つめた。
昔の面影は、殆ど見受けられない。確かに赤毛ではあったが、今ほど深い色はしておらず、むしろ明るい色合いだった。髪の隙間から覗ける眼つきも、あの頃の朗らかなものとはうって変わり、鋭く険しくなっていた。
それなのに、クーは彼がひとりぼっちだった自分に声を掛けてくれた、あの少年だと確信していた。
「ど、どうして……」
「クー、どうしたの? あの魔人のこと、知ってるの?」
マイが尋ねるが、クーは答えられなかった。彼女自身も、現状を飲み込みきれないでいたからだ。
「あ~お嬢ちゃんの知り合いだったのね~。道理で……」
一人納得したようなエリンに、スーと呼ばれた魔人はさらに攻撃を仕掛けてきた。
「おっと」
振るわれた杖を、エリンは鞘で防ぐ。魔人は乱雑に杖を振るい、時に空いている左手で炎弾を放つ。至近距離ながらも、エリンはそれらをすべて防いだ。
エリンが攻めあぐねる中、不意に魔人の腕の動きが止まった。魔人の足と腕に、緑色の蔓が絡まっていた。マイの「魔法の弾丸」だ。
「隙は作った。早くやっちゃって」
「にゃは。おチビちゃん、ナ~イス」
エリンは足に力を込め、刀を後方に引くと、腰を捻り、思い切り振り抜いた。刃ではなく、峰を魔人へと向けて。
「飛んでけ~!」
絡まった蔓をもちぎり、魔人の体は向こうへと飛んでいく。壁に激突すると、轟音と共に、パラパラと破片が飛び散った。
「なんで刃で切らなかったの?」
「だって~。お嬢ちゃんの友達なんでしょ?」
エリンがくるりと振り返ると、軽い足取りでクーへと近づいていった。腰を落とし、クーの目線にエリンの可愛らしい顔が映りこんだ。
「お嬢ちゃん。今のうちに、少しだけ話を聞かせてくれる?」
「あ、は、はい……」
ちらりと魔人が叩きつけられた壁を気にしながら、クーは端的に彼の話をした。一人ぼっちだった自分に、声をかけてくれたこと。それから毎日のように一緒に遊んだこと。突然訪れた、お別れの日のこと。
「……お別れの日に、このバンダナを渡したんです。その後は、一度も会ってません」
「ふむふむ。なるほど~」
話を聞き終えたエリンが頷くと、近くにいたハンナが苛立ったように「おい」と声を掛けてきた。
「今の話、必要だったか? かつてがどうあれ、魔人となったのなら殺すしかないだろう」
「も~、兵士さんは野蛮だにゃ~」
呆れたようにため息を吐いたエリンは、改めにクーと顔を合わせた。
「それじゃあお嬢ちゃん。もしもあの魔人が正気に戻るなら、戻したいと思う?」
「そんなことできるの⁉」
クーより先に、マイが驚いた反応を見せた時、魔人が壁から離れ、着地した。
「あ~時間切れか~。しょうがないにゃ~」
エリンが腰を上げ、魔人の方へと振り返る直後、真面目な面持ちで、クーにこう言い残した。
「お嬢ちゃん。出来るなら、あの魔人に名前、呼んであげてね」
エリンに向かって、魔人が炎弾を放つ。それらを次々に切り伏せていると、彼女はその中の一部に違和感を覚えた。
「あ。違う」
エリンはとっさに刀を引いて、鞘の方でそれを弾く。重々しい音と共に、地面に叩きつけられたそれは、人の頭程の岩石だった。
「あ~。めんどくさ~い」
どちらか一方であれば、同じ剣技で切れるが、性質が変われば使う剣技も切り替えなければならない。それも連撃の中では、至難の業だ。
エリンに向けられた炎弾の雨に対し、それらを防ぐ天蓋のように、大地が隆起した。マイの魔法だ。
「攻撃はあたしが防ぐ。あんたは魔人を直接叩いて」
「にゃは。おチビちゃんはほ~んと気が利くね~」
マイのサポートを受け、エリンは魔人へと駆け出した。マイはエリンの行く先々に壁を生み出し、彼女はそれに隠れて、魔人の攻撃をやり過ごす。だが魔人もそれに対応するように、攻め方を変える。炎弾を止め、地面に這うように炎を走らせる。
エリンはそれを跳んで避ける。瞬間、そこから火柱が噴き出した。
「おっと~」
咄嗟に足元に刀を振るい、それを切り裂く。だが切れたのは一部で、残りの炎がエリンの体を焼いた。
「きゃっ……」
熱の痛みに、初めてエリンの表情がゆがむ。足が止まり、その場で膝をつく。その隙を突くように、魔人は地面を蹴り、エリンへと接近した。
「スーくん! やめて!」
クーが叫ぶ。魔人は止まらない。エリンに迫り、杖に炎を纏わせると、刃の形を成し、彼女に振るわんとしていた。
「スーくん! スーくん‼」
ありったけの声で、クーは叫び続ける。もう体は動くようになっていた。クーは魔人に向けて駆け出した。
「クー! 危ない!」
マイが声を張り上げるが、クーは止まらず、魔人との距離を近づけていく。
近付くクーへ、魔人が顔を向けた。その瞬間、ピタリと動きを止めた。
「にゃはは……やっぱりお嬢ちゃんが気になってしょうがないだね~」
低い姿勢のまま、エリンが刀の峰を振り抜き、魔人の足を叩く。剛撃を受けた魔人は、彼の目前にいるエリンのように、その場で膝をついた。
「スーくん!」
すぐ目の前で、クーが立つ。魔人は膝をついたまま、彼女を見上げた。
「……」
相も変わらず、黙ったままだ。その姿は、何かを考えているようにも、逆に何も考えていないようにも映った。
「スーくん……」
涙目を浮かべたクーが、魔人の名を呼ぶ。ふと、魔人が苦しむように、頭を抱え、呻きだした。
「スーくん⁉」
心配そうに駆け寄ったクーを、魔人は左手を突き出し、跳ねのけるように押し倒した。「きゃ」と、小さな悲鳴を上げ、クーは後ろに倒れ、尻もちをついた。
「ア、アア、アアアアアアア……」
絞り出すような、うめき声をあげる魔人。その様子はひどく苦しんでいるようで、クーは再度、彼に近づこうとした。
「だめ!」
それを制したのは、いつの間にか近づいていたマイだった。
「マイ⁉ でもスーくんが……」
「今はだめ! あいつにものすごい量のダークが集まってきてる! 何かとんでもない魔法を仕掛けてくる!」
マイは職業柄、ダークに関して敏感な方だ。一方クーは、元々魔法の才が劣っているからか、それに対する感性が鈍かった。
マイの言葉は、信じられる。だがそれでも、クーはその場を動けずにいた。今の魔人の状態は、攻撃の意志など見受けられず、むしろひたすらに苦しんでいるだけのように見えたからだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!」
慟哭のような叫びをあげると、魔人の背中に巨大な炎の翼が伸びる。瞬間、すさまじい突風が起き、クーとマイは後方へと吹き飛ばされた。
「きゃああああ!」
「ちっ」
そんな二人を受け止めたのは、ずっと後ろで見守っていたハンナだった。
「あ、ありがとうございます……」
クーがお礼を言うが、ハンナは仏頂面のまま、何も言わずに二人を地面に下ろした。
「いたた……なんて力よ」
マイがゆっくりと眼を開くと、向こうに魔人の姿はなくなっていた。
「どこいったの……?」
「魔人だったら、どこかに飛んでいっちゃったよ~」
エリンが三人に駆け寄りながら、マイの疑問に答える。あの突風の中、彼女は吹き飛ばされず、その場で魔人の行く末を見届けていた。
「やっぱりお嬢ちゃんの声は届くみたいだね~。これならきっと元の人間に戻せると思うよ~」
「さっきも言ってたけど、魔人から人間に戻すなんて、本当に可能なの?」
「おチビちゃんは疑り深いにゃ~。本当だってば~」
いま一つ気の抜けた話し方に、マイは猜疑心を隠さずにエリンを睨みつける。彼女は気にした様子もなく、にへっとした笑みを浮かべていた。
「……詳しくは後で聞かせてもらうわ。とりあえず、今はクーの治療をしないと」
クーに食べさせた種は、あくまで応急処置だ。マイがまだ把握していない怪我もあるはずだ。マイは研究所の入り口である石板を取り出し、洞窟の岩壁に貼り付けた。
「とりあえず全員、中へどうぞ。クー、歩ける?」
「う、うん。大丈夫」
地面から立ち上がり、クーはマイが開いた入り口から繋がる、研究所の中へと入っていった。相も変わらず不機嫌な顔のハンナが、後に続く。
「おお~。おチビちゃん、すごいものを持ってるね~」
エリンは探るように入口へと顔を近づけ、そのまま中へと入っていった。
最後に残ったマイも中へと入ると、辺りには誰もいなくなり、魔人が開けた穴から静かに明かりが降り注ぐのみとなった。
「好きで戦ってるんじゃない。ていうかあんた、カバジの護衛はどうしたのよ⁉」
「お兄さんだったら大丈夫だよ~。ここらで危険なのはあの魔人みたいだし~、念のためって魔物避けの結界も施してきたからね~」
エリンの言葉に、マイは目を見開く。
魔人を吹き飛ばした膂力と、彼女の持つ刀から、エリンは武芸者の類と考えられる。だが、魔物避けの結界を張るのは、相当の修練を積んだ術士にしか出来ない芸当だ。それはつまり、彼女は武芸にも秀でて、かつ術士としても優秀という事を示していた。
「カバジの目は正しかったってことね……」
エリンの態度から、今一つ納得しきれない面はあるが、目の当たりにした強さを疑う余地はなかった。
「マ、マイ……」
クーがゆっくりと、体を起こそうとする。少しは動けるようになってきたようだ。いつの間にか、右手の紋章から出ていたジェルは消え去っていた。
「クー。無理はしないで。ひとまず、あの変態がどうにかしてくれるみたいだから」
「にゃはは。期待は嬉しいけど、倒したりは厳しいかもにゃ~」
マイの言葉に、エリンが顎に人差し指を当てながら返した。
「あの魔人、けっこ~強いみたい。エリンの一撃も、あんまり効いてないし。第一、全然本気じゃない」
エリンの目の先では、吹き飛ばされた魔人は既に姿勢を整えていた。彼女の言う通り、ダメージはそれほど受けてなさそうだ。
「足止めくらいはなんとかするけど~、エリンじゃそれが限界かな~。おチビちゃんだけで、二人を守りながらお兄さんの所に行くのは難しいんじゃない?」
「おい待て。なぜ私がこいつに守られる前提になっている」
ハンナがエリンを睨みつけながら反論するが、彼女がそれに答える事はなかった。
魔人の正面に魔法陣が展開し、先程よりも遥かに強い炎がエリンに向けて放たれた。中央で渦を巻き、轟音を立てながら迫り来る炎を前に、エリンは手に持った刀の剣先を地面へ下ろし、後ろへと向ける。持ち手を炎の方へ向け、姿勢をわずかに下げた。
「ちょっと本気、出してきたね~。でも、これくらいなら~」
刀を一気に振り上げると、炎はバッサリと両断され、エリンはさらに刀を振り回す。それだけで、渦巻いていた巨大な炎は、初めからなかったかのように消滅した。
「ほ、炎を切った……⁉」目の前の光景に、クーが驚きの声を上げた。
「ふふ~ん。すごいでしょ~? 「幽断ち」って技なんだ~」
クーの方へ振り向き、得意げなエリンに対し、魔人は隙を見せたと言わんばかりに、一気に距離を詰めてきた。杖を持っていない左手にダークを集め、黒い炎を纏って変形したそれは、人とも魔物とも違う、別次元の存在とも称せる特異な腕となり、エリンを襲いかかった。
「ざ~んねん。ちゃんと見えてるよ~」
向けられた炎の腕を、エリンは刀を持っていない方の手で、鞘を使って受け止める。
「でも、不意打ちはちょ~っと男らしくないんじゃにゃ~い?」
エリンは魔人の左手に、刀を振る。緩やかな口調とは裏腹に、本気で腕を切り落とすつもりだった。
だが魔人は身体を引き、その一振りを躱した。エリンが振るった刃は、魔人の左腕に結ばれていた布を切り落とすのみに終わった。
ひらひらと布が舞い、クーの体の方へと落ちていく。体の上で布が広げられ、その全容がクーの目に入った。
黒い布地の上には、赤い太陽が染め描かれていた。
「! こ、これって……」
クーはとっさに、その布を手に取ると、大きく目を見開いた。
遠い過去の記憶は、鍵のかかった宝箱の中で、深い深い海の底へと沈み込み、決して開けられることはなかった。それが今、底から浮かび上がり、鍵が解かれた。
「ス、スーくん……?」
クーが魔人の方へと顔を向け、その姿を改めて見つめた。
昔の面影は、殆ど見受けられない。確かに赤毛ではあったが、今ほど深い色はしておらず、むしろ明るい色合いだった。髪の隙間から覗ける眼つきも、あの頃の朗らかなものとはうって変わり、鋭く険しくなっていた。
それなのに、クーは彼がひとりぼっちだった自分に声を掛けてくれた、あの少年だと確信していた。
「ど、どうして……」
「クー、どうしたの? あの魔人のこと、知ってるの?」
マイが尋ねるが、クーは答えられなかった。彼女自身も、現状を飲み込みきれないでいたからだ。
「あ~お嬢ちゃんの知り合いだったのね~。道理で……」
一人納得したようなエリンに、スーと呼ばれた魔人はさらに攻撃を仕掛けてきた。
「おっと」
振るわれた杖を、エリンは鞘で防ぐ。魔人は乱雑に杖を振るい、時に空いている左手で炎弾を放つ。至近距離ながらも、エリンはそれらをすべて防いだ。
エリンが攻めあぐねる中、不意に魔人の腕の動きが止まった。魔人の足と腕に、緑色の蔓が絡まっていた。マイの「魔法の弾丸」だ。
「隙は作った。早くやっちゃって」
「にゃは。おチビちゃん、ナ~イス」
エリンは足に力を込め、刀を後方に引くと、腰を捻り、思い切り振り抜いた。刃ではなく、峰を魔人へと向けて。
「飛んでけ~!」
絡まった蔓をもちぎり、魔人の体は向こうへと飛んでいく。壁に激突すると、轟音と共に、パラパラと破片が飛び散った。
「なんで刃で切らなかったの?」
「だって~。お嬢ちゃんの友達なんでしょ?」
エリンがくるりと振り返ると、軽い足取りでクーへと近づいていった。腰を落とし、クーの目線にエリンの可愛らしい顔が映りこんだ。
「お嬢ちゃん。今のうちに、少しだけ話を聞かせてくれる?」
「あ、は、はい……」
ちらりと魔人が叩きつけられた壁を気にしながら、クーは端的に彼の話をした。一人ぼっちだった自分に、声をかけてくれたこと。それから毎日のように一緒に遊んだこと。突然訪れた、お別れの日のこと。
「……お別れの日に、このバンダナを渡したんです。その後は、一度も会ってません」
「ふむふむ。なるほど~」
話を聞き終えたエリンが頷くと、近くにいたハンナが苛立ったように「おい」と声を掛けてきた。
「今の話、必要だったか? かつてがどうあれ、魔人となったのなら殺すしかないだろう」
「も~、兵士さんは野蛮だにゃ~」
呆れたようにため息を吐いたエリンは、改めにクーと顔を合わせた。
「それじゃあお嬢ちゃん。もしもあの魔人が正気に戻るなら、戻したいと思う?」
「そんなことできるの⁉」
クーより先に、マイが驚いた反応を見せた時、魔人が壁から離れ、着地した。
「あ~時間切れか~。しょうがないにゃ~」
エリンが腰を上げ、魔人の方へと振り返る直後、真面目な面持ちで、クーにこう言い残した。
「お嬢ちゃん。出来るなら、あの魔人に名前、呼んであげてね」
エリンに向かって、魔人が炎弾を放つ。それらを次々に切り伏せていると、彼女はその中の一部に違和感を覚えた。
「あ。違う」
エリンはとっさに刀を引いて、鞘の方でそれを弾く。重々しい音と共に、地面に叩きつけられたそれは、人の頭程の岩石だった。
「あ~。めんどくさ~い」
どちらか一方であれば、同じ剣技で切れるが、性質が変われば使う剣技も切り替えなければならない。それも連撃の中では、至難の業だ。
エリンに向けられた炎弾の雨に対し、それらを防ぐ天蓋のように、大地が隆起した。マイの魔法だ。
「攻撃はあたしが防ぐ。あんたは魔人を直接叩いて」
「にゃは。おチビちゃんはほ~んと気が利くね~」
マイのサポートを受け、エリンは魔人へと駆け出した。マイはエリンの行く先々に壁を生み出し、彼女はそれに隠れて、魔人の攻撃をやり過ごす。だが魔人もそれに対応するように、攻め方を変える。炎弾を止め、地面に這うように炎を走らせる。
エリンはそれを跳んで避ける。瞬間、そこから火柱が噴き出した。
「おっと~」
咄嗟に足元に刀を振るい、それを切り裂く。だが切れたのは一部で、残りの炎がエリンの体を焼いた。
「きゃっ……」
熱の痛みに、初めてエリンの表情がゆがむ。足が止まり、その場で膝をつく。その隙を突くように、魔人は地面を蹴り、エリンへと接近した。
「スーくん! やめて!」
クーが叫ぶ。魔人は止まらない。エリンに迫り、杖に炎を纏わせると、刃の形を成し、彼女に振るわんとしていた。
「スーくん! スーくん‼」
ありったけの声で、クーは叫び続ける。もう体は動くようになっていた。クーは魔人に向けて駆け出した。
「クー! 危ない!」
マイが声を張り上げるが、クーは止まらず、魔人との距離を近づけていく。
近付くクーへ、魔人が顔を向けた。その瞬間、ピタリと動きを止めた。
「にゃはは……やっぱりお嬢ちゃんが気になってしょうがないだね~」
低い姿勢のまま、エリンが刀の峰を振り抜き、魔人の足を叩く。剛撃を受けた魔人は、彼の目前にいるエリンのように、その場で膝をついた。
「スーくん!」
すぐ目の前で、クーが立つ。魔人は膝をついたまま、彼女を見上げた。
「……」
相も変わらず、黙ったままだ。その姿は、何かを考えているようにも、逆に何も考えていないようにも映った。
「スーくん……」
涙目を浮かべたクーが、魔人の名を呼ぶ。ふと、魔人が苦しむように、頭を抱え、呻きだした。
「スーくん⁉」
心配そうに駆け寄ったクーを、魔人は左手を突き出し、跳ねのけるように押し倒した。「きゃ」と、小さな悲鳴を上げ、クーは後ろに倒れ、尻もちをついた。
「ア、アア、アアアアアアア……」
絞り出すような、うめき声をあげる魔人。その様子はひどく苦しんでいるようで、クーは再度、彼に近づこうとした。
「だめ!」
それを制したのは、いつの間にか近づいていたマイだった。
「マイ⁉ でもスーくんが……」
「今はだめ! あいつにものすごい量のダークが集まってきてる! 何かとんでもない魔法を仕掛けてくる!」
マイは職業柄、ダークに関して敏感な方だ。一方クーは、元々魔法の才が劣っているからか、それに対する感性が鈍かった。
マイの言葉は、信じられる。だがそれでも、クーはその場を動けずにいた。今の魔人の状態は、攻撃の意志など見受けられず、むしろひたすらに苦しんでいるだけのように見えたからだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!」
慟哭のような叫びをあげると、魔人の背中に巨大な炎の翼が伸びる。瞬間、すさまじい突風が起き、クーとマイは後方へと吹き飛ばされた。
「きゃああああ!」
「ちっ」
そんな二人を受け止めたのは、ずっと後ろで見守っていたハンナだった。
「あ、ありがとうございます……」
クーがお礼を言うが、ハンナは仏頂面のまま、何も言わずに二人を地面に下ろした。
「いたた……なんて力よ」
マイがゆっくりと眼を開くと、向こうに魔人の姿はなくなっていた。
「どこいったの……?」
「魔人だったら、どこかに飛んでいっちゃったよ~」
エリンが三人に駆け寄りながら、マイの疑問に答える。あの突風の中、彼女は吹き飛ばされず、その場で魔人の行く末を見届けていた。
「やっぱりお嬢ちゃんの声は届くみたいだね~。これならきっと元の人間に戻せると思うよ~」
「さっきも言ってたけど、魔人から人間に戻すなんて、本当に可能なの?」
「おチビちゃんは疑り深いにゃ~。本当だってば~」
いま一つ気の抜けた話し方に、マイは猜疑心を隠さずにエリンを睨みつける。彼女は気にした様子もなく、にへっとした笑みを浮かべていた。
「……詳しくは後で聞かせてもらうわ。とりあえず、今はクーの治療をしないと」
クーに食べさせた種は、あくまで応急処置だ。マイがまだ把握していない怪我もあるはずだ。マイは研究所の入り口である石板を取り出し、洞窟の岩壁に貼り付けた。
「とりあえず全員、中へどうぞ。クー、歩ける?」
「う、うん。大丈夫」
地面から立ち上がり、クーはマイが開いた入り口から繋がる、研究所の中へと入っていった。相も変わらず不機嫌な顔のハンナが、後に続く。
「おお~。おチビちゃん、すごいものを持ってるね~」
エリンは探るように入口へと顔を近づけ、そのまま中へと入っていった。
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