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私は勇者なんかじゃない

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ルナーベアが身動き一つ取らなくなった。気絶したのか、それとも息を引き取ったか。どちらにしても、危機は去ったと言えよう。

「よし。それじゃあ種人達。こいつを第二樹木まで運びなさい」

種人はすぐに行動した。全員でルナーベアを囲み、体に蔓を伸ばす。全身を蔓が覆うと、息を合わせるように一斉に持ち上げる。そのまま指示通り、第二樹木まで運ぼうとする。

「グルル……」

蔓の中で、ルナーベアが声を上げた。どうやら気絶していただけのようだ。先程まで荒ぶっていたとは思えない程、落ち着いた様子だ。それが異様に思え、マイは種人達を制止させた。

「そのまま。とどめを刺すから」

弱点はもうわかっている。マイはダークを右手に集め、大地の力を宿した剣を作り上げる。魔物も人間と同様、頸動脈を切断すれば死に至る。そこに狙いを定めて、慎重に近づいていく。

命の危機を前に、ルナーベアは抵抗を見せた。威嚇するように、口を大きく開き、鋭い牙をむき出しにする。その迫力にマイは怯み、一歩後ろに退いてしまった。

「グゥゥ……」

さらにルナーベアに変化が起きた。黒い体毛が、徐々に色味を変えていく。擬態の為、体色を変化させる生物はいるが、これはそうではなかった。

自然界ではありそうにない、禍々しい赤色に変化するのを見て、マイの顔に汗が流れる。冷や汗ではない。実際に、周囲の気温が上がっているのだ。

「グアアアアアアアアアアアアッッッ‼」

これまで以上の叫び声が響くと、体を包んでいた蔓が一瞬にして消し炭になる。それは種人本体にも及んだ。しがらみを全て払い除け、自由になったルナーベアが、再び地面に四足を置く。

「うそでしょ……」

こればかりはマイも驚きを隠せず、じりじりと後退する。生物が過酷な環境に適応するため、生来の属性を変化させるという事例は、確かにある。だがそれは途方もない時間を掛けて行われる進化で、この短時間で、環境に関係なく変化させる等、彼女にとってあり得ない現象だった。

動揺が伝わったのか、ルナーベアは好機と言わんばかりに、マイに攻撃を仕掛ける。距離を置いたまま、口から炎を吐き出した。

「はぁ⁉ なにそれ⁉」

続けざまの驚異に、マイは叫びながらこれを躱す。その際バランスを崩し、地面に倒れてしまう。その隙をついて、ルナーベアはさらに追撃を仕掛ける。今度は接近し、今までのように爪を繰り出すつもりのようだ。

「くぅ!」

咄嗟に地面に手を押し当て、ダークを流し込む。迫るルナーベアの足元から草が伸び、輪っかを作る。足を取るための、シンプルな罠だ。狙い通り後ろ足が引っかかり、僅かだがその足を止める。その間にマイは立ち上がり、同時に種人達を改めて生み出した。ソルジャーとガード、それぞれ二体ずつ。これが最後の戦力だ。全員に水のダークを分け与える。

「全員手加減なしで、あの魔物を仕留めなさい!」

マイの号令に、種人達は一斉に動き出す。ルナーベアは罠を焼き消して、すでに目前まで迫っていた。ガードが先陣を切り、両手を広げて、抱きかかえるようにして動きを止める。ルナーベアは牙を向け、ガードの体を食いちぎろうとする。

ガードが食い止めている隙に、ソルジャー二体がそれぞれ左右に、残りのガードが後方に回った。四方を囲み、正面以外の三方から、一斉に攻撃を仕掛ける。左右からの槍による突撃は、先程まで頑強を誇った体毛を貫き、後方の質量に任せた打撃は、その巨大な体に重い一撃を与える。そのはずだった。

「グオオオオオオオオッッ!」

ルナーベアが叫ぶと、その体から炎が噴き出した。囲んでいた種人達は、先達だった彼らと同様、一瞬で消し炭となってしまった。

「そんな……」

あまりにもあっけない決着に、呆然とするマイ。腕をだらんと垂らし、隙だらけの彼女に向かって、ルナーベアが近づいていく。ズシン、ズシンと、一歩ずつ近づく魔物に、マイはハッと正気に戻る。ルナーベアはもう目前まで迫っている。咄嗟に身構え、手に水のダークを集めようとする。

だがマイの予想を裏切るように、ルナーベアは彼女の横を素通りしていく。

「え……?」

何の興味も示さない魔物に、今までとは別の意味で呆気に取られる。そのまま後ろ姿を目で追い駆けると、どうやら目的地が明確の様だ。魔物が目指す先は、第三樹木のある位置。マイがクーに隠れているように伝えた場所だ。

「だめ!」

集めた水のダークで、刃を生成し、解き放つ。円盤状の刃がルナーベアに迫るが、その身体に一切の傷を負わせることなく、かき消えてしまった。

「いかせない!」

何度も何度も、ダークを強めたり、属性を変えて攻撃する。どれも大した効果を見せず、ルナーベアは一向に歩みを止めなかった。

「このっ、このぉっ」

歯を食いしばり、攻撃を続ける。地面に手を当て、ルナーベアの足を止めるように草を伸ばす。縛り付けるように伸びた草だが足を止めることは叶わず、ぶちぶちと引きちぎられる。先程の罠と違い、伸ばした草が細く、弱いものになっている。ここまで魔法を使ったことで、ダークが不足したのだ。

「はぁ、はぁ……ぜっ、たい、いか、せ……ない……」

息を切らせて、なけなしのダークも絞り出して、食い止めようとする。最早、まともに魔法も繰り出せなくなっていた。

マイはいくつもの魔法に関する論文を書き、その全てが高い評価をもらった。だが、その彼女の中にあるダークは、人並み程度しかない。

ダークは身体と同様、加齢と共に一定まで増加し、徐々に衰えていく。マイの年齢では、まだそこまで多くのダークは秘められていない。いかに効率よく魔法を使ったとしても、限界は早く訪れる。

同時に急激なダークの減少は、身体にも影響を及ぼす。肉体的な疲労が現れ、場合によっては命の危険もある。

それでもマイは、魔法を使うのを止めなかった。理由はわからないが、足取りからして、この魔物の目的がクーであるというのは明白だった。小柄な魔物を相手に失禁するような彼女が、こんな魔物に勝てるわけがない。自分がなんとかするしかないと、マイは使命感に駆られていた。

「ウウウウ……」

何度も打ちつけられる魔法を、ルナーベアはうっとおしく思ったのか、足を止めてマイの方へ振り向いた。邪魔をするならお前から仕留めると、その目は語っていた。

「はぁ……かか、って、き、なさ、い、よ。やって、やるん、だ、から」

余裕を見せつけるかのように、ふらつく足をどうにか踏ん張り、挑発的な笑みを浮かべた。それが効いたのか、ルナーベアは右前脚で地面を二度蹴ると、もう片方の前脚を強く踏み込んだ。マイとの距離を一気に詰め、すぐにけりをつけるつもりだ。

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」

大きく高い声が響く。マイはルナーベアの後方に移る人影を見て、大きく目を見開いた。

「クー⁉ なんでここに……」

そこにいたクーは、両手で剣を握り、ルナーベアへと向けていた。マイはふらふらとした足取りで、彼女に駆け寄ろうとする。だが、体の力が入らなくなり、バタンとその場に倒れてしまった。

「マイ⁉」

倒れたマイを介抱するため、近づこうとするが、二人の間にいたルナーベアが遮る。クーの方へ振り向き、鋭い爪を振り払った。

「きゃ……」

咄嗟に後ろに下がり、その一撃を躱す。その拍子に、尻餅をついた。手に持っていた剣も落としてしまった。
 
ルナーベアは、標的を完全にクーへと移したようだ。無防備な姿のクーへと、四足でじりじりと距離を詰める。

「く、クー。にげ、て……」

顔だけをどうにか持ち上げて、クーに呼びかける。か細い声だったからか、クーに届いた様子はない。彼女は落とした剣を拾い、迫るルナーベアに再び向けた。剣の重さと、迫りくる恐怖。その両方から、彼女の腕はカタカタと震えていた。

(私がやらなきゃ……やるんだ……)

徐々に迫ってくるルナーベアに対し、クーは立ち上がると、一歩だけ後ろに下がる。恐怖は一切消えていない。自分よりも年下の少女を助けたい。その一心だけで、どうにか背中を向けないでいられるだけだ。

「うわああああああ‼」

ほとんど絶叫だった。剣を振りかぶり、目の前の巨体に突っ込むと、思い切り振り下ろす。突然のことだったからか、ルナーベアも怯みを見せ、反応が遅れた。刃は眉間を捉え、強い衝撃を走らせた。剣を通して、クーの腕に。

「いっ……」

しびれと痛みを覚え、クーは剣の柄から手を離してしまう。カランと、剣は地面に落ちる。

「グゥゥゥ……?」

ルナーベアにダメージはなく、ただ驚いたといった様子だ。煩わしいように首を振ると、改めてクーを睨みつけた。一歩前に進むと、落ちた剣を踏みつける。剣は踏まれた箇所を中心に、真っ二つに砕かれた。

「うう、うううう……」

やっぱり無駄だった。もしかしたら、勇者の力が目覚めて、この魔物を倒せるのではないかと思った。だが現実は非常で、一度も剣を振るった事のない少女に、奇跡のような力を授ける事はなかった。このままあの剣のように、自分の体が引き裂かれる。明確な死が頭をよぎると、この日二度目の失禁をしていた。

(マイ……ごめんなさい)

ルナーベアの向こうで倒れているマイを見て、心の中で謝罪する。本当は助けたかった。でも、自分では無理だった。自分が殺されたら、この魔物は次に彼女を殺すだろう。自分が死ぬのはもちろん嫌だが、自分の不甲斐なさで、まだ幼い少女が犠牲になるのはもっと嫌だった。

じりじりと詰めてきていたルナーベアは、目前まで迫っていた。独特の臭いを含んだ鼻息がクーの顔にかかると、次の瞬間には大きな口が開かれた。鋭い牙がクーの頭に差し掛かろうとしたその時、ルナーベアが突然、横に弾き飛ばされた。

「……え?」

代わりにクーの前に現れたのは、緑の巨人だった。身体を絡めた蔓で作られた種人とは違い、それはまるで草の生えた大地が、人の形を成したようだった。

「や、やら、せない、って、言ってるで、しょ」

向こうで倒れていたマイが、地面に手を置きながら、よろよろと立ち上がる。枯渇しかけていたダークを、少しずつ、ゆっくりと大地に流し、丸ごと活性化させ、人型を造り上げた。ぶっつけ本番だったが、うまくいった。

「クー! は、早く……! 長く、は、もたない、か、ら……!」

息も絶え絶えになりながら、振り絞った声でクーに呼びかける。クーはハッとして、マイの元へ駆け寄った。

「マイ、大丈夫⁉」

「心配なら、後に、してっ。今は、逃げ、ないと……」

マイはすっと、緑の巨人とルナーベアがかち合っている場所の右側を指し示した。

「この先に、第九樹木、って、樹がある、の。そこまで、行け、ば、逃げら、れる」

それを最後に、マイは力を失ったように倒れる。そんな彼女を、クーは抱きかかえるようにして支えた。

(……軽い)

先程まで自分が握っていた剣とは、比べ物にならない軽さだ。そんな彼女に、こんなになるまで無理をさせた。罪悪感に、胸が締め付けられそうだった。

だが、今はそれどころではない。クーはマイを背負うと、急いでその場から離れようとする。

巨人は善戦しており、ルナーベアが反撃する前に、拳を振るっていた。相手も一方的にやられているわけもなく、時折拳を躱しては爪を繰り出し、時には火を噴いた。草を纏った巨人は、火を浴びても動じることなく、ひたすら戦い続けていた。

あの場に自分が入る隙はない。心の中で巨人に激励を送り、クーは走って第九樹木を目指した。
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