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私は勇者なんかじゃない

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目を覚ますと、木製の天井が目に入る。その造りは、実家のそれによく似ていた。

「あれ、私……」

ベッドの上に横たわった状態に、クーは状況が呑み込めずにいた。最後に見たのは、魔物の群れに襲われる直前の光景だった。

(もしかして、今までのは夢?)

横になった状態のまま、右手を上げて頭をさする。痛みもなく、万全の状態だ。

「……あ」
 
がばっと起き上がり、ベッドの状態を確認する。ベッドは一切濡れていない。ひとまずほっとしたものの、その時自分が一糸まとわぬ姿だという事に気が付いた。

「え。や……⁉」

咄嗟に体を覆っていた毛布を纏う。少なくとも、自分は全裸で眠る趣向はない。寝ぼけて服を脱いでいたことは皆無ではないが、そもそも近くに服があるように見えなかった。

辺りを見渡してみると、壁の形状から、ここが円柱状の部屋だという事がわかった。クーが暮らしていた家は、一般的な一軒家で、室内は四角形だ。つまり、ここは自分の家ではない。

「あ。起きたんだ」

室内に響く、透き通るような声。クーが声のした方を見ると、銀色の髪を二つ結びにした幼い少女が立っていた。彼女の背後には下へと続く階段があり、ここが高い場所に位置することがわかった。

「おはよう。気分はどう?」

「あ。は、はい。大丈夫、です」

「そう。ならよかった」

簡素に答えた少女は、そのまま部屋に入る。手にはお盆を持っており、その上にお粥と水があった。部屋の中にある小さなテーブルの上に、それらを乗せた。

「これ食べて。味は悪くないと思うから」

「あ、ありがとう……」

状況もわからないまま、クーは頭を下げる。毛布を纏ったままベッドを下りようとするクーに、少女は思いだしたように、口を開いた。

「あんたの服なら、今洗って乾かしてるところ。その、ちょっと汚れてたから」
 
ごまかすような態度に、その真意を察したクーの顔が真っ赤になる。十六にもなって失禁してしまい、それを自分より年下であろう少女に知られてしまうとは。

「まあ、初めて冒険にでた冒険者の二割は下を汚して帰ってくるって言うし、気にすることないわ」
 
少女はフォローしてくれているようだが、その確信を突くような言葉に、クーは顔を俯かせた。

「あれ、夢じゃなかったんだ……」
 
あの時の光景がよみがえり、今度は恐怖心が襲い掛かる。目の前に迫りくる鋭い牙。背後にいる得体のしれない魔物。思いだすだけで、体の震えが止まらなかった。

そんなクーを見かねたのか、少女は近づいて、細い腕で彼女の体を包みこんだ。

「もう大丈夫。ここは絶対に、安全な場所だから」
 
幼い少女に抱きしめられて、クーは先程とは別の恥ずかしさを覚える。だが少女の抱擁は不思議と心地よく、そのまま身を預けてしまう。もう少しで泣いてしまいそうだったが、流石にそれはこらえた。

しばらく時間は経つと、少女は抱擁を解いてクーから離れた。

「とりあえず、まずはご飯を食べて。そろそろ服も乾いてると思うし、取ってくる」
 
少女は登ってきた階段の所まで歩いて行く。

「あ。ま、待って」
 
クーが呼び止めると、少女は立ち止まった。

「ここってどこなの? それに、あなたは一体……」
 
クーの質問に、少女は少しだけ口角を上げて答えた

「あたしはマイ。研究者。そしてここは、あたしの研究所」
 
それを最後に少女、マイは階段を下りていった。残されたクーは、目の前のテーブルに目線を向ける。湯気が立ち上るお粥を前に、クーのお腹が小さく音をたてた。

―――

「はい。おまたせ」

食事を終えたクーに、マイは丁寧に畳まれた衣服を手渡す。クーは礼を言うと、すぐにそれに着替えた。

「あとこれも」
 
がしゃんと、机の上に鞘に収められた剣が置かれる。クーはそれを横目に見ると、小さくため息を吐いた。

「それにしても災難だったね。ええと……お姉さん」
 
マイの言葉に、クーはまだ自分が名乗っていなかったことを思い出す。服に袖を通し、ひとしきり着替え終え、「クートリウィア・マーニです」と名乗った。

「長い名前。クーでいい?」

「うん」

そういえば、自分が無事この場にいるという事は、あの魔物らを倒した、あるいは追い払った人物がいるという事だ。

「……えっと、マイちゃん」

「ちゃん付けやめて。子どもっぽい」

「は、はい。マ、マイさん」

「それも嫌。普通にマイ、でいいわよ」

「わ、わかった。えっと、マイ。ここって、あなたの他に、人はいるの?」

「ううん。人間はあたし一人」

引っかかる物言いだった。それではまるで、人間ではない生物がいるかのようだ。「見せた方が早いね」と、マイは自身のポケットから、小さな種を取り出した。

「えい」
 
ポイと投げると、種はすぐに発芽した。蔓が伸び、しゅるしゅると絡まりを見せると、徐々に形を作っていく。やがて生長が止まると、それは大きな人の形になっていた。

「ひえ……」
 
自分の身長よりも高く、太い体格のそれに対し、クーは驚いて一歩足をひいた。

「大丈夫。この子「種人シード」は、あたしの研究成果の一つ。なんでも言う事聞いてくれる、便利な存在なの」
説明をしたマイは、種人に指示を出す。種人は頷く仕草をすると、机に向かって歩き出す。剣の横にある、最初に置かれたお盆を持つと、マイの後ろを通り、階段を下りて行った。

「今の子には、片付けのついでに外の様子を確認しに行ってもらったの。あんたを襲ってた魔物は別の子が退治したけど、他の個体がいるかもしれないしね」
 
マイの言葉に、クーは黙って頷く。まだ恐怖で言葉が出なかった。足も震えが止まらない。そんなクーに、マイがあきれたように目を細めた。

「さすがに怯え過ぎじゃない? そんなんでよく冒険者になったね」

「うう……なりたくてなったわけじゃあ……」
 
クーは顔を俯かせながら、右手の甲をマイに見せた。

「こんなもの、私はいらなかった。皆みたいに、普通に生きたかったの……なのに、光の勇者なんてものに選ばれて……」

「光の勇者?」
 
マイは細めた目を見開いて、クーに勢いよく近づいた。彼女の右手を自分の顔の前に引き寄せて、その甲に浮かんだ月の紋章をまじまじと観察した。

「本物みたいね……なんで脱がせた時に気付かなかったんだろう……」
 
マイは自身の手で、クーの甲を撫でた。小さな指の触感が伝わり、クーは少しこそばゆかった。

「よし。決めた」

マイは納得するように頷くと、クーの手を離し、そのまま彼女を上目遣いに見つめた。

「クー。あんた、あたしの研究に協力して」

「け、研究?」

「そう。さっきも言ったけど、あたしは研究者。で、今の研究内容は、あの紅い月や魔物に関することなの」

マイはくるりと踵を返し、部屋にある窓に近づき、外を眺めた。

「光の勇者の話は、あたしも知ってる。でも、ずっと不思議だった。どうしてそういう特別な存在じゃないと、世界は救えないのか。普通の人達だって、魔物を退治することは出来るのに」
 
どこか遠くを見るマイは、窓の淵に手を掛けながら、再びクーを見る。まだ幼い少女の瞳は、強い決意に満ちており、クーはその目に圧倒され、固唾をのんだ。

「あんたが宿したっていう、勇者の力。それを調べれば、その理由がわかるかもしれない。もし本当に勇者の力じゃないとだめだとしても、そのメカニズムさえわかれば、模倣することもできるかもしれない」
 
それに、とマイはクーに向けて足を踏み出し、さらに続けた。

「その力を、他人に譲る事もできるかもしれない。そうすれば、あんたは普通の生活に戻る事もできる」

「…………」
 
それが出来たら、どれだけ良いか。町に帰り、両親の暮らす家で寝食をし、学校に通い、友人らと楽しい時間を過ごす。今のクーが最も欲してやまない日常だ。じっと右手に浮かぶ紋章を見る。これが消えれば、それが叶うと、クーは本気で望んでいた。

「もちろん絶対とは言えない。どれくらいかかるかもわからない。でも、あんたが協力してくれるなら、あたしも全力を尽くす」
 
自信満々に語るマイだが、クーは答えない。いくら恩人とはいえ、目の前にいるのは自分よりも年下に見える少女だ。彼女が本気でも、その実力が達しているかはわからない。
 
クーの懸念が伝わったのか、マイは仕方ないと言うように肩をすくめた。

「ま、簡単には信じられないよね。ちょっとついてきて」
 
マイがクーに背を向けて、階段へと向かっていく。クーは彼女の言葉に従いその後をついていった。
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